教区報
教区報「あけぼの」
あけぼの2024年5月号
巻頭言 東日本大震災13周年記念の祈り 説教 「いのちの分かち合い」
2011年3月11日の東日本大震災から13年が経ちました。私はここ福島聖ステパノ教会で祈り、対談する片岡輝美さんから「福島からのメッ
セージ」を聞いて、原発事故後の現況を知らされて、キリストを信じる者として何かしら行動するようにと促されるでしょう。
毎年何処かで大規模な自然災害が起きる日本で、1月1日能登半島地震に私は震えおののきました。瞬間的に志賀原発はどうなっているか、が頭をよぎりました。大地震と原発事故が絡みます。原発が立つ地域はいわば過疎地であり、同時に大体は震源地近辺ですから、私たちは常時いのちの危険に晒されています。
現在(2月末時点)、能登半島地震の犠牲者は241人、安否不明者も7人にも上ります。2ヵ月経っても1万人以上が避難所生活、4,500人以上が断水状態の自宅避難者です。大きな不安がいつ解消されるのか見通しが全然立っていません。まさに過酷な状況で大変な苦痛と心労を抱えています。
2011年当時、福島県新地町では被災者が仮設住宅に入り始めたのが5月で、どこの被災地よりもいち早く開設されましたが、それでも避難所生活は約3ヵ月にもおよび、大変な心労を抱えたのでした。ですから、能登半島地震で被災された皆さまの一日も早い生活改善がなりますようにとの思いが強まります。神様からのお守りがありますようにお祈りいたします。
「いっしょに歩こう!プロジェクト」の私は、南三陸町志津川に行った折、ある逸話を聞きました。ある小さな村の人々の行動を私は生涯忘れられません。その逸話とは、海岸沿いの被災地から離れた隣り集落代表が、被災し孤立した集落の人たちに、早く食べ物を届けるぞ!と呼びかけ
て、村の方々で握ったおにぎりをリヤカーに積みました。寸断された幹線道路は通行不能で裏の細い山道を行くしかなくても、熱々を食べさせたいと毛布にくるみ決死の覚悟で運ばれました。おにぎりは少し冷めていましたが、大震災翌日、震えていた被災者の口に入って空腹を凌ぎ、人心地と大きな感激の涙と温かな気分に包まれて感謝が伝えられたというものでした。
新地町福田小学校体育館避難所でも、津波が到達しなかった周辺地区住民が、翌日にはおにぎりと味噌汁を漬物と野菜付きで差し入れました。栃木県のアジア学院からは卵や肉を、釜石の小さな漁港の集落に宅配しました。新地町の避難所では久しぶりの肉入りカレーに、本当に美味しかったと人々は満面の笑みでした。つまりは、集められた思いやりの心が人々を満腹にします。寄せ集まった労りの気持ちがささやかで温かな幸せを生みます。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」とイエスを試そうとして問うた人は、「あなたはどう思うのか?」と、逆にイエスに問われます。「神を愛し敬い、隣人を自分のように愛すること」答えると、イエスは「正しい答えだ!。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と促されます。行いの人にキリストのいのちが宿るのです。
このいのちを分かち合う人になれますようにと、お互いに祈り合ってまいりたいと思います。そのような人を神様はお喜びなさいます。
教区主教 主教 フランシス 長谷川 清純