教区報
教区報「あけぼの」 - メッセージの記事
あけぼの2025年1月号
巻頭言 新年メッセージ 「主に受け入れられる年を告知する」
主の平和が皆さんと共にありますように
新年のお慶びを申し上げます。この一年も全能の神様に守られ導かれて、それぞれの信仰生活、教会生活が豊かにされますようにとお祈りいたします。
四半世紀前は、世界中の人々の間でミレニアム(千年紀)が話題になりましたが、1990年に「ジュビリー2000債務帳消し」運動が始まっていました。その目的は「21世紀をすべての人が人間らしく生きられる世界にするため」でした。途方もなく難解な理想ですが、そのためにまず20世紀が生み出した10億人超の貧困を根絶することと、貧困の最大原因の一つである途上国が抱えている巨額債務を帳消しにすることでした。
当時の最貧国では人々が飢餓や病気で亡くなり、子どもの3人に1人は栄養失調で死亡する一方で、債務返済のために医療や教育に十分なお金が使えません。アフリカの年間債務返済は国家予算の30%にも上り、医療予算の2倍に達していました。ですから、重債務貧困国の債務帳消しを実行してすべての人たちが生きられるようにしましょうと先進国に要望したのです。英国聖公会は中心的な存在でした。
このキャンペーンの根拠は聖書にあります。旧約聖書レビ記25章10節以下に「ヨベルの年」が記されています。50年目の聖なる年(ヨベル=ジュビリー)には奴隷は解放され、借金を帳消しにし、穀物を収穫しないで野に生えたものを食するようにと書かれています。
「50年目の年を聖別し、その地のすべての住民に解放を宣言しなさい。それはあなたがたのためのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有の地に帰ることができる。」(レビ25:10)
当時、私は仙台基督教会副牧師で聖ペテロ伝道所に住んでおり、仙台市内のキリスト教会、特にカトリック教会の信徒たちと「ジュビリー2000債務帳消し」運動に関わりました。子どものいのちを代償として返済される債務は不公正であり人権の侵害です。貧困に喘ぐ人たちを解放することこそが、その時の時代の要請でした。
あれから25年です。重要な出来事から25年、50年、60年、75年経過した時に催される記念行事や祝祭も「ジュビリー」と言います。現在の世界では貧富格差が増し、人権侵害が絶えず、飢餓に苦しみ、日本の人口と同じ1億2千万人以上の難民が彷徨い、戦争では数えられない程のいのちと地球を破壊しています。現実にはヨベルの年は宣言されない世界です。
しかしながら、まことの光である主イエスは病み、破れ、傷つき泣いている世に来て、すべての人を照らします。そのお方がこの世に来られたのは、「主の恵みの年を告げるため」(ルカ4:18-21)です。「主の恵みの年」は直訳では「主に受け入れられる年」です。つまり虐げられている人が神様に受け入れられるようなことが起こる年が告げられます。イエスはその時を宣言します。「貧しい者たちに福音が伝えられ、囚われた者たちに解放を、叩き潰された者たちを解放して行かせる」と宣言します。
私たちも主の福音を宣べ伝えてましょう。主のおとずれの良き知らせを告知しましょう。あらゆる意味での解放を宣言し、解放の実現のための一年にしたいと願い祈りましょう。
教区主教 フランシス 長谷川 清純
「新たな創造を信じて」2017年3月号
東日本大震災から6年を迎えます。6年という月日は長いはずですが、6年前の「あの日」の出来事が一つ一つ鮮明に脳裏に焼き付けられ、昨日のことのようにしばしば思い起こしてきたのは、私だけではないであろうと思います。1ヵ月前のことでさえ記憶がおぼろになってしまうのにもかかわらず、「あの日」のことが頭から離れないのです。そして多くの方々が犠牲となり、また、家や財産を一瞬のうちに失ったという出来事は記憶としてだけではなく、現実としていまだに私たちの生活に大きな影響を及ぼし続けています。さらに、私たちを恐怖のどん底に落とし、この世の終末を想起させた東京電力福島第1原子力発電所事故は、故郷から人々を追いやり、家族を離散させ、今もその悲しみは綿々と続いています。
震災から10日が過ぎ、初めて磯山聖ヨハネ教会の皆さんが身を寄せられていた避難所(福島県新地町福田小学校体育館)を訪ねることができたとき、私を教会の牧師と知ったある被災者の男性から、「先生、神様がいるのなら、なぜこんなことが起きるのですか」と問いかけられたことが忘れられません。その時はただその声に耳を傾けるだけで、言葉も出ませんでした。その後もその声が耳から離れることはなく、折々に深く考えさせられてまいりました。私たちは、この世界が偶然の結果、存在しているのではく、神様が造られた世界であることを信じています。この世界は神様が何かの意図、計画を立てて造られたのだということです。創世記第1章にそのことが明確に記されています。そこには世界の創造だけではなく、人間の創造についても書かれ、人が神に罪を犯したこととその結末まで書かれています。創世記は、わたしたちが住んでいる世界について、人間について、自分について、自分の中にある問題の根源である罪について、その始まりと意味を深く私たちに教えています。
創世記1章2節を見ると「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を、動いていた。」と記されています。まだ、生物のいない地球は闇に包まれていて、形がなにもなかった世界には神だけが存在し、神の霊が水の上を動いていたという様子がそこに記されています。私が、震災直後に、磯山聖ヨハネ教会の建つ丘の上から見た光景は、まさにこの光景でした。美しかった田園は泥沼と化し、コンクリートの橋げたの残骸が地面に突き刺さって、まさにカオスと化した世界が広がり、絶望と悲しみだけの世界のようでした。しかし、その時すでに、目には見えませんでしたが、確かに神の霊は水の面を動き出していたように思えました。神の創造の力はこのようなカオスにこそ動き、働き、新たな開始を告げるというのが創世記の示しているところです。神の霊が働いて、形がなく何もない世界、すなわち混沌とした世界に神の霊が働き、動くことによって、いろいろなものが形作られ、混沌の中に、新たな世界が生み出されていきます。すべてを破壊し、奪い去った3月11日を忘れることはできないし、また、覚え続けなくてはならないと思うのと同時に混沌とした地の上を覆っていた神の霊がこの地に新しい創造と秩序を与えたように、聖霊が、今も私たちを覆って、新しい人、新しい働きをを創り出すことがおできになることを覚えたいと思います。私たちが信じている神様はそれほど偉大な神様です。このことに日々感謝をしながら歩み続けてまいりたいと思います。
司祭 ヤコブ 林 国秀
写真:旧磯山聖ヨハネ教会の丘から見た被災時の様子
あけぼの2022年1月号
巻頭言 クリスマスメッセージ 「個の物語から普遍の物語からクリスマスの出来事~」
クリスマスは今では世界中の人がお祝いをするお祭りです。しかし、世界での最初のクリスマスは極めて限定的でした。ある時代、ある特定の場所での小さな出来事でした。
ある時代とはいつか。それは「キリニウスがシリア州の総督であったあった時」(ルカ2:2)です。シリア州とはガリラヤ地方~サマリヤ~ユダヤまでの地域で、そこにはガリラヤ湖、ヨルダン川、死海があります。そしてイエス様がお育ちになったナザレ、お生まれになったベツレヘム、そしてイエス様の地上でのご生涯の目的地であったエルサレムもこのシリア州です。その地域を治めていたのがキリニウスという総督でした。さらにそのシリアはローマ帝国の支配下にあり、その時のローマ皇帝がアウグストゥスだったのです。
そして、ある場所とはどこか。それは「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」(ルカ2:4)です。この状況の中にイエス様はお生まれになったのです。
私たちはアウグストゥス、キリニウスという名前をさほど心に留めることはないのではないでしょうか。 聖書は場所、人の名前がたくさん出てきます。カタカナですので読みづらい名前や地域がたくさん出てきて大変ですが……。
具体的な名前が登場するのには意味があります。それは神様のご計画は神の国を完成させること、すべての人の平和の実現にあり、そのご計画はぼんやりとしているのではなく、極めて具体的なのです。
イエス様の誕生も昔々あるところにイエス様がお生まれになりましたというのではなく、具体的な時代、具体的な場所が聖書に示されているのはそのためです。
個の物語がすべての人の物語(普遍的な物語)へとなっていくことを私たちは聖書を通して知ることが出来ます。きわめて個人的な出来事がいつしか多くの人の出来事になっていく。たった一人で始めたことが少しずつ紡がれて大きくなっていくことを私たちは経験したり、聞いたりしていると思います。
「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」(ルカ2:11)
極めて具体的な喜びの知らせだと思いませんか。
「今日」「ダビデの町」そして「あなたがたのために」救い主がお生まれになったのです。
最初にも申しましたが、クリスマスの出来事は小さな小さな出来事でした。貧しい羊飼いへと告げられた出来事が今や世界中の人たちが知る出来事になっていったのです。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)とあります。
私たちが出来ることはそんなに多くありません。日々それぞれが生きている現場で出会う人、経験する出来事と向き合って心を込めて一生懸命生きていく。それはもしかすれば誰も知らないことが多いのかもしれません。それが時に重荷や虚しさになることもあると思います。でも安心してください。その心を込めて一生懸命生きた小さな行為はイエス様にしてくれたことなのです。私たち一人一人の物語を神様は祝福してくださっていることを信じたいと思います。クリスマスおめでとうございます。
盛岡聖公会 牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也
あけぼの2025年5月号
巻頭言 東日本大震災14周年記念の祈り 説教「希望のイエス」
2011年3月11日は、私たちが未来永劫忘れられない記憶となっています。否そうでなければならないのです。
先日大船渡市で山火事が発生しました。三陸町綾里は、この130年間で3度津波被害に遭われました。1896年明治三陸大津波、1933年昭和三陸津波、2011年東日本大震災では最大40.1mの巨大津波が襲来し27名が亡くなりました。それで高台に家を再建した方々が、今度は山火事に襲われています。「二重苦」「二重の辛苦」と言われますが、私は「三重苦」だと思います。それは焼失した家の隣に火災を免れた家が無傷で建っているからです。残酷な風景です。やるせない気持ちになります。
東日本大震災のあとには、このように苦しんだ人たちは30万人、いやそれ以上おりました。漁師の佐藤清吾さんもその一人です。大震災で最愛の妻とお孫さんを亡くされました。私が清吾さんと出会った時、清吾さんは打ちのめされ生きる力を失っていました。私たちや多くのボランティアさんたちが一生懸命話したり、お手伝いしたりする中で、次第にこれではいかん、とやる気を取り戻せた、皆さんのお蔭ですと感謝され笑顔の清吾さんが復活しました。
2月15日、私は石巻市北上町十三浜大室にある災害復興住宅団地の、6年前に新築された清吾さんの自宅~、原発のない世界を求めるZoom Cafeをオンライン中継しました。30年も前から一人で「脱原発」をしているのは、漁師の仕事ができなくなる、生活を奪われる、海・地球環境を汚染する、何よりも魚や人間の生命を将来的に滅ぼすからだ、という、人が生きる、暮らす上での大問題、大障害だからダメだ、という明確な確信があるからだと、1941年生まれの83歳が語られたのは非常にインパクトがありました。
3月9日、13年間水曜喫茶に手作りパウンドケーキを送ってくれた柳城女子大学の先生方や卒業生たちと現役生たち一行が、磯山聖ヨハネ教会に来られました。その朝、水曜喫茶の仲間・佐々木恒子さんの訃報を聞かされて私は言葉を失いました。東京電力第一原子力発電所の爆発で拡散した放射性物質の汚染から避難された浪江町、南相馬の人たちの応急仮設住宅での水曜喫茶に初めから顔を出していた恒子さんでした。
私は、彼女の口から無念の言葉を一度だけ直接聞かされました。彼女の家は、大震災数年前に新築したばかりでしたのに避難を余儀なくされ住まわれなくなり「私はとっても悔しいの、腹立つの、もう戻られないし、なんもできんの」と強い語気でした。それでも、2022年原発のない世界を求める習慣でインタビュー・ビデオ出演した時、「本当に私らに良くしてもらって、有難い、有難い」と感謝を口にしました。88歳の死はいわゆる震災関連死、故郷を追われた人の死だと思います。本日、震災関連死を含めて東日本大震災の死者は22,000人を超えています。
様々な自然災害で亡くなられたすべての方々、世界中で起きている紛争や戦争の犠牲者の魂の平安のために祈りましょう。今現在、言うに言われぬ苦しみや悲しみを背負う人たちに、神様の豊かな慰めと、人々の寄り添いと思いやりが届きますように祈りましょう。私たちの励ましと拠り処にする聖句。「希望が失望に終わることはありません。」(ローマ5:5)
教区主教 フランシス 長谷川 清純
イースターメッセージ「『すでに』と『いまだ』―復活の道を歩む―」2017年4月号
あけぼの2022年2月号
巻頭言 新年メッセージ 「みんな笑顔で、微笑んで」
2020年、2021年と2年間に渡って、今まで私たちが経験したことのなかった教会生活を送ることになった新型コロナウイルス感染症。昨年の10月中旬には東北教区内でも一週間の新規感染者数計が二桁まで減少し、少しほっとしておりましたら、新しい年を迎えた途端、また一気に三桁まで増加しております。
新年早々、暗そうな話題から入って申し訳ありませんが、どうぞ皆様、お身体にお気をつけくださいますようお祈りいたします。
✠スマイル、スマイル✠
私は走るのはあまり得意ではないのですが、駅伝、特に箱根駅伝を見るのをとても楽しみにしています。
ということで今年も1月2日は主日礼拝の時間を除いて、2日はスタートの時間からテレビの前に座って見ておりました。そうしましたら、選手の後ろを走る車の中から聞こえる監督の掛け声が、例年とはだいぶ違うことに気がつきました。
それは優勝した青山学院大学の監督の声が、前を走る選手に「スマイル、スマイル」と呼びかけているのです。必死で走っている選手からすれば、スマイルどころじゃないだろうと思うのですが、その呼びかけを聞いた選手の厳しい表情が一瞬とはいえ、ふっと緩むのです。肩の力がスッと抜ける、足取りが軽くなる。笑うこと、笑顔は人の気持ちや行動を変えるのですね。
✠意外と少ない笑い✠
へぇーっと思って、聖書は「笑い」をどのように取り上げているのか調べてみました。するとたまたまへぇー!!という結果でした。人間の「笑い」や「微笑」という言葉を調べてみますと、旧約と新約を合わせて36箇所あります。しかしその内、「あざ笑う」など否定的な意味の笑いが約4分の3を占めているのです。
良い意味での「笑い」は、例えばアブラハムとサラに息子が与えられた時、「その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」(創17:19)とか「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」(創21:6)などがあります。新約ではルカ6:21の「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」だけですから、少し不思議な気がします。
イエス様が笑っておられる場面も見当たりませんが、イエス様はしばしば譬え話の中で「一緒に喜ぶ」と言われています。私たちも喜ぶ時には自然と「ほほえみ」がもれてきますから、これがイエス様の「笑い」かもしれません。
✠心からの笑顔で✠
今のような時代だからこそ、私たちには「笑顔」が必要なんだと思います。笑顔・スマイルどころではないかもしれませんが、だからこそ意識的に口角を上げて笑顔を作ることで、心も身体もリラックスするのではないでしょうか。「笑顔・笑い」は免疫力も上げるそうですから。
そういった意味で、今年は、笑顔でいたいと思います。教会の礼拝においでになった方々、特に緊張しつつ初めて礼拝においでになった方を「笑顔」でお迎えしたいものです。そしてその方々がお帰りになる時は、「笑顔」でお帰りになられると、とてもすてきですね。
ご一緒にそのような教会を目指していきたいと思います。
教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人
「安心しなさい」2017年5月号
マタイによる福音書14章24節に「舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた」と書かれています。しかし、弟子たちは、このような苦難の中から再び主の新しい姿を眺めることができる栄光に与るようになります。その栄光とは、苦難の中で主に出会うことです。
私たちの人生の道には苦難があります。たとえその道が、主が喜ばれる道であり、主が命じられた道であっても苦難が伴います。それゆえに、イエスは、「あなたは、世界の中で苦難にあっても勇気を出しなさい」と言われたのです。しかし、主は、私たちの苦難を無視していないし、苦難の中で、私たちと一緒におられます。その苦難の中で、私たちを救ってくださいます。
パン5つと魚2匹の奇跡が起きると、多くの群衆は確かにこの人こそ、自分たちが望むメシアと言いました。そして、彼らはイエスを自分たちのそばに置いて無理にでも彼らの王にしようしたのです。イエスは、このような彼らの行動から逃れようと、弟子たちに船に乗って、自分よりも先に、湖の向こう側に行くように命じられました。
主はどのような場合にも、栄光を取られませんでした。その方は、徹底的に自分を低くし、父を高くしました。イエスは、「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。」(マタイ26:53)としながらも、自ら苦難の杯を飲みました。
イエスは、問題があるたびに祈りました。主はサタンの誘惑に勝つために祈りました。主は明らかに神でしたが、しかし、人の姿でこの世に来られたので、サタンの誘惑に勝つためには祈りが必要でした。主の命令によって船に乗った、弟子たちは、すでに陸地から遠く離れた湖の中にいました。ところが、突然風が吹き始めました。彼らは風によって多くの苦しみを受けていました。真っ暗な夜中です。夜は霊的な闇の状況を意味します。
私たちは、このような霊的な暗闇の力にとらわれないために、主の光を私たちの人生の道に照らす必要があります。「あなたのみ言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」(詩篇119:105)風が吹いてきて、波がおこった。これは、苦難にあう人生を語っています。湖の真ん中で暗に会ったのです。
人間の力ではどうしようもない状況に陥り必死な彼らに近づいて主は「安心しなさい」と言われまし。私たちは、どのような苦難にも「安心しなさい」という主の声を聞いて、あわてず、心の平安を求めなければなりません。安心という言葉は、「勇気」を持てという意味です。次に、「恐れることはない」と言われました。この言葉は、「どのような場合にも、主があなたと一緒におられる、勇気を出しなさい 」ということです。
今、私たちの教区に最も必要な言葉は、「安心しなさい、私はあなたと一緒にいる」という主の声を聞いて、主と共に行動することです。どんな困難があっても、主は、東北教区と一緒にいらっしゃいます。
東北教区の皆さん、主と共に行きましょう!!!
司祭 ドミニコ 李 贊熙
あけぼの2022年3月号
巻頭言 東日本大震災の日に寄せて 「来て、見なさい」ヨハネによる福音書1章46節
コロナ禍になって3年目を迎えてしまい、様々な制約がある中で残念と思うことのひとつに、被災地訪問ができなくなったということがわたしにはあります。

石巻市大川小学校モニュメント「Angel of Hope」
山形に勤務していた時に信徒のみなさんの賛同を得て、2013年の新地町、石巻訪問から始まり、宿泊を伴う遠出計画は成りませんでしたが、土曜日や祝日に日帰りで回れる仙台市沿岸部、名取市閖上、女川町、南三陸町などを、年に春・秋の2回を目標に訪問させていただきました。
ご一緒くださった信徒の方からは「ニュースで見て大変なことだと涙が流れたが、実際に来てみると、画面だけでは伝わらないものを感じることができる。ただ行くだけなんて申し訳ないことかと感じていたが、来て良かった。」と感想をいただきました。
また、私自身が「いっしょに歩こう!プロジェクト」や「だいじに東北」の働きにかかわらせていただいたおかげで、多少なりとも現地での案内をすることができたことも感謝でした。そんな中で明らかに地元の人間ではないと見える集団に、毎回声をかけてくださる地元の方がいたこともうれしいことでした。山形から訪問させていただいていることを告げると「ほんとによく来てくださいました。ありがとう。」と言われて恐縮してしまいました。どの方とも良い出会いで、それこそニュースでは伝えきれない体験や思いをうかがうことができて、これも現地まで足を運ばないと体験できないことでした。
秋田に移動となり、釜石や気仙沼は片道約3時間の行程で、行けないことはないかななどと考えていたのですが、実現できないまま2年の月日が経ってしまいました。
3月11日が近づき、それを覚える礼拝は、今年も残念ながら各地に分散してのものとなりましたが、秋田では警戒レベルがさらに上がるとの予想が出ており、何とか3月までには安心できるレベルになっていることを祈っています。
そんなことを思いながら、何となく聖公会手帳をぱらぱらとめくっていてあることに気が付きました。教会の手帳ですから当然のことですが、公会の祝祭日が載っており、そのほか国民の祝日、広島・長崎原爆の日、聖書日課表の次にある「日記」には、ひな祭りや友引まで書かれているのに、3月11日の欄には(春期聖職按手節)の記載があるだけです。一般のカレンダーも手元にある分については特に記載はありません。ほかにも大災害と呼ばれるものは、年を追うごとに、残念ながら増えてくることでしょう。「それを載せるのならこれも」と難しいこともあるかもしれないのですが、日本聖公会のみならず、世界の聖公会が祈りと持てる力を上げて支援した東日本大震災、その日3月11日は、「いっしょに歩く」ことの象徴として日本聖公会の手帳とカレンダーに載せて記憶しても良いのではないかなと思いました。2011年以降に生まれた子どもたちは小学校の高学年になっています。この出来事を知らない人たちが年を追うごとに増えていくのでしょう。だからこそ、これからも教会は「3月11日・東日本大震災の日」を記憶し、何が起こり、わたしたちはどう動いたのか、その経験をどのように生かしているのか、今何をすべきなのかをあかし続けていきたいものだと思います。
秋田聖救主教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福
「日々の中に・・・・」2017年7月号
朝玄関で「おはようございます!」と声をかけ、小さな声で「おはようございます」と答える子と握手する。午後は卒園児が「ただいま!」と幼稚園にやって来て、「お帰り!」と迎える。これがセントポール幼稚園の毎日で、笑顔溢れる毎日です。
朝、礼拝堂でのお祈り後、教会の周りを散歩。沢山の出会い――犬を連れて散歩されている方、歩行の訓練をされている方、ごみ収集所でほうきをもって立っている方、お庭のお花にお水をかけている方、学校へと急ぐ学生たち――声をかけ、声をかけられながら。
最近は近くのコンビニの方々から、「今日も早いね、行ってらっしゃい!」と声をかけられる様になりました。秋田出身と伝えたら、「秋田名物八森はたはた~」とレジの前で秋田音頭を歌ってくれました。また、文の最後に「~ばい」を付ける郡山弁を教えて頂いた。「今日は寒いばい!」と慣れない言葉で伝えた時の相手の笑顔が心に残ります。寒い日には「持ってって!」とあったかいコーヒーを渡され、その温もりに「せば、まんず!」と秋田弁で照れ隠しをする自分がいます。
これが日常、郡山での毎日です。日の光を浴び、風を感じ、道端の花を愛でるように、わたしにとっては尊く、何ものにもかえがたい宝物です。
ただ、ただ、毎日を生きる。日々の生活をし、交わり、季節を感じ、それを愛で、感謝し、生きている、いいえ、生かされている。
わたしは、言葉に言い表せない思いで溢れています。心からの感謝と共に、その毎日を笑顔と一緒に大切に歩んでゆきたいと願います。
人は歩みの中で、足りないことや出来ないことを気にしがちです。でも、じっくりとゆっくり見渡せば、既に与えられている恵みが沢山あると思うのです。
自分にないものを考えたらきりがありません。でも、与えられていることに思いを巡らし、感謝し、それから学ぶことの尊さを思います。
わたしがここ、郡山に来た時は緊張・戸惑い・不安で一杯でした。でも、「そのままでいいからね。いてくれるだけでいいんです。」という言葉、体調を崩した自分にご飯を届けてくれた、命の尊さをご自身の想いを短い言葉で伝え励ましてくれた、その一つひとつの温もりが自分に新たな歩みを始めるきっかけをくれました。
私は神様のみ前にいること、教会にいること、そして自分の首にカラーを付けることにおそれを感じます。自分を律し、願い求め、神様の御前に清くありたいと思いながらも、これほど破れがある自分が許せない・・・。それを「そのままで」という言葉が、沢山の想いが、祈りが、そして笑顔が自分を救い、支えてくれています。
多分、聖書の中のみ言葉から皆様にお伝えすることが今回の私に求められていることでしょう。でも、わたしは日々の生活の中に、毎日の営みの中、その只中に、み言葉、そして日々の出会いの中に“主”を感じていることをお伝えしたいと思います。
また明日、礼拝堂でお祈りをお捧げします。教会の周りを散歩します。あのご婦人に会えるかな? あのワンちゃんは元気かな? あのほうきを持って立っているおじさんはいるのでしょうか? 今日は、あの子は泣かないかな? 幼稚園の先生たちは元気かな? 教会に集う皆さんは元気かな? 日曜日のお話し、全身全霊をかけて取り組みます。いつものコンビニでの笑顔と会話、全部楽しみです。
すべてに感謝します、心から。
主に感謝。
執事 アタナシウス 佐々木 康一郎
あけぼの2022年4月号
巻頭言 イースターメッセージ 「おはよう、喜びなさい」
イエス様が十字架の上で死なれてから3日目の朝、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、ヨハナなどの女性たちが、イエス様のご遺体が葬られた墓まで出かけて行きました。彼女たちは、悲しみをはるかに越えたショックを受けていたのですが、訪れた墓でそれ以上の衝撃を受けることになったのです。
1つは墓の前に座っていた天使が「イエス様は墓の中におられない。復活なさったのだ。弟子たちに復活されたことを知らせなさい」という意味のことを告げたのです。そればかりか、今度はイエス様が彼女たちの行く手に現れ、「おはよう」と言われたのです。確かに早朝ですから「おはよう」かもしれませんが、この状況の中でいくらイエス様でも「おはよう」はないんじゃないかと思われませんか。
この「おはよう」と訳されているカイローという言葉は、「平和を祈る」という挨拶言葉で、「喜ぶ」とか「喜び祝う」とも訳せる言葉です。例えばルカ伝で、失われた1匹の羊を見つけ出した羊飼いが、村の人々に「一緒に喜んでください」と言った、あの「喜び」と同じ言葉なのです。
そうしますと、このイエス様の「おはよう」は単なる朝の挨拶ではなく、「喜び祝いなさい」という意味なのではないでしょうか。では彼女たちは、そして私たちは、何を喜び祝えばよいのでしょうか。
その1つは、ご復活の最初の証人として選ばれた彼女たち、意味不明な天使の言葉を弟子たちに伝えに行こうとしていた彼女たちの行く手にイエス様が立っておられて「おはよう、喜び祝いなさい」と言われたことです。つまり悲しみと混乱の内にある人々の前に、イエス様は先回りして待っていてくださったのです。
もう1つの喜びは、この後イエス様が彼女たちに「行って、わたしのきょうだいたちにガリラヤに行くように言いなさい」と言われたことです。イエス様が言われる「わたしのきょうだいたち」とは、「弟子たち」のことでしょう。その弟子たちとは、宣教の初めからイエス様に召し出されていたにも拘わらず、勘違いばかりでイエス様のことが分かっていなかった弟子たち。「今夜、あなたがたは私につまずく」とイエス様に言われて、ペトロをはじめ全員が声をそろえて、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と大見得を切ったあの弟子たち。イエス様が逮捕された途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ去り「イエスなど知らない」と自己保身のためにイエス様を見捨てたあの弟子たちのことです。そのような弟子たちですら、ご復活のイエス様は、「わたしのきょうだいたち」と呼んでくださるのです。
この「おはよう、喜びなさい」というイエス様の呼びかけは、2000年前の出来事であるだけでなく、今、この時にイエス様を「主」と呼ぶ私たちに対する呼びかけでもあります。いつ、どんな時にも、ことに私たちが悲しみや混乱のうちにあるときに、イエス様は私たちに先立って待っていてくださり、「喜びなさい」と慰めの言葉をかけてくださるのです。そして、このような私たちをも受け入れて、「わたしのきょうだいたち」と呼びかけてくださるのです。
このイエス様が、今日よみがえられたことを、心から喜び、お祝いしたいと思います。
教区主教 ヨハネ 吉田 雅人
新主教メッセージ「耳を傾けて聴く」 2018年1月号
あけぼの2023年1月号
巻頭言 クリスマス・メッセージ 「心に花咲く、クリスマス~越冬つばめとなった教会~」
先月行われた教区会において、新庄聖マルコ教会、鶴岡聖公会、室根聖ナタナエル教会の他教会との合併に関する議案が可決されました。このことは、霊的にはこれらの教会が合併先の教会とともに歩みを始めることであり、決して消滅ではないと理解されています。
私事になりますが、鶴岡聖公会には1994年から2000年までの6年間奉仕させていただきましたので、特別な思いが募ります。当時私どもの子どもたちが幼い頃だったこともあり、冬の大雪の中にあっても、また信徒の皆さんと和気あいあいと過ごし、楽しい思い出で溢れています。ある年のクリスマスには、子どもたちも含めて皆でお友だちや知人を招待し、礼拝堂が一杯になるほど賑やかになったこともありました。思いがけず多くの人々で溢れ、祝会の食事が間に合わず、慌てたこともありました。1995年の阪神淡路大震災の時には、当時教会で扱っていた庄内特産の漬物「しなべきゅうり」を被災地に届ける運動なども行われました。また、仙台基督教会聖歌隊の訪問など、どれも懐かしい出来事です。
また、新庄聖マルコ教会にあっては1982年に行われた伝説の「青年の集い・ワークキャンプ」などを思い出すにつれ、その場所に教会がなくなってしまうことを思うと「心がしぼみ」、悲しみが増してまいります。また信徒の皆さんの寂しく悲しい思いは想像に難くありません。
このような思いの募る中、先日歌手の森昌子さんの歌う「ヒュルリ、ヒュルリララ」が心に残る「越冬つばめ」を作詞された石原信一さんの講演を聴く機会が与えられました。石原さんは会津の出身で、長く東京在住ですが、ずっと若松諸聖徒教会の信徒で、母上は若松聖愛幼稚園の先生でいらした方です。その中で「越冬つばめ」の制作秘話を紹介され、越冬つばめは、実際に見たことはないが「生れ育った会津の家のこたつの中にいました。」と語られました。それは、幼い頃母親が読んでくれた「幸福の王子」(アイルランド出身のオスカー・ワイルド作)に登場する「つばめ」だというのです。
「幸福の王子」のお話は、とある町の中心部の高く立つ灯の上に、若くして亡くなり、しかも不思議なことに自我を持った王子の像が立っていて、あちこちを飛び回って様々な話をしてくれるつばめと共に、苦労や悲しみの中にある人々のために像に飾られている宝石や体を覆っている金箔を分け与え、みすぼらしい姿になっていくお話です。つばめは一刻も早く南に渡らなければならないのに、王子像と運命を共にする覚悟を決め、王子に仕えます。王子は宝石でできた目さえも差出し、つばめもとうとう像の足元で力尽きます。その後、像は何も知らない人々によって溶かされ、像の鉛の心臓とつばめの死骸だけが残ります。天国では、地上の様子を見ていた神が、天使に「この街で最も尊いものを二つ持ってきなさい」と命じ、遣わします。天使はゴミの中から王子の鉛の心臓と、つばめの死骸を取り上げて献げ、神は天使を褒めたという話です。
クリスマスを迎える時、越冬つばめの姿と天上にささげられた教会が重ね合わせられ、私のしぼめる心に、ようやく一輪の花が咲くのを覚えました。心から皆さまにクリスマスのお祝いを申し上げます。
郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀