教区報
教区報「あけぼの」
あけぼの2023年9月号
巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「今更ながら日本の教会とは」
今年の3月、秋田から福島への転任の準備でバタバタしている時に故郷(長野)に済む妹が急逝しました。いまだに合間を見て何度か往復していますが、様々な手続きのため町に出かけた時、中部教区の上田聖ミカエル教会及び諸天使教会の近くを通りかかりました。こちらは和風建築で知られる奈良基督教会を小さくしたような教会で、祭壇を仏像に変えたらすぐにでも仏寺として使えそうな建物です。奈良の場合は景観条例があったのでしょうが、ここの場合はどのような経緯で和風建築となったのか、今更ながら興味をそそられました。きっと何か深い理由があったのではないかと思います。「日本の教会なんだから和風で」という単純なものではないのでしょうが、「日本の教会」という視点はとても大事なことなのではないかと思うのです。それはもちろん福音の本質を変えても良いということではありません。神から受けたものをそのまま伝えていくのですが、日本という風土の中でそれをどのような器に入れたら良いのかということなのかな、などと考えますが、小さな私にはなかなか思い切った割くが思い浮かんできません。
最近ある方からいただいた文章に明治期に来日した英国聖公会の宣教師の中に、日本の教会に英国型、例えば教区制などのスタイルをそのまま持ち込むことに反対した司祭がいたということが記されていました。しかし結局そうはならず、伝えた側は様々な変革を遂げているにもかかわらず、多分現在に至るまで、私たちはその時に伝えられたものを守り続けていたのかもしれません。日本聖公会では教区制改革が進められていますが、それは単に11もの教区を維持できないことに対する対処ではなく、教会そのものの変革を視点に置いてのことであることを、私たち一人ひとりも心に留めていきたいと思います。私には何ができるのか、私はどう変わることができるのかが、すべての信徒・聖職の課題なのではないでしょうか。そう書くと何か思いものを背負うような感じになってしまいますが、そのほとんどを実は背負ってくださっているイエス様のことをしっかりと見つめることが一番大事ですよね。
わたしの家はクリスチャンホームではなかったので、洗礼を受けた時に周りからは「なんで西洋の神様を信じるのか」と何度も問われました。そうなんですよね。多くの日本人にとってキリスト教は西洋の宗教であり、イエス様は欧米人の神様なのですね。そういわれるたびに「そうじゃない。聖書の神様は世界の神様だ。イエス様だって西洋人ではない」と反論してきましたが、自覚はしていなかったのかもしれませんが、日本の教会は、そして私も、西洋的なものをアピールしてきたのかもしれません。
学校が夏休みに入ったこともあってか、このところ毎日教会見学の方が来られます。多くは旅行者の方で、いまだに朝ドラ(エール)の撮影地の教会を見てみたかったという方が多いです。地元の方も来られますが、キリスト教に関心がある、聖書のことを知りたいという方には、残念ながらまだお会いしていません。食事時にインターホンがピンポーン!と鳴ると、思わず「うわー、勘弁してよ」と本音が出てしまいますが、今日こそは良い出会いがありますようにと、あきらめずに、訪ねてくれることに感謝し、少しうどんが伸びてしまうことを残念に思いながらも、笑顔での対応を心掛けています。
福島聖ステパノ教会 牧師 司祭 涌井 康福