教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2023年8月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「神さまの中で休みを探す」

 

 

私は子どもの頃から、注射が怖くて病院に行くのがとても嫌でした。できれば病院に行かないようにしました。ところが今は両親のがん治療をしている様子を観ながら、女院での定期的な検査や、早めの治療の重要性を感じています。

 

人は体が病気になったら病院に行きます。歯が痛むと歯科にお腹が痛くなれば内科を探すなど、体の部位によって様々な診療を受けます。しかし、心と魂が病気になったらどこへ行くべきでしょうか?皆さんは心が痛くなったらどこに行きますか?心が痛くなったときにどこを訪れるかは非常に重要な問題です。心の病気がすべての病気の源という言葉があるように、人は心が痛むと体が痛くなります。病院に行ってみて、医師は異常がないと判断しても、本人は病気だと言います。心に病気ができたのです。「疲れた者、重荷を背負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28-29)

 

イエス様はあなたを休ませてくださり、また私たちがどれほど苦労しているのかを知っているので、自分の所に来れば、安息を味わえると言われます。

 

 

では、神様のもとに行くとは何を意味するのでしょうか。それは神様の中で考え、神様の中で休むという意味です。神様に会う方法は斉唱にあるように、まさに「祈り」を通してです。旧約聖書の預言者は祈りを通して神様に会いました。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。」(列王記下19:15)

 

ユダ王ヒゼキヤがアッシリアの攻撃の前で神に捧げた祈りです。このような告白は、旧約聖書でよく見られる言葉です。イエス・キリストも神様のご意志を絶えず受け入れ、確認死、実行される時、人里離れた所に行って、祈られました。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)

 

それが神様の中で休んで、神様の道を模索する最も賢い方法です。最も賢い道は真の心理である神様に出会うことです。「わたしのもとに来なさい」と言われたイエス・キリストのみ言葉に従うのです。そのみ言葉の力は、今でも一貫して私たちを捉えています。

 

今日もイエス様は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と私たちを呼んでおられます。どんな医者も治療できないすべての痛みをイエス・キリストは治療してくださいます。これは2000年前の話ではなく、主イエス・キリストの中で休む人なら誰でも体験できる、今も起きている奇跡です。

 

神様を知っている人は毎回奇跡を体験します。しかし、神様を知らない人は、昔の物語の中のイエス・キリストのみを覚えています。真の休みは神様を見つけることです。

 

 

東北教区の皆様、皆様の教会で祈りを通して神様を探してください。また自然の中で神様に出会うことを望むなら、十和田湖畔にあるヴァイアル山荘を利用してください。自然の中で静かに祈り、沈黙の中で黙想し、私たちに真の休みをくださる神様と出会う経験をしてください。

 

 

弘前昇天教会 牧師 司祭 李 贊煕

 

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