教区報

教区報「あけぼの」

あけぼの2020年11月号

巻頭言「『すべての人を一つに』~分断の社会にあって~」

 

 

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(ヨハネ17:21)

 

 

これは、主イエスが十字架を目前にした時に祈られた「大祭司の祈り」の一部です。「分断の社会」という言葉をしばしば耳にする昨今、この主イエスの祈りの言葉が心に響いておりました。このお祈りの背景には、現代と同じく、主イエスにとって決して見過ごすことにできない、分断された社会構造や人間関係があったことが想像され、「すべての人を一つにしてください」という祈りの言葉は、主イエスの心の叫びと受け取ることができます。また、この祈りの直前、主イエスは弟子たちの足を洗い、弟子たちと共に最後の晩餐をとり、聖餐を制定されましたが、聖餐の奥義もまた私たちが主の命に結ばれて共に「一つになる」ことです。主は、私たちが主にあって「一つになるため」に祈られ、さらに聖餐を定められたのです。私たちはその聖餐式を行い、主の命をいただいて一つにされると信じています。そして、その聖餐式を私たちが一つになるまであきらめずに「み子が再び来られるまで」(祈祷書P175)、行ない続けてまいります。このように主イエスの祈りや思いは、世界や人々、そして私たちが一つになることにほかなりません。ただし「一つになる」ということは、「同じになること」とは違います。神様は、一人一人に同じではない命と人格、個性を与えてくださったのですから、「一つになる」ということは、それぞれ違う私たちが違うまま集められ一つとなることです。それぞれの性別、血筋、民族、主義主張、考え方や意見は違って当然の事ですし、十人十色、食べ物や色の好みも違うものです。私たち一人一人は違って良いし、違うべきだと思います。その違いを認め合って一つになる時、大きな喜びに溢れます。主は命を賭して、私たちが一つになる方法を、遺してくださったのです。しかし、主の思いに反して、民族人種差別や性差別、利己主義、いじめ、ハラスメント、人権侵害、特に最近では新型コロナウイルス感染症の拡大の中で罹患者への偏見など現代社会は分断へと進んでいます。み心は、誰もが尊重され、互いに愛し助け合い、公平、公正、平等で平和な社会をつくり上げ、一つになることのはずです。

 

ところで私たちの教会、自分自身や身近な話としてはどうでしょうか?意見や考え方の違いから人を遠ざけたり、逆に離れようとするようなことはないでしょうか?先日、東北教区展望会議で作成された自己点検チェックシートが各教会に配られ、自身と教会を見つめ直す良い機会となりましたが、それとあわせて「大祭司の祈り」を思い起こし、主イエスご自身がわたしたちのために祈り、励ましてくださっていることを覚えたいと思います。この恵みに感謝をしながら、この世にあって信仰を守り抜き、基本的なことではありますが、自分を愛するように人を愛し、すべての人に敬意を払い、歩んでまいりたいと思います。

 

 

 

司祭 ヤコブ 林 国秀(盛岡聖公会 牧師)

 

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