教区報
教区報「あけぼの」 - メッセージの記事
あけぼの2024年5月号
巻頭言 東日本大震災13周年記念の祈り 説教 「いのちの分かち合い」
2011年3月11日の東日本大震災から13年が経ちました。私はここ福島聖ステパノ教会で祈り、対談する片岡輝美さんから「福島からのメッ
セージ」を聞いて、原発事故後の現況を知らされて、キリストを信じる者として何かしら行動するようにと促されるでしょう。
毎年何処かで大規模な自然災害が起きる日本で、1月1日能登半島地震に私は震えおののきました。瞬間的に志賀原発はどうなっているか、が頭をよぎりました。大地震と原発事故が絡みます。原発が立つ地域はいわば過疎地であり、同時に大体は震源地近辺ですから、私たちは常時いのちの危険に晒されています。
現在(2月末時点)、能登半島地震の犠牲者は241人、安否不明者も7人にも上ります。2ヵ月経っても1万人以上が避難所生活、4,500人以上が断水状態の自宅避難者です。大きな不安がいつ解消されるのか見通しが全然立っていません。まさに過酷な状況で大変な苦痛と心労を抱えています。
2011年当時、福島県新地町では被災者が仮設住宅に入り始めたのが5月で、どこの被災地よりもいち早く開設されましたが、それでも避難所生活は約3ヵ月にもおよび、大変な心労を抱えたのでした。ですから、能登半島地震で被災された皆さまの一日も早い生活改善がなりますようにとの思いが強まります。神様からのお守りがありますようにお祈りいたします。
「いっしょに歩こう!プロジェクト」の私は、南三陸町志津川に行った折、ある逸話を聞きました。ある小さな村の人々の行動を私は生涯忘れられません。その逸話とは、海岸沿いの被災地から離れた隣り集落代表が、被災し孤立した集落の人たちに、早く食べ物を届けるぞ!と呼びかけ
て、村の方々で握ったおにぎりをリヤカーに積みました。寸断された幹線道路は通行不能で裏の細い山道を行くしかなくても、熱々を食べさせたいと毛布にくるみ決死の覚悟で運ばれました。おにぎりは少し冷めていましたが、大震災翌日、震えていた被災者の口に入って空腹を凌ぎ、人心地と大きな感激の涙と温かな気分に包まれて感謝が伝えられたというものでした。
新地町福田小学校体育館避難所でも、津波が到達しなかった周辺地区住民が、翌日にはおにぎりと味噌汁を漬物と野菜付きで差し入れました。栃木県のアジア学院からは卵や肉を、釜石の小さな漁港の集落に宅配しました。新地町の避難所では久しぶりの肉入りカレーに、本当に美味しかったと人々は満面の笑みでした。つまりは、集められた思いやりの心が人々を満腹にします。寄せ集まった労りの気持ちがささやかで温かな幸せを生みます。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」とイエスを試そうとして問うた人は、「あなたはどう思うのか?」と、逆にイエスに問われます。「神を愛し敬い、隣人を自分のように愛すること」答えると、イエスは「正しい答えだ!。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と促されます。行いの人にキリストのいのちが宿るのです。
このいのちを分かち合う人になれますようにと、お互いに祈り合ってまいりたいと思います。そのような人を神様はお喜びなさいます。
教区主教 主教 フランシス 長谷川 清純
クリスマスメッセージ「クリスマスはいつ?」2016年1月号
実際に、いったい何時イエス様がお生まれになったのかは、分からないようです。「この時期には羊飼いは野宿しない」などと聞かされると困ってしまいますが、4世紀初め頃になってようやくローマで12月25日と定められたのだそうです。
2015年9月号巻頭で聖ヨハネ祭について述べたときは夏至でしたが、クリスマスは冬至に関係しています。今年の冬至は12月22日、2016年は12月21日となっていますが、紀元前46年にカエサル(シーザー)が制定したユリウス暦の冬至は12月25日でした。
1年で一番昼間の時間が短い冬至のとき、死んでしまうのかと思われた太陽が、この日を境にだんだんと光の量を増して復活して来るので、長い冬の後に春が来る、その最初の兆しとしてこの太陽神のお祭が各地で祝われていました。
12月25日にローマで祝われていたこの祭をキリスト教徒は真の太陽であるイエス様の誕生の日として祝うようになりました。
当時、この直前の約1週間12月17日~24日は、農耕の神様サトゥルヌスを記念するサトゥルナリアと呼ばれる祭が行なわれていました。奴隷たちは一時的に開放され、宴楽とバカ騒ぎの中で人々は日々を快楽と歓喜に浸って過ごしていました。
迫害の歴史とも重なり、キリスト教徒は異教徒の祭の間、特別な記念行事をすることなく、むしろ避けていたようです。
そしてペルシャ人やローマ人の好む悪習慣として誕生日を祝うこと自体が、キリスト教の伝統の中には受け入れがたいものでした。教父オリゲネスは「‥‥唯一罪人だけがこのような誕生の機会に喜びの宴を催すのである。」(オリゲネス『レビ記講話』8・3)とさえ述べています。
さて昼間の時間が長くなり始めると言っても実感できるようになるのは1月6日頃です。1月6日をアレキサンドリアでは、ゼウスの娘コレーによるアイオーン(時間の神)誕生の日として祝っていました。また1月6日前夜はナイル川の水が特別な力を持つと信じられ、古代エジプト神話のオシリス神にささげられた日でもありました。
この地で1月6日(ないしは10日)にバシレイデス派と呼ばれるグノーシス主義の人々がイエス様の洗礼を祝っていました。「これは私の愛する子」と告げられた瞬間に人間イエスが神なるキリストとなったのだと教えていましたから、正統信仰の人々はイエス様が誕生したときに、神の言葉(言)としてのキリストがこの世に来られたのだから、誕生こそ祝うべきだとして1月5日から6日にかけての夜に降誕を祝うようになりました。
歴史の中で最初に祝われていたのは1月6日でした。今、顕現日として祝われているこの日にイエス様の誕生が祝われていたのです。東方正教会では今でもこの伝統を受け継いでいます。
やがて日付が12月25日に移されてからも、1月6日を博士たちが幼子を訪問した日として保存しました。イタリアに行きますとクリスマスの飾りが1月6日の顕現日まで飾られています。“12 days of Christmas(クリスマスの12日)”という歌も作られているのをご存知でしょう。
初代教会ではむしろ避けていた誕生祝いを積極的に祝う今日、死の恐怖から救われる「真の太陽」であるイエス様の誕生が大切なのだと、心から感謝して祝わなければと思います。
司祭 フランシス 中山 茂
あけぼの2021年3月号
巻頭言 東日本大震災 10周年メッセージ「共に祈り、共に歩む」
今から10年前の3月11日(金)の午後4時前頃、当時ウイリアムス神学館におりました私は、コモンルームから聞こえた「ウォーッ!!」という叫び声に驚き、急いで降りてみますと、テレビの画面には名取市閖上の浜を遡上する白い波と、その先の道を逃げていく自動車が映っていました。その映像から津波の恐ろしさを感じると共に、「無事に逃げ切ってほしい」と、祈るような思いで固唾を呑んでいた自分、何も手助けのできないもどかしさを感じていた自分がいたことを憶えています。
✠ 10年、私たちの歩み ✠
あれから10年の年月が過ぎました。その間、私たちは自らの復興と同時に、管区やご支援くださった多くの教区の皆様がたと共に、「いっしょに歩こう!プロジェクト」、「いっしょに歩こう!パートⅡ だいじに・東北」の働きを通して、4年間、被災者の方々や被災地の復興に、微力ながら思いと力を注いできました。2015年からは「東北教区東日本大震災支援室」、2019年からは「東日本大震災被災者支援プロジェクト」として歩んできました。
この間の私たちの歩みを支えてきたもの、私たちの歩みの原動力となったものは、「私たちの隣りに苦しみ悩む人たちがいる限り、『共に祈り、共に歩む』ことが東北に遣わされた教会の姿である」という確信だったと思います。
✠ 共 に 祈 る こ と ✠
「祈り」は、祈るだけで終わるわけではありません。祈りは「行動」への出発点でもあります。
祈りは4つの部分、①神への呼びかけ、②神の救いの御業を述べる(感謝)、③祈願、④とりなし(結び)から成っています。私たちは3番目の「祈願」の部分で、「私たちはこうありたい、こうあってほしい」と願います。神様は私たちのこの願いを受け止めてくださり、私たちがそうあれるように促し、勇気づけ、願いの実現に向けての第一歩を踏み出させて下さるのです。
そして私たちは「共に祈る」ということを大切にしようとしています。共に祈るためには心と思いを一つにすることが求められます。
✠ 共 に 歩 む こ と ✠
私たちが大切にしようとしているもう一つの点は、「共に歩む」ということです。私たちは各々、歩幅も違いますし、歩く速度も違います。
そんな私たちが「共に歩む」ためには、互いの歩き方や速度、歩いていく方向を、互いに感じあい、気配り・目配りしなければなりません。そうでなければ、一緒に歩いているつもりで、いつの間にかバラバラになってしまうかもしれないのです。
では、誰に合わせればよいのでしょうか。やはりそれは共に歩んでいる中で、一番ゆっくりの人に合わせることが大切ではないでしょうか。
✠ も う 一 度 原 点 に ✠
大震災から10年の年月が過ぎました。私たちはこれからも「私たちの隣りに苦しみ悩む人がいる限り、『共に祈り、共に歩み』続けていきたい」と思います。それはまさに、ご復活の日の夕方、エルサレムからエマオへ失意のうちに歩いていたクレオパともう一人の弟子に近づき、一緒に歩いてくださったご復活のイエス様、パンを祝福して祈ってくださったイエス様に倣って歩むことではないでしょうか。
教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人
あけぼの2024年12月号
巻頭言 クリスマスメッセージ 「この命は人の光であった」
クリスマスは光の祭典といわれていますように、あちこちでイルミネーションが美しく飾られ、冬の夜に輝く光は特に美しく見えます。暗く寒い夜に輝く光景は、周りが暗ければ暗いほど、明るく輝いて見えます。教会でもツリーを飾り、イルミネーションをつけ、キャンドルの火を灯し輝かせてクリスマスをお迎えします。このようにクリスマスがいつの間にか光の祭典のように祝われるようになったのには、深い訳があります。それは、新約聖書ヨハネによる福音書の最初に記されています。
「この命は人の光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。(中略)その光は世に来て、すべての人を照らすのである。」(聖書協会共同訳ヨハネによる福音書1章4、5、9b節)
クリスマスが光の祭典になったのは、このようにイエス・キリストがすべての人の光として、世に来たという聖書の宣言によります。イエス・キリストはすべての人を照らすまことの光、そして、この光は闇の中に輝いていると宣言されています。
私たちは経験上、闇が深ければ深いほど、光は明るく強く輝くということを知っていますが、ヨハネの語る闇は人の心の闇をも指し、そして人は誰もが心に闇の部分を持っているとしています。その闇は、悲しみであったり、失望であったり、孤独であったり、はたまた、ねたみであったり、憎しみであったり、迷いであったり、疑いであったり、人生のありとあらゆる心の痛みと苦しみを、闇という言葉で表現できると思うのです。そしてそんな私たちの心の闇にもキリストが光をもたらしてくださるということは、私たちがこの人生を闇の力に支配されることなく、闇に打ち勝つ光が私たちの心を照らしてくださる。そして闇の中で悲観的になることもなく、どんなにこの世が右も左も真っ暗闇であったとしても、キリストと共に生きるなら、そこに「ポッ」と明りが灯っている人生を生きることができるという宣言に他なりません。そして、何よりもイエス・キリストとの決定的な出会いによって、自分の生きる意味を見つめ直し、そしてその道がはっきりと示されるというのが、クリスマスの出来事です。
「この命は人の光であった」という聖書の宣言は、すべての人々に与えられている神様からの贈り物です。そしてクリスマスは、神様からの最大の贈り物である神のみ子イエス・キリストが、私たちに与えられたという最高の良い知らせです。ユダヤのベツレヘムという村で、幼子イエスは宿にも泊まれず家畜小屋でお生まれになりました。そして、牛や羊の餌箱である飼葉おけの中に寝かされたと聖書に記録されています。そんなイエス・キリストは最後には、私たちの罪を背負い、私たちの身代わりとなって、十字架につけられて殺されてしまいました。しかし、神はこのイエスを3日目に死からよみがえらされました。このキリストを信じる人々の中でキリストはよみがえり、宿られ、光となって救い主として導かれます。今年のクリスマス、多くの皆さんとご一緒に、み子イエス様をお迎えして、まことの光に照らされ、導かれて、希望を持って進んでまいりましょう。
郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀
クリスマスメッセージ「『クリスマス』の喜び…いのちの賛歌」2017年1月号
「神にはみ栄え、地には平和」と
マリアも喜び、ともに声あわせ、
ララバイ、おやすみ、天使が歌う(聖歌80番)
今からはるか2000年前の出来事です。目を閉じると満天の星空の下で飼馬桶に眠る幼子イエス、傍らにマリアとヨセフ、羊飼いが満面の笑みですやすや眠る嬰児を見つめています。天使の歌声が耳を澄ますと聞こえてきます。私にとってクリスマスの出来事は決して色あせることなく永遠に今なのです。
現代の物質文明は多くの豊かさをもたらしてくれました。スイッチ一つで?全て事足りる便利な社会です。手紙からメールへ、スピードが要求され、すぐに答えが出されます。私はそんな早い変化について行けない団塊の世代の一人です。
そんな時代に生きることに時には息苦しささえ覚えることがあります。クリスマスはいつの時代に在っても、人間の原点回帰を促し、時代に逆行するような課題を私たちに突きつけてきます。人が生きる上で一番大切にしたいものが浮き彫りにされます。あえて電気を消し、ろうそくを灯し目をこらしながら聖歌の譜面を追い、隣の人の顔がやっと見える暗さの中で礼拝が捧げられます。でも何故かとても心が和み心地よいのです。神様が人間を創造した原点を感じます。ろうそくの明かりで見える範囲はごく限られています。でも他に見たいものは見つかりません。ただ天使の歌声に合わせて歌うだけで幸せな気持ちになります。生きていくために本当に必要なものは多くはないような気がしてきます。
マリアとヨセフにとって今一番大切にしていることはただ幼子イエスを守り寄り添い、側にいることです。どんなに富と名声、権力を得ても人は愛すること、愛されることなくして生きる喜びを感じないように創られているような気がします。人間は神によって創られました。私たち人は裸でこの地上に生を受け、また何も持たないで静かに地上の生涯を閉じます。物は消えていきますが、愛する心は永遠です。
クリスマスは天使が歌ういのちの賛歌です。そして人生の賛歌です。生きる喜びに気づき何が大切か暗い闇の中でろうそくのか細い灯りに照らされて見えてきたものは、意外にも目に映るものだけではなく何故か自分が生きてきた軌跡だったり、また自分自身の心模様が映し出されます。
クリスマスの季節は人に平安と安らぎをもたらしてくれます。子どもたちがサンタさんをじっと待つように、ゆっくりと待ちながら現役最後のクリスマスを感謝で迎えたいと思います。
主に在って
司祭 ピリポ 越山 健蔵
あけぼの2021年4月号
巻頭言 イースターメッセージ「イエス様の眼差し」
新型コロナウイルス感染症が終息に向かう兆しの見えない中、2年目のイースターがめぐってきました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
自分が他の人にうつしてもいけないし、うつされるのも困る「鬱々とした生活」。3密を避け、フィジカル・ディスタンスを取らねばならないことから生じる「交わりが遮られる生活」。すべては私たち一人ひとりの「自粛生活」にかかっていると言われています。
このような状態の中で、私たちは喜んで主のご復活をお祝いできるのでしょうか。皆で集まってイースター礼拝をお献げできなかった昨年に比べれば、今年はまだましかもしれません。
✠2000年前のご復活日の朝✠
マルコ福音書第16章は、ご復活の朝の出来事について興味深いことを記しています。
「週の初めの日、朝ごく早く、日の出とともに墓に行った」マグダラのマリアたちは、イエス様を葬った墓の入り口で白い衣を着た若者から「あの方は復活なさって」と喜ばしい知らせを告げられます。しかし彼女たちは「震え上がり、正気を失って・・・誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16・1~8)。
この後の10~11節でも、マリアが泣き悲しんでいるイエス様と一緒にいた人々にご復活の事実を知らせても、彼らは信じませんでした。12~13節でも、ご復活のイエス様と出会った二人の弟子が、他の弟子たちにその事実を知らせたけれども、「彼らは二人の言うことも信じなかった」というのです。
✠主は振り向いて✠
皆さんは、ペトロがイエス様のことなど知らないと、三度も否認した物語をご存じのことと思います。ペトロはその前(ルカ22・34)で、イエス様から「あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と言われます。その直前には「主よ、ご一緒になら、牢であろうと死であろうと覚悟しております」と大見えを切っていたのですが。しかし、いざとなった時、ペトロはイエス様が言われたように三度も知らないと断言してしまい、鶏が鳴きます(ルカ22・54~60)。
その直後、61節は「主は振り向いてペトロを見つめられた」と記しています。その時、イエス様はどんな目でペトロを見つめられたのでしょうか。
✠私はあなたのために祈った✠
ご復活の朝、どの弟子たちもイエス様が十字架に死なれたことで希望を失い、おさき真っ暗で鬱々とし、一緒にいても心はバラバラで誰も信じられない、そんな状態でした。
そのような中で、ペトロは一つのことを思い出したのではないでしょうか。それは「振り向いて自分を見つめられたイエスさまの眼差し」です。きっとそれは非難する目つきではなく、優しく暖かい眼差しだったと思います。なぜならイエス様はペトロに「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。だから、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい(ルカ22・32)」と祈っていてくださったからです。
イエス様はペトロのためだけではなく、すべての弟子たちのために、そして私たち一人ひとりのためにも同じように祈っていてくださいます。
そのように祈り続けてくださる主イエス・キリストのご復活を、ご一緒にお祝いいたしましょう。
教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人
あけぼの2025年1月号
巻頭言 新年メッセージ 「主に受け入れられる年を告知する」
主の平和が皆さんと共にありますように
新年のお慶びを申し上げます。この一年も全能の神様に守られ導かれて、それぞれの信仰生活、教会生活が豊かにされますようにとお祈りいたします。
四半世紀前は、世界中の人々の間でミレニアム(千年紀)が話題になりましたが、1990年に「ジュビリー2000債務帳消し」運動が始まっていました。その目的は「21世紀をすべての人が人間らしく生きられる世界にするため」でした。途方もなく難解な理想ですが、そのためにまず20世紀が生み出した10億人超の貧困を根絶することと、貧困の最大原因の一つである途上国が抱えている巨額債務を帳消しにすることでした。
当時の最貧国では人々が飢餓や病気で亡くなり、子どもの3人に1人は栄養失調で死亡する一方で、債務返済のために医療や教育に十分なお金が使えません。アフリカの年間債務返済は国家予算の30%にも上り、医療予算の2倍に達していました。ですから、重債務貧困国の債務帳消しを実行してすべての人たちが生きられるようにしましょうと先進国に要望したのです。英国聖公会は中心的な存在でした。
このキャンペーンの根拠は聖書にあります。旧約聖書レビ記25章10節以下に「ヨベルの年」が記されています。50年目の聖なる年(ヨベル=ジュビリー)には奴隷は解放され、借金を帳消しにし、穀物を収穫しないで野に生えたものを食するようにと書かれています。
「50年目の年を聖別し、その地のすべての住民に解放を宣言しなさい。それはあなたがたのためのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有の地に帰ることができる。」(レビ25:10)
当時、私は仙台基督教会副牧師で聖ペテロ伝道所に住んでおり、仙台市内のキリスト教会、特にカトリック教会の信徒たちと「ジュビリー2000債務帳消し」運動に関わりました。子どものいのちを代償として返済される債務は不公正であり人権の侵害です。貧困に喘ぐ人たちを解放することこそが、その時の時代の要請でした。
あれから25年です。重要な出来事から25年、50年、60年、75年経過した時に催される記念行事や祝祭も「ジュビリー」と言います。現在の世界では貧富格差が増し、人権侵害が絶えず、飢餓に苦しみ、日本の人口と同じ1億2千万人以上の難民が彷徨い、戦争では数えられない程のいのちと地球を破壊しています。現実にはヨベルの年は宣言されない世界です。
しかしながら、まことの光である主イエスは病み、破れ、傷つき泣いている世に来て、すべての人を照らします。そのお方がこの世に来られたのは、「主の恵みの年を告げるため」(ルカ4:18-21)です。「主の恵みの年」は直訳では「主に受け入れられる年」です。つまり虐げられている人が神様に受け入れられるようなことが起こる年が告げられます。イエスはその時を宣言します。「貧しい者たちに福音が伝えられ、囚われた者たちに解放を、叩き潰された者たちを解放して行かせる」と宣言します。
私たちも主の福音を宣べ伝えてましょう。主のおとずれの良き知らせを告知しましょう。あらゆる意味での解放を宣言し、解放の実現のための一年にしたいと願い祈りましょう。
教区主教 フランシス 長谷川 清純
「新たな創造を信じて」2017年3月号
東日本大震災から6年を迎えます。6年という月日は長いはずですが、6年前の「あの日」の出来事が一つ一つ鮮明に脳裏に焼き付けられ、昨日のことのようにしばしば思い起こしてきたのは、私だけではないであろうと思います。1ヵ月前のことでさえ記憶がおぼろになってしまうのにもかかわらず、「あの日」のことが頭から離れないのです。そして多くの方々が犠牲となり、また、家や財産を一瞬のうちに失ったという出来事は記憶としてだけではなく、現実としていまだに私たちの生活に大きな影響を及ぼし続けています。さらに、私たちを恐怖のどん底に落とし、この世の終末を想起させた東京電力福島第1原子力発電所事故は、故郷から人々を追いやり、家族を離散させ、今もその悲しみは綿々と続いています。
震災から10日が過ぎ、初めて磯山聖ヨハネ教会の皆さんが身を寄せられていた避難所(福島県新地町福田小学校体育館)を訪ねることができたとき、私を教会の牧師と知ったある被災者の男性から、「先生、神様がいるのなら、なぜこんなことが起きるのですか」と問いかけられたことが忘れられません。その時はただその声に耳を傾けるだけで、言葉も出ませんでした。その後もその声が耳から離れることはなく、折々に深く考えさせられてまいりました。私たちは、この世界が偶然の結果、存在しているのではく、神様が造られた世界であることを信じています。この世界は神様が何かの意図、計画を立てて造られたのだということです。創世記第1章にそのことが明確に記されています。そこには世界の創造だけではなく、人間の創造についても書かれ、人が神に罪を犯したこととその結末まで書かれています。創世記は、わたしたちが住んでいる世界について、人間について、自分について、自分の中にある問題の根源である罪について、その始まりと意味を深く私たちに教えています。
創世記1章2節を見ると「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を、動いていた。」と記されています。まだ、生物のいない地球は闇に包まれていて、形がなにもなかった世界には神だけが存在し、神の霊が水の上を動いていたという様子がそこに記されています。私が、震災直後に、磯山聖ヨハネ教会の建つ丘の上から見た光景は、まさにこの光景でした。美しかった田園は泥沼と化し、コンクリートの橋げたの残骸が地面に突き刺さって、まさにカオスと化した世界が広がり、絶望と悲しみだけの世界のようでした。しかし、その時すでに、目には見えませんでしたが、確かに神の霊は水の面を動き出していたように思えました。神の創造の力はこのようなカオスにこそ動き、働き、新たな開始を告げるというのが創世記の示しているところです。神の霊が働いて、形がなく何もない世界、すなわち混沌とした世界に神の霊が働き、動くことによって、いろいろなものが形作られ、混沌の中に、新たな世界が生み出されていきます。すべてを破壊し、奪い去った3月11日を忘れることはできないし、また、覚え続けなくてはならないと思うのと同時に混沌とした地の上を覆っていた神の霊がこの地に新しい創造と秩序を与えたように、聖霊が、今も私たちを覆って、新しい人、新しい働きをを創り出すことがおできになることを覚えたいと思います。私たちが信じている神様はそれほど偉大な神様です。このことに日々感謝をしながら歩み続けてまいりたいと思います。
司祭 ヤコブ 林 国秀
写真:旧磯山聖ヨハネ教会の丘から見た被災時の様子
あけぼの2022年1月号
巻頭言 クリスマスメッセージ 「個の物語から普遍の物語からクリスマスの出来事~」
クリスマスは今では世界中の人がお祝いをするお祭りです。しかし、世界での最初のクリスマスは極めて限定的でした。ある時代、ある特定の場所での小さな出来事でした。
ある時代とはいつか。それは「キリニウスがシリア州の総督であったあった時」(ルカ2:2)です。シリア州とはガリラヤ地方~サマリヤ~ユダヤまでの地域で、そこにはガリラヤ湖、ヨルダン川、死海があります。そしてイエス様がお育ちになったナザレ、お生まれになったベツレヘム、そしてイエス様の地上でのご生涯の目的地であったエルサレムもこのシリア州です。その地域を治めていたのがキリニウスという総督でした。さらにそのシリアはローマ帝国の支配下にあり、その時のローマ皇帝がアウグストゥスだったのです。
そして、ある場所とはどこか。それは「ユダヤのベツレヘムというダビデの町」(ルカ2:4)です。この状況の中にイエス様はお生まれになったのです。
私たちはアウグストゥス、キリニウスという名前をさほど心に留めることはないのではないでしょうか。 聖書は場所、人の名前がたくさん出てきます。カタカナですので読みづらい名前や地域がたくさん出てきて大変ですが……。
具体的な名前が登場するのには意味があります。それは神様のご計画は神の国を完成させること、すべての人の平和の実現にあり、そのご計画はぼんやりとしているのではなく、極めて具体的なのです。
イエス様の誕生も昔々あるところにイエス様がお生まれになりましたというのではなく、具体的な時代、具体的な場所が聖書に示されているのはそのためです。
個の物語がすべての人の物語(普遍的な物語)へとなっていくことを私たちは聖書を通して知ることが出来ます。きわめて個人的な出来事がいつしか多くの人の出来事になっていく。たった一人で始めたことが少しずつ紡がれて大きくなっていくことを私たちは経験したり、聞いたりしていると思います。
「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。」(ルカ2:11)
極めて具体的な喜びの知らせだと思いませんか。
「今日」「ダビデの町」そして「あなたがたのために」救い主がお生まれになったのです。
最初にも申しましたが、クリスマスの出来事は小さな小さな出来事でした。貧しい羊飼いへと告げられた出来事が今や世界中の人たちが知る出来事になっていったのです。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)とあります。
私たちが出来ることはそんなに多くありません。日々それぞれが生きている現場で出会う人、経験する出来事と向き合って心を込めて一生懸命生きていく。それはもしかすれば誰も知らないことが多いのかもしれません。それが時に重荷や虚しさになることもあると思います。でも安心してください。その心を込めて一生懸命生きた小さな行為はイエス様にしてくれたことなのです。私たち一人一人の物語を神様は祝福してくださっていることを信じたいと思います。クリスマスおめでとうございます。
盛岡聖公会 牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也
あけぼの2025年5月号
巻頭言 東日本大震災14周年記念の祈り 説教「希望のイエス」
2011年3月11日は、私たちが未来永劫忘れられない記憶となっています。否そうでなければならないのです。
先日大船渡市で山火事が発生しました。三陸町綾里は、この130年間で3度津波被害に遭われました。1896年明治三陸大津波、1933年昭和三陸津波、2011年東日本大震災では最大40.1mの巨大津波が襲来し27名が亡くなりました。それで高台に家を再建した方々が、今度は山火事に襲われています。「二重苦」「二重の辛苦」と言われますが、私は「三重苦」だと思います。それは焼失した家の隣に火災を免れた家が無傷で建っているからです。残酷な風景です。やるせない気持ちになります。
東日本大震災のあとには、このように苦しんだ人たちは30万人、いやそれ以上おりました。漁師の佐藤清吾さんもその一人です。大震災で最愛の妻とお孫さんを亡くされました。私が清吾さんと出会った時、清吾さんは打ちのめされ生きる力を失っていました。私たちや多くのボランティアさんたちが一生懸命話したり、お手伝いしたりする中で、次第にこれではいかん、とやる気を取り戻せた、皆さんのお蔭ですと感謝され笑顔の清吾さんが復活しました。
2月15日、私は石巻市北上町十三浜大室にある災害復興住宅団地の、6年前に新築された清吾さんの自宅~、原発のない世界を求めるZoom Cafeをオンライン中継しました。30年も前から一人で「脱原発」をしているのは、漁師の仕事ができなくなる、生活を奪われる、海・地球環境を汚染する、何よりも魚や人間の生命を将来的に滅ぼすからだ、という、人が生きる、暮らす上での大問題、大障害だからダメだ、という明確な確信があるからだと、1941年生まれの83歳が語られたのは非常にインパクトがありました。
3月9日、13年間水曜喫茶に手作りパウンドケーキを送ってくれた柳城女子大学の先生方や卒業生たちと現役生たち一行が、磯山聖ヨハネ教会に来られました。その朝、水曜喫茶の仲間・佐々木恒子さんの訃報を聞かされて私は言葉を失いました。東京電力第一原子力発電所の爆発で拡散した放射性物質の汚染から避難された浪江町、南相馬の人たちの応急仮設住宅での水曜喫茶に初めから顔を出していた恒子さんでした。
私は、彼女の口から無念の言葉を一度だけ直接聞かされました。彼女の家は、大震災数年前に新築したばかりでしたのに避難を余儀なくされ住まわれなくなり「私はとっても悔しいの、腹立つの、もう戻られないし、なんもできんの」と強い語気でした。それでも、2022年原発のない世界を求める習慣でインタビュー・ビデオ出演した時、「本当に私らに良くしてもらって、有難い、有難い」と感謝を口にしました。88歳の死はいわゆる震災関連死、故郷を追われた人の死だと思います。本日、震災関連死を含めて東日本大震災の死者は22,000人を超えています。
様々な自然災害で亡くなられたすべての方々、世界中で起きている紛争や戦争の犠牲者の魂の平安のために祈りましょう。今現在、言うに言われぬ苦しみや悲しみを背負う人たちに、神様の豊かな慰めと、人々の寄り添いと思いやりが届きますように祈りましょう。私たちの励ましと拠り処にする聖句。「希望が失望に終わることはありません。」(ローマ5:5)
教区主教 フランシス 長谷川 清純
イースターメッセージ「『すでに』と『いまだ』―復活の道を歩む―」2017年4月号
あけぼの2022年2月号
巻頭言 新年メッセージ 「みんな笑顔で、微笑んで」
2020年、2021年と2年間に渡って、今まで私たちが経験したことのなかった教会生活を送ることになった新型コロナウイルス感染症。昨年の10月中旬には東北教区内でも一週間の新規感染者数計が二桁まで減少し、少しほっとしておりましたら、新しい年を迎えた途端、また一気に三桁まで増加しております。
新年早々、暗そうな話題から入って申し訳ありませんが、どうぞ皆様、お身体にお気をつけくださいますようお祈りいたします。
✠スマイル、スマイル✠
私は走るのはあまり得意ではないのですが、駅伝、特に箱根駅伝を見るのをとても楽しみにしています。
ということで今年も1月2日は主日礼拝の時間を除いて、2日はスタートの時間からテレビの前に座って見ておりました。そうしましたら、選手の後ろを走る車の中から聞こえる監督の掛け声が、例年とはだいぶ違うことに気がつきました。
それは優勝した青山学院大学の監督の声が、前を走る選手に「スマイル、スマイル」と呼びかけているのです。必死で走っている選手からすれば、スマイルどころじゃないだろうと思うのですが、その呼びかけを聞いた選手の厳しい表情が一瞬とはいえ、ふっと緩むのです。肩の力がスッと抜ける、足取りが軽くなる。笑うこと、笑顔は人の気持ちや行動を変えるのですね。
✠意外と少ない笑い✠
へぇーっと思って、聖書は「笑い」をどのように取り上げているのか調べてみました。するとたまたまへぇー!!という結果でした。人間の「笑い」や「微笑」という言葉を調べてみますと、旧約と新約を合わせて36箇所あります。しかしその内、「あざ笑う」など否定的な意味の笑いが約4分の3を占めているのです。
良い意味での「笑い」は、例えばアブラハムとサラに息子が与えられた時、「その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」(創17:19)とか「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」(創21:6)などがあります。新約ではルカ6:21の「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」だけですから、少し不思議な気がします。
イエス様が笑っておられる場面も見当たりませんが、イエス様はしばしば譬え話の中で「一緒に喜ぶ」と言われています。私たちも喜ぶ時には自然と「ほほえみ」がもれてきますから、これがイエス様の「笑い」かもしれません。
✠心からの笑顔で✠
今のような時代だからこそ、私たちには「笑顔」が必要なんだと思います。笑顔・スマイルどころではないかもしれませんが、だからこそ意識的に口角を上げて笑顔を作ることで、心も身体もリラックスするのではないでしょうか。「笑顔・笑い」は免疫力も上げるそうですから。
そういった意味で、今年は、笑顔でいたいと思います。教会の礼拝においでになった方々、特に緊張しつつ初めて礼拝においでになった方を「笑顔」でお迎えしたいものです。そしてその方々がお帰りになる時は、「笑顔」でお帰りになられると、とてもすてきですね。
ご一緒にそのような教会を目指していきたいと思います。
教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人