教区報

教区報「あけぼの」 - メッセージの記事

あけぼの2021年4月号

巻頭言 イースターメッセージ「イエス様の眼差し」

 

 

新型コロナウイルス感染症が終息に向かう兆しの見えない中、2年目のイースターがめぐってきました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

 

自分が他の人にうつしてもいけないし、うつされるのも困る「鬱々とした生活」。3密を避け、フィジカル・ディスタンスを取らねばならないことから生じる「交わりが遮られる生活」。すべては私たち一人ひとりの「自粛生活」にかかっていると言われています。

 

このような状態の中で、私たちは喜んで主のご復活をお祝いできるのでしょうか。皆で集まってイースター礼拝をお献げできなかった昨年に比べれば、今年はまだましかもしれません。

 

 

✠2000年前のご復活日の朝✠

 

マルコ福音書第16章は、ご復活の朝の出来事について興味深いことを記しています。

 

「週の初めの日、朝ごく早く、日の出とともに墓に行った」マグダラのマリアたちは、イエス様を葬った墓の入り口で白い衣を着た若者から「あの方は復活なさって」と喜ばしい知らせを告げられます。しかし彼女たちは「震え上がり、正気を失って・・・誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16・1~8)。

 

この後の10~11節でも、マリアが泣き悲しんでいるイエス様と一緒にいた人々にご復活の事実を知らせても、彼らは信じませんでした。12~13節でも、ご復活のイエス様と出会った二人の弟子が、他の弟子たちにその事実を知らせたけれども、「彼らは二人の言うことも信じなかった」というのです。

 

 

✠主は振り向いて✠

 

皆さんは、ペトロがイエス様のことなど知らないと、三度も否認した物語をご存じのことと思います。ペトロはその前(ルカ22・34)で、イエス様から「あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と言われます。その直前には「主よ、ご一緒になら、牢であろうと死であろうと覚悟しております」と大見えを切っていたのですが。しかし、いざとなった時、ペトロはイエス様が言われたように三度も知らないと断言してしまい、鶏が鳴きます(ルカ22・54~60)。

 

その直後、61節は「主は振り向いてペトロを見つめられた」と記しています。その時、イエス様はどんな目でペトロを見つめられたのでしょうか。

 

✠私はあなたのために祈った✠

 

ご復活の朝、どの弟子たちもイエス様が十字架に死なれたことで希望を失い、おさき真っ暗で鬱々とし、一緒にいても心はバラバラで誰も信じられない、そんな状態でした。

 

そのような中で、ペトロは一つのことを思い出したのではないでしょうか。それは「振り向いて自分を見つめられたイエスさまの眼差し」です。きっとそれは非難する目つきではなく、優しく暖かい眼差しだったと思います。なぜならイエス様はペトロに「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。だから、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい(ルカ22・32)」と祈っていてくださったからです。

 

イエス様はペトロのためだけではなく、すべての弟子たちのために、そして私たち一人ひとりのためにも同じように祈っていてくださいます。

 

そのように祈り続けてくださる主イエス・キリストのご復活を、ご一緒にお祝いいたしましょう。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2021年3月号

巻頭言 東日本大震災 10周年メッセージ「共に祈り、共に歩む」

 

 

 今から10年前の3月11日(金)の午後4時前頃、当時ウイリアムス神学館におりました私は、コモンルームから聞こえた「ウォーッ!!」という叫び声に驚き、急いで降りてみますと、テレビの画面には名取市閖上の浜を遡上する白い波と、その先の道を逃げていく自動車が映っていました。その映像から津波の恐ろしさを感じると共に、「無事に逃げ切ってほしい」と、祈るような思いで固唾を呑んでいた自分、何も手助けのできないもどかしさを感じていた自分がいたことを憶えています。

 

 

✠ 10年、私たちの歩み ✠

 

あれから10年の年月が過ぎました。その間、私たちは自らの復興と同時に、管区やご支援くださった多くの教区の皆様がたと共に、「いっしょに歩こう!プロジェクト」、「いっしょに歩こう!パートⅡ だいじに・東北」の働きを通して、4年間、被災者の方々や被災地の復興に、微力ながら思いと力を注いできました。2015年からは「東北教区東日本大震災支援室」、2019年からは「東日本大震災被災者支援プロジェクト」として歩んできました。

 

この間の私たちの歩みを支えてきたもの、私たちの歩みの原動力となったものは、「私たちの隣りに苦しみ悩む人たちがいる限り、『共に祈り、共に歩む』ことが東北に遣わされた教会の姿である」という確信だったと思います。

 

 

✠ 共 に 祈 る こ と ✠

 

「祈り」は、祈るだけで終わるわけではありません。祈りは「行動」への出発点でもあります。

 

祈りは4つの部分、①神への呼びかけ、②神の救いの御業を述べる(感謝)、③祈願、④とりなし(結び)から成っています。私たちは3番目の「祈願」の部分で、「私たちはこうありたい、こうあってほしい」と願います。神様は私たちのこの願いを受け止めてくださり、私たちがそうあれるように促し、勇気づけ、願いの実現に向けての第一歩を踏み出させて下さるのです。

 

そして私たちは「共に祈る」ということを大切にしようとしています。共に祈るためには心と思いを一つにすることが求められます。

 

 

✠ 共 に 歩 む こ と ✠

 

私たちが大切にしようとしているもう一つの点は、「共に歩む」ということです。私たちは各々、歩幅も違いますし、歩く速度も違います。

 

そんな私たちが「共に歩む」ためには、互いの歩き方や速度、歩いていく方向を、互いに感じあい、気配り・目配りしなければなりません。そうでなければ、一緒に歩いているつもりで、いつの間にかバラバラになってしまうかもしれないのです。

 

では、誰に合わせればよいのでしょうか。やはりそれは共に歩んでいる中で、一番ゆっくりの人に合わせることが大切ではないでしょうか。

 

 

✠ も う 一 度 原 点 に ✠

 

大震災から10年の年月が過ぎました。私たちはこれからも「私たちの隣りに苦しみ悩む人がいる限り、『共に祈り、共に歩み』続けていきたい」と思います。それはまさに、ご復活の日の夕方、エルサレムからエマオへ失意のうちに歩いていたクレオパともう一人の弟子に近づき、一緒に歩いてくださったご復活のイエス様、パンを祝福して祈ってくださったイエス様に倣って歩むことではないでしょうか。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2020年4月号

イースターメッセージ 「不安と疑いの只中で」

 

主イエスが復活された日、弟子たちは不安な一日を過ごしていました。夕方、彼らは集まっていた家の戸にしっかりと鍵をかけ、息を潜めて閉じこもっていたのです。彼らは、「ダビデの子にホサナ」と歓呼の内にイエス様をお迎えし、その6日後には「十字架にかけよ」と絶叫した群衆を恐れていたのです。

 

その恐れは人間の豹変するありさま、人間のもつ身勝手さに対してであり、人間不信の思いでもありました。しかもそれはユダヤ人に対してだけでなく、イエス様が危機の時、我が身大切のあまり、大事な先生を放り出して蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった、自分自身をも含めた弟子たち一人ひとりに対する不信でもありました。その意味で、彼らは家の扉だけでなく、自分自身の心の扉にもしっかりと鍵をかけ、自分の内側に閉じこもってしまったのです。

 

 

このように疑心暗鬼に陥っていた弟子たちの真ん中にイエス様がおいでになって、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃっています。普通、私たちはお互いの「不安と疑い」が解消されて後、初めて「主の平和」と言えると思いますが、イエス様は「不安と疑い」の只中に来られ、シャローム、あなたがたに平和があるように」と宣言してくださるのです。

 

 

新型コロナウィルスの脅威にさらされている現代社会において、為政者は結果だけを求めているように見えます。結果さえよければ、その過程で起きる不安や疑いは無視されてしまっているように思います。その過程で他の人が苦しもうが、不安になろうが、疑心暗鬼になろうが、全く問題にされません。しかし人間は結果だけで生きているわけではありません。最初から最後までの全ての過程を生きているのです。いやむしろその過程を大切にしながら、苦しみ悩みながら生きているのではないでしょうか。とすればいかに結果がよかろうと、その過程で生じた苦しみや悩み、不安や疑いを帳消しにすることはできないのです。

 

 

復活のイエス様は、結果に対して「シャローム」を宣言されるのではなく、その過程の只中においでになり、「あなたがたに平和があるように」と祈ってくださるのです。その過程で生じるありとあらゆる苦しみ、悩み、不安、疑いに対して、「シャローム」と言われ、その只中に生きる私たちの人生を祝福してくださるのです。その只中を生きる私たちと共にいてくださいます。

 

確かに私たちの人生は、苦しみ、悩み、不安、疑いで満ちています。しかし主が私たちの真ん中に立たれ、私たちと共に歩まれ、「あなたがたに平和があるように」と言われる時、私たちは喜びに満たされるのです。そしてイエス様が「あなたがたを遣わす」と言われる時、あなたは、今あなたが抱えている様々な苦しみや悩みを背負って生きなさい。不安や疑いを持ったあなたそのままの姿で、わたしはあなやをこの世界に派遣する。なぜならあなたは、今のあなたの現実の姿のままで、わたしの「平和」をも携えているからだ。わたしの「平和」を携えている限り、あなたは恐れることはない。

 

イエス様は、このように私たちに声を掛けてくださっているに違いありません。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田雅人

 

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あけぼの2020年3月号

東日本大震災 メッセージ 「国破れて山河あり 山河破れて」

 

2019年に96歳で逝去された日本文学者・文芸評論家として知られるドナルド・キーン氏のテレビ番組を観ていました(NHK「あの人に会いたい」)。東日本大震災以後に日本に帰化したことでも知られています。番組の中の言葉から。

 

「国破れて山河あり」という言葉がある(中国の詩人・杜甫)。しかし、この大震災を経験した今、山河も破れてしまうことをわたしたちは知ってしまった。そのあとに残るのは何か、それは「言葉」「文学」であると。そういう内容でした。文学者として「文学が残る」というのは理解できますが、わたしはそれを聞きながら、やはり「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という『イザヤ書」の言葉を思い起こさずにはいられませんでした。確かに山は崩れ、河は流れを変えてしまうことが起きています。美しい田園風景もかさ上げされ、よく言えばきれいに、別な言い方をすればとても無機質にアスファルト舗装された風景が見渡す限り東北の太平洋岸に広がっています。「山河も破れる」のです。詩編にも「地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも」という言葉が見られます。しかしそれは「わたしたちは決して恐れない」という信仰告白と結ばれているのですが。

 

 

残る言葉とはどういう言葉なのでしょう。この経験を語り継ぐ訥々とした一人一人の言葉なのか、祈りなのか、聖書の言葉、信仰の言葉かも知れません。この大震災以降に、記録的な文書から物語、思想的な書物まで実に多くの言葉、文字が書かれ、「震災関連本」という言い方さえされています。

 

釜石市鵜住居地区防災センター跡地碑

釜石市鵜住居地区防災センター跡地碑

一つ具体的に言えば、現在被災地各地でさかんに行われている「語り部」の活動もあるでしょう。震災当時子どもであった現在の中高生たち等、若い人も語り継ぐことに取り組んでいます。言葉で伝えることも決して簡単ではないでしょう。かさ上げされ整地されたアスファルトの広がりを見ながら、そこにあった自然と人々の生活、そしてそれを一瞬で奪い去った出来事を思い巡らすことは容易ではありません。しかしそれでも被災地各地で整えられている記念の碑や震災遺構、そこで展開されているもろもろの働きには、ぜひこれからも触れていただきたいと思います。

 

 

 

 

大震災発生から9年目の日を迎えます。そして10年目の日へとまた向かっていきます。政府主催の記念式典も10年で区切りをつけると伝えられています。しかし10年は一つの節目であっても「区切り」をつけてはならないと思います。むしろ思いを新たに、ただし東日本大震災だけでなく、その後今日に至るまで発生し続けた各地での災害、日本全体の問題である原発事故のこと、エネルギー問題をはじめわたしたちの、そして日本の生き方のことをさらに深く思い巡らす旅が始まらなければならないと思うのです。本当にわたしたちは次の世代に何を伝えるのか、良いものを残すことが出来るのか、危機的なところにわたしたちは立っています。

 

主教 ヨハネ 加藤博道(磯山聖ヨハネ教会牧師)

 

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あけぼの2020年2月号

新年メッセージ「教会を『開くこと』」

 

昨年の教区会で可決された『宣教方針(ミッション・ステートメント)』の「開くこと」の第1に「教会を地域社会に開きます」とありますが、どうすればよいのでしょうか。

 

どの教会にも礼拝案内やお知らせ等記した「案内版・看板」があります。またそこには、プロテスタント系の教会にはしばしば見られますが、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(マタイ11:28)」という、有名な聖句が掲げられているのをご覧になったことがあると思います。これは人生に疲れている私たちに呼びかけられた、イエス様の招きの言葉でありましょう。

 

しかしこの聖句は誤解を招きやすい言葉でもあります。と言いますのは、何かしらの重荷を負って歩む人生に疲れている私たちは、「休ませてあげよう」とか「安らぎを得られる」という言葉に、真っ先に目が行ってしまうからです。新約学者の速水敏彦司祭も「この言葉を、私は長い間、イエス様の膝枕で、いや、イエス様の懐の中でぐっすりと眠ることだと理解していました」と、ご著書の『新約聖書 私のアングル』の中で書いておられました。

 

しかし、イエス様の御言葉は「休ませてあげよう」で終わっているのではなく、次の言葉が続いています。「わたしの
くびき
を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

 

 

軛というのは、二頭の牛をつなぐために用いられた道具のことです。イエス様が生きておられたパレスチナでは、牛のサイズをよく計ってから、木で軛を作り、牛の首を痛めないように、丁寧に調整したと言われています。牛の人生がこの軛を負って労働することであるように、私たちもそれぞれ、その人なりの人生の重荷、軛を負って歩んでいます。時には自分の力では負い難い、捨て去ってしまいたいという誘惑に駆られることもあります。そのような時に、「休ませてあげよう」とか「安らぎを得られる」というのは、その軛を取り去られること、束縛や重荷からまったく自由になって、束縛や重荷から気ままに振舞えるようになるということではありません。そうではなく、軛を負いやすくなるということなのです。

 

先にも言いましたように、軛は二頭の牛をつなぐために用いる道具です。私たちの負う軛のもう一方には、イエス様が同じ軛を負ってくださるのです。二頭の牛がひとつの軛につながれて、共に重荷を負い合ったように、イエス様が共に、私たちの軛をも負ってくださるのです。

 

教会を地域社会に開く時、きっといろんな方が訪ねてこられると思いますし。その中にはきっと「教会に来て安らぎを得たい」と願っている方もおられると思います。その時、私たちの教会が単なる仲良しグループなのか、イエス様の教会なのかが試されるような気がします。

 

 

私たち一人ひとりが「自分自身の重荷」と共に「他者の重荷」の一部でも担おうとする時、必ずイエス様がその両方を負ってくださることを信じて、教会を「開いて」行きたいと思います。

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2020年1月号

巻頭言 クリスマスメッセージ「インマヌエル」

 

 

クリスマスおめでとうございます。

 

偉大なお方の死後、そのお方の一生を振り返る時、その誕生も物語られるでしょう。ご復活されたお方の誕生は、さぞかし輝かしい瞬間として歴史に刻まれたでしょうか?マタイ伝とルカ伝の記録は、あまりにも普通と言えば普通、ごくありふれた庶民の場合と同じと言えば同じご様子でした。

しかしながら、その日常の中に神様の御業が現れてきます。その神の御業を御業として、きちっと受け止められるかどうかで、状況は180度違う方向、結果へと誘われていきます。エリザベトは敏感に感じ取り恵みを分かち合い、羊飼いたちは自分の目で確かめようと行動し、3人の博士たちは後々の事態を暗示する品々を献上し、マリアとヨセフはこの出来事を心深くに留め続けて、その後の人生を営んでいくことになりました。

 

 

「インマヌエル」これが御子の存在意義を表現する、伝統ある言葉です。その意味は「神は、我々とともにおられる」です。御子と神がごいっしょされておられるように、神は私たち人類とごいっしょしておられるのです。ここに、神の愛が現れました。

 

神は人類の罪を赦すために、神の独り子をこの世にお遣わしになられました。その独り子の名をイエスとされました。その時まで神を見た者は一人もいませんでした。神を知らない世界ではなくて、神を知る世界を到来させるために、御子を現されたのです。その御子を人類が目の当たりにして、神を信じる為です。

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたが私を知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネ伝14:6-7)

 

 

御子に神の愛が詰まってます。12弟子たちは傍近くでこの方を見、お話を聞き、語り合い、触れ合ったので、神の愛に出会ったのです。その弟子たちが後世に語り伝えた物語が、福音書に満載されているのです。ですから、私たちは聖書特に福音書を通して、御子イエスに出会うのです。出会いによって、神の愛に触れる訳です。また、私たちが経験する出来事の中でも神と出会っていきます。その出会いの中でやはり神の愛を感じ取っていくのです。

 

私たちは、それ故イエスの言動を注意深く、信仰深く読み取って、イエスのお心を探ります。イエスの人間理解、人としての生き方、考え方、神に対する信頼が分かりますと、それを私の生き方としたいと強く求めるようになります。そうして、イエスの思考が私の思考になり、イエスの生き方が私の生き方になり、イエスの行いが私の行いになりますようにと願うようになります。イエスの生き様を捉えて、そのまま私の生き様になるようにイエスに倣いたいと切に思うようになります。聖パウロが言うキリストをこの身に着たいのです。キリストという服を常時着用していたいのです。この服には「愛」「大事に」「大切に」というプリントが付いています。この服を着て互いに大事にし合えば平和を呼び寄せ、平和へと歩を進めていけます。

 

クリスマスのお恵みが皆様一同にありますように。
アーメン

 

 

司祭 フランシス 長谷川清純(仙台基督教会牧師)

 

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「恐れ戸惑いながら、思いを巡らせる〜東日本大震災から8周年の時に思うこと〜」あけぼの2019年3月号

恐れにとらわれ
さまよう闇路に
ひるまぬ心を
お与えください
いかなる時にも
あなたはともに
神よ力を
生きる力を
(日本聖公会聖歌集477番)

 

 

「想像力を失わないでください」と東日本大震災発生時に呼びかけられた加藤主教の言葉、そして「人が一人もいなくなってしまった街って想像出来ますか?」と大切な友人に尋ねられた時に何も応えられなかったことを、今思い出しています。

 

怖くて情けないぐらいに、私の中で東日本大震災が過去の出来事になってきてしまっています。「3.11」と記号化してしまっている自分がいます。

 

今年のお正月に家族で八戸から福島県いわき市に住む両親のもとへ車で帰省して常磐道を走って道路から見える景色を見たときに、行きは夜になってしまったので漆黒の闇の中を走りました。帰りは昼間でしたので景色が見え、その時に飛び込んできた情景が脳裏に焼き付いています。

 

また、両親の家で書棚にあった震災で家族を亡くした方の手記が何気なく目にとまりました。つい先日は八戸の図書館で『3.11を心に刻んで』(岩波書店編集部)という本が妙に気になって借りて読みました。

 

 

想像力を失っていた私に与えられた出来事は一体何だったのだろうかと思い巡らせています。

 

「大震災に思うこと」という原稿依頼を頂いた時に正直何を書けばいいのだろうかと迷いました。そんな時に与えられた聖書のみ言葉がありました。

 

今年の1月20日(顕現後第2主日)は、福音書でカナの婚礼の物語が読まれました。婚礼に招かれたイエス様が水を芳醇なぶどう酒に変えたという有名な奇跡物語です。この中でイエス様とマリアのこんな会話のやりとりがあります。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。(ヨハネ2:3〜5)

 

イエスの言葉は一見とても冷たく聞こえます。しかし、母マリアはイエス様が示されようとした「時」を待つのです。考えてみればマリアの生涯は天使ガブリエルから受胎告知を受けた時から「恐れ戸惑い」の歩みだったと思うのです。しかし、彼女はそれらの出来事すべて思い巡らせて心に留めて生きられました。

 

この世の時間軸では恐れ戸惑いの連続です。特に私が今思うのは想像力を失ってしまっている己の姿に恐れ戸惑っています。そんな私に主はみ言葉を通して、今再び震災が過去の出来事ではなく今も悲しみ、苦しみ、怒り、むなしさの中で今を生きている被災者の方々や被災地のことを思い巡らせる力を与えてくれました。神様が与えてくださる「時」の中に生きようとしたマリアのように生きるようにイエス様は私たちを招いてくださっていると思います。

 

八戸聖ルカ教会牧師 司祭 越山 哲也

あけぼの1月号「2019年新年メッセージ」をアップしました。

あけぼの1月号、新年メッセージ「わたしにできることを献げます みんなで力を合わせて献げます」を主教室より内、主教メッセージに掲載いたしました。

下記リンクよりご覧ください。

2019年 新年メッセージ

クリスマスメッセージ「和解の王として来られたイエス・キリスト」2018年12月号

東北教区の皆様にご挨拶申し上げます。12月より、大韓聖公会テジョン教区から移籍し、日本聖公会東北教区司祭として働くことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

神に似せて造られたはずの人の姿が、美しくではなく、むしろだんだん醜くなっているようで胸が痛みます。誤った人間の姿が、あちこちに現れているように感じます。それにもかかわらず、愛である神様は、人間の姿で私たちのもとに来てくださいました。皆さんの上に豊かな恵みと、世には平和と愛が豊かにありますように願います。

 

神様の姿から遠くなってしまった私たちのために、神様はご自身で私たちのところに来られました。預言者アモスを通して義を、預言者ホセアを通して愛を示され、預言者エレミヤは涙を以て私たちが新たに生まれることを叫び続けたのです。洗礼者ヨハネは「悔い、改めよ。天の国は近づいた。」と叫びました。また、続けてこうも叫びました。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(マタイ3:1〜3)

 

 

人と人との間に、隣人と隣人との間に、国と国との間に、憎しみと紛争がいつもあります。その憎しみのあるところに、幼子イエス・キリストは来ました。憎しみがいっぱいあるところに愛が溢れるようにするために、メシアとして私たちのところに来られたのです。

 

人と人との間、隣人と隣人との間、国と国との間の対立と紛争は、まさに人の高慢さが生んだ競争心理からくるものです。しかし、平和の王、イエス・キリストが来られたので、いと高きところには栄光、地には平和が訪れました。正しいことにより過ちが、明るさより暗さが、真実より偽りが横行するこの世に、幼子イエス・キリストが光としていらっしゃいました。光は闇を追い出します。

 

 

幼子イエス・キリストは仕えられるためではなく仕えるために来られたので(マタイ20:28)、私たちも人から慰められ、理解され、愛されるより、他の人々を慰め、理解し、愛さなければなりません。イエス・キリストは、この貴重な教えを十字架の上で実現するためにいらっしゃいました。

 


和解の王として来られたイエス・キリストは、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と言います。許しと和解は、キリスト教の最も大切な教訓です。神様は愛の神であり、同時に許しの神です。許さなければ許されません。他人を許して、それによって自分も許しを受けて、まさに私たちが飼い葉桶で生まれ変わることに、クリスマスの本当の意味があるのでしょう。許しと和解、そして愛の幼子イエス・キリストが東北教区共同体に言われます。「私が生まれた飼い葉桶で、東北教区共同体も生まれ変わるでしょう。」

 

 

仙台聖フランシス教会 牧師
司祭 ドミニコ 李 贊煕

「東日本大震災7年目の3月11日・・・福島からフクシマへそして福島へ」  2018年3月号

間もなく春の訪れと共にフルーツ王国福島のリンゴ、梨、ぶどう…の木々が花芽をつけていきます。私が住まいするいわき小名浜は東北でも有数の漁業の盛んな港町です。

 

しかし悲しいかな津波で破壊された岸壁、市場は見事に再建されましたが、市場の出入り口はシャッターで閉ざされ7年過ぎた今もシャッターが上がることはありません。近くの観光客で溢れていた魚市場は、地元の魚は並ばず、三陸産、北海道産、千葉県産…と7年目の春を迎えても漁場の最盛期を迎えるはずの小名浜は元気がありません。未だ試験操業が脈々とエンドレステープのように続いています。

 

福島はいつの間にか世界のヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと呼ばれるようになりした。震災から間もなくして郡山で開催された講演会で講師の方に福島と書いた講演の垂れ幕を、福島から急遽フクシマに訂正させられたことを思い出します。原発の被害を世界に発信するには福島でなくフクシマにそしてヒロシマ・ナガサキ・フクシマとするんですとその理由を説明されました。

 

福島と聞いただけで、7年経過した今でも上に原発の二文字が付きます。私が北海道旅行(毎年息子の墓参に出かけます)の際、お土産店の方にどちらからお出でになりましたかと聞かれて福島のいわきからと答えましたら、あー原発の福島から大変だね、「食べるものないよね」には唖然としました。北海道の物は安全だから沢山買って行きなさい。がんばってねと沢山おまけをいただきましたが、気持ちは複雑でした。6年過ぎても、福島は放射能の危険な地域のイメージが定着してしまったのか…、悲しい現実に向き合わされました。福島は福島でなくフクシマなんですかね…。

 

この話をいわきで宗教者の集まりで話したところ同じような体験をした方々が何人もいらっしゃいました。福島は「福音の島」福を呼ぶ島です。いわきの街中でも一時「ガンバッぺフクシマ」が主流でしたが最近はフクシマでなく福島と書かれたステッカーが多く目に留まるようになりました。想いのある温かな心を感じる福の島と福島に住まわれている方々と想いを共有したいのです。この呼び名だけで救われる人がいます。

 

今までに関わった2つの仮設住宅は、3月末を以って完全に閉じられます。仮設で不自由な生活を過ごされてきた大熊町、富岡町の方々は、復興住宅また新しい地域での生活が始まります。震災で地域が寸断され、また7年かけて出来た人との絆が再び寸断され、そして新しい生活に向き合います。最後に仮設に残された方々は殆どが超高齢者の方々です。このお正月も故郷に帰ることなくひっそりとお一人で仮設最後の大晦日、新年を迎えた方もいらっしゃいました。

 

聖テモテ教会はテモテ支援センターとして、3月までお付き合いをさせていただきました。限られた信徒の方が先達者の意思を継いで最後までほっこりカフェを継続していただいたこと、教会が主の器として試された7年間でありました。この震災に関わり教区を超えていわき市小名浜の仮設の人々を様々な形で支えお祈りくださった全国の教会・人々に感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。それでも5万7千人の故郷に帰れない人々のことを覚えお祈り下さいますよう心よりお願い申し上げます。

 

司祭 ピリポ 越山 健蔵(小名浜聖テモテ教会嘱託・テモテ支援センター)

 

※ 写真は被災直後の小名浜港