教区報

教区報「あけぼの」

「神のデクノボー」2015年6月号

2011年3月11日東日本大震災が発生。電気が丸2日点かない中で何が起こっているのか、携帯ラジオに噛り付いていたことを思い出します。2日後、居ても立ってもいられずに、動き出したバスで山形から仙台に向かいました。その時仙台では「東日本大震災日本聖公会東北教区対策本部」が立ち上げられようとしていました。多くの交通手段が麻痺しており、燃料の確保も難しい状態でした。そんな中で動くことのできる数少ない教役者として、その働きにわたしも加わることになりました。5月から支援の働きは管区の「いっしょに歩こう! プロジェクト」と協働となり、全国のみならず世界からの祈りと支援を受けて2年間の働きを終え、その後を引き継いだ東北教区主体の「だいじに・東北」も予定された2年間の働きを終えます。しかし東北教区の支援の働きはこれからも継続されていきます。私自身もこの4年間どれだけお役に立てたかは別としてですが、支援の働きと無縁であった時はありませんでした。

 

現在被災地に赴いた多くの支援団体、グループがその働きを終えています。思いは残るでしょうが、人的にも資金的にも恒久的に継続することは難しいことです。わたしたちもこれまでのような働きを継続していくことは難しいでしょう。でも終わりではありません。これからのことを考えると、被災された方々と関わり続けるということは、もうわたしたち東北教区の宣教の働きのひとつとなっているのだと思います。つまり教会の日々の働きのひとつということです。そう捉えれば「いつまで続ければ良いのか」とか「どれだけやったら十分といえるのか」というどちらかといえば外側からの視点で見た悩みはなくなるでしょう。ほかの地方の人たちにはそれぞれの課題があります。とことん向き合えるのは東北に住むわたしたちです。そして目前の課題に取り組むということは、していることは違っても、それぞれの課題に取り組んでいる人たちとも繋がっているということではないでしょうか。そしてその繋がりによって時には励まし合い、支え合うことも出来るのです。

 

2011年「いっしょに歩こう!プロジェクト」オフィス開所

2011年「いっしょに歩こう!プロジェクト」オフィス開所にて

被災地の復興は進みつつある。しかしそこに新たな悩みや課題が起こっていることにも、わたしたちは敏感になっていきたいと思います。それを知っても「何もすることが出来ない」と戸惑い、悩むことも向き合う姿のひとつです。それは忘れていない姿でもあるからです。私たちもわが身の困難や悲しみを覚えて心配してくれている人がいる、何かできることはないかと心を砕いてくれている人の「存在」にどれだけ励まされ、勇気付けられていることでしょうか。祈りの中で覚え続けることも共にある姿です。継続された祈りから、いつか目に見える、あるいは心に感じることの出来る結果が与えられます。

 

宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の一節「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」皆からデクノボーと呼ばれる人の姿を思います。賢治さんはいいます。「ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と。一説によるとこの「デクノボー」は斉藤宗次郎という花巻出身のクリスチャンがモデルだといわれています。「ヤソ」と侮蔑されても、ただおろおろ歩くしかなくても人々に寄り添おうとした。そんな聖霊の力に支えられた「デクノボー」に私もなりたいものです。

 

                                       司祭 ステパノ 涌井康福