教区報

教区報「あけぼの」 - メッセージの記事

あけぼの2022年2月号

巻頭言 新年メッセージ 「みんな笑顔で、微笑んで」

 

 

2020年、2021年と2年間に渡って、今まで私たちが経験したことのなかった教会生活を送ることになった新型コロナウイルス感染症。昨年の10月中旬には東北教区内でも一週間の新規感染者数計が二桁まで減少し、少しほっとしておりましたら、新しい年を迎えた途端、また一気に三桁まで増加しております。

 

新年早々、暗そうな話題から入って申し訳ありませんが、どうぞ皆様、お身体にお気をつけくださいますようお祈りいたします。

 

 

✠スマイル、スマイル✠

 

私は走るのはあまり得意ではないのですが、駅伝、特に箱根駅伝を見るのをとても楽しみにしています。

 

ということで今年も1月2日は主日礼拝の時間を除いて、2日はスタートの時間からテレビの前に座って見ておりました。そうしましたら、選手の後ろを走る車の中から聞こえる監督の掛け声が、例年とはだいぶ違うことに気がつきました。

 

それは優勝した青山学院大学の監督の声が、前を走る選手に「スマイル、スマイル」と呼びかけているのです。必死で走っている選手からすれば、スマイルどころじゃないだろうと思うのですが、その呼びかけを聞いた選手の厳しい表情が一瞬とはいえ、ふっと緩むのです。肩の力がスッと抜ける、足取りが軽くなる。笑うこと、笑顔は人の気持ちや行動を変えるのですね。

 

 

✠意外と少ない笑い✠

 

へぇーっと思って、聖書は「笑い」をどのように取り上げているのか調べてみました。するとたまたまへぇー!!という結果でした。人間の「笑い」や「微笑」という言葉を調べてみますと、旧約と新約を合わせて36箇所あります。しかしその内、「あざ笑う」など否定的な意味の笑いが約4分の3を占めているのです。

 

良い意味での「笑い」は、例えばアブラハムとサラに息子が与えられた時、「その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい」(創17:19)とか「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」(創21:6)などがあります。新約ではルカ6:21の「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」だけですから、少し不思議な気がします。

 

イエス様が笑っておられる場面も見当たりませんが、イエス様はしばしば譬え話の中で「一緒に喜ぶ」と言われています。私たちも喜ぶ時には自然と「ほほえみ」がもれてきますから、これがイエス様の「笑い」かもしれません。

 

 

✠心からの笑顔で✠

 

今のような時代だからこそ、私たちには「笑顔」が必要なんだと思います。笑顔・スマイルどころではないかもしれませんが、だからこそ意識的に口角を上げて笑顔を作ることで、心も身体もリラックスするのではないでしょうか。「笑顔・笑い」は免疫力も上げるそうですから。

 

そういった意味で、今年は、笑顔でいたいと思います。教会の礼拝においでになった方々、特に緊張しつつ初めて礼拝においでになった方を「笑顔」でお迎えしたいものです。そしてその方々がお帰りになる時は、「笑顔」でお帰りになられると、とてもすてきですね。

 

ご一緒にそのような教会を目指していきたいと思います。
 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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「安心しなさい」2017年5月号

マタイによる福音書14章24節に「舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた」と書かれています。しかし、弟子たちは、このような苦難の中から再び主の新しい姿を眺めることができる栄光に与るようになります。その栄光とは、苦難の中で主に出会うことです。

 

私たちの人生の道には苦難があります。たとえその道が、主が喜ばれる道であり、主が命じられた道であっても苦難が伴います。それゆえに、イエスは、「あなたは、世界の中で苦難にあっても勇気を出しなさい」と言われたのです。しかし、主は、私たちの苦難を無視していないし、苦難の中で、私たちと一緒におられます。その苦難の中で、私たちを救ってくださいます。

 

パン5つと魚2匹の奇跡が起きると、多くの群衆は確かにこの人こそ、自分たちが望むメシアと言いました。そして、彼らはイエスを自分たちのそばに置いて無理にでも彼らの王にしようしたのです。イエスは、このような彼らの行動から逃れようと、弟子たちに船に乗って、自分よりも先に、湖の向こう側に行くように命じられました。

 

主はどのような場合にも、栄光を取られませんでした。その方は、徹底的に自分を低くし、父を高くしました。イエスは、「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。」(マタイ26:53)としながらも、自ら苦難の杯を飲みました。

 

 
イエスは、問題があるたびに祈りました。主はサタンの誘惑に勝つために祈りました。主は明らかに神でしたが、しかし、人の姿でこの世に来られたので、サタンの誘惑に勝つためには祈りが必要でした。主の命令によって船に乗った、弟子たちは、すでに陸地から遠く離れた湖の中にいました。ところが、突然風が吹き始めました。彼らは風によって多くの苦しみを受けていました。真っ暗な夜中です。夜は霊的な闇の状況を意味します。

 

私たちは、このような霊的な暗闇の力にとらわれないために、主の光を私たちの人生の道に照らす必要があります。「あなたのみ言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」(詩篇119:105)風が吹いてきて、波がおこった。これは、苦難にあう人生を語っています。湖の真ん中で暗に会ったのです。

 

人間の力ではどうしようもない状況に陥り必死な彼らに近づいて主は「安心しなさい」と言われまし。私たちは、どのような苦難にも「安心しなさい」という主の声を聞いて、あわてず、心の平安を求めなければなりません。安心という言葉は、「勇気」を持てという意味です。次に、「恐れることはない」と言われました。この言葉は、「どのような場合にも、主があなたと一緒におられる、勇気を出しなさい 」ということです。

 

今、私たちの教区に最も必要な言葉は、「安心しなさい、私はあなたと一緒にいる」という主の声を聞いて、主と共に行動することです。どんな困難があっても、主は、東北教区と一緒にいらっしゃいます。

 

東北教区の皆さん、主と共に行きましょう!!!

司祭 ドミニコ 李 贊熙

あけぼの2022年3月号

巻頭言 東日本大震災の日に寄せて 「来て、見なさい」ヨハネによる福音書1章46節

 

 

コロナ禍になって3年目を迎えてしまい、様々な制約がある中で残念と思うことのひとつに、被災地訪問ができなくなったということがわたしにはあります。

 

石巻市大川小学校モニュメント「Angel of Hope」

山形に勤務していた時に信徒のみなさんの賛同を得て、2013年の新地町、石巻訪問から始まり、宿泊を伴う遠出計画は成りませんでしたが、土曜日や祝日に日帰りで回れる仙台市沿岸部、名取市閖上、女川町、南三陸町などを、年に春・秋の2回を目標に訪問させていただきました。

 

ご一緒くださった信徒の方からは「ニュースで見て大変なことだと涙が流れたが、実際に来てみると、画面だけでは伝わらないものを感じることができる。ただ行くだけなんて申し訳ないことかと感じていたが、来て良かった。」と感想をいただきました。

 

また、私自身が「いっしょに歩こう!プロジェクト」や「だいじに東北」の働きにかかわらせていただいたおかげで、多少なりとも現地での案内をすることができたことも感謝でした。そんな中で明らかに地元の人間ではないと見える集団に、毎回声をかけてくださる地元の方がいたこともうれしいことでした。山形から訪問させていただいていることを告げると「ほんとによく来てくださいました。ありがとう。」と言われて恐縮してしまいました。どの方とも良い出会いで、それこそニュースでは伝えきれない体験や思いをうかがうことができて、これも現地まで足を運ばないと体験できないことでした。

 

秋田に移動となり、釜石や気仙沼は片道約3時間の行程で、行けないことはないかななどと考えていたのですが、実現できないまま2年の月日が経ってしまいました。

 

3月11日が近づき、それを覚える礼拝は、今年も残念ながら各地に分散してのものとなりましたが、秋田では警戒レベルがさらに上がるとの予想が出ており、何とか3月までには安心できるレベルになっていることを祈っています。

 

 

そんなことを思いながら、何となく聖公会手帳をぱらぱらとめくっていてあることに気が付きました。教会の手帳ですから当然のことですが、公会の祝祭日が載っており、そのほか国民の祝日、広島・長崎原爆の日、聖書日課表の次にある「日記」には、ひな祭りや友引まで書かれているのに、3月11日の欄には(春期聖職按手節)の記載があるだけです。一般のカレンダーも手元にある分については特に記載はありません。ほかにも大災害と呼ばれるものは、年を追うごとに、残念ながら増えてくることでしょう。「それを載せるのならこれも」と難しいこともあるかもしれないのですが、日本聖公会のみならず、世界の聖公会が祈りと持てる力を上げて支援した東日本大震災、その日3月11日は、「いっしょに歩く」ことの象徴として日本聖公会の手帳とカレンダーに載せて記憶しても良いのではないかなと思いました。2011年以降に生まれた子どもたちは小学校の高学年になっています。この出来事を知らない人たちが年を追うごとに増えていくのでしょう。だからこそ、これからも教会は「3月11日・東日本大震災の日」を記憶し、何が起こり、わたしたちはどう動いたのか、その経験をどのように生かしているのか、今何をすべきなのかをあかし続けていきたいものだと思います。

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

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「日々の中に・・・・」2017年7月号

朝玄関で「おはようございます!」と声をかけ、小さな声で「おはようございます」と答える子と握手する。午後は卒園児が「ただいま!」と幼稚園にやって来て、「お帰り!」と迎える。これがセントポール幼稚園の毎日で、笑顔溢れる毎日です。

 

朝、礼拝堂でのお祈り後、教会の周りを散歩。沢山の出会い――犬を連れて散歩されている方、歩行の訓練をされている方、ごみ収集所でほうきをもって立っている方、お庭のお花にお水をかけている方、学校へと急ぐ学生たち――声をかけ、声をかけられながら。

 

最近は近くのコンビニの方々から、「今日も早いね、行ってらっしゃい!」と声をかけられる様になりました。秋田出身と伝えたら、「秋田名物八森はたはた~」とレジの前で秋田音頭を歌ってくれました。また、文の最後に「~ばい」を付ける郡山弁を教えて頂いた。「今日は寒いばい!」と慣れない言葉で伝えた時の相手の笑顔が心に残ります。寒い日には「持ってって!」とあったかいコーヒーを渡され、その温もりに「せば、まんず!」と秋田弁で照れ隠しをする自分がいます。

 

これが日常、郡山での毎日です。日の光を浴び、風を感じ、道端の花を愛でるように、わたしにとっては尊く、何ものにもかえがたい宝物です。

 

ただ、ただ、毎日を生きる。日々の生活をし、交わり、季節を感じ、それを愛で、感謝し、生きている、いいえ、生かされている。

 

わたしは、言葉に言い表せない思いで溢れています。心からの感謝と共に、その毎日を笑顔と一緒に大切に歩んでゆきたいと願います。

 

人は歩みの中で、足りないことや出来ないことを気にしがちです。でも、じっくりとゆっくり見渡せば、既に与えられている恵みが沢山あると思うのです。

 

自分にないものを考えたらきりがありません。でも、与えられていることに思いを巡らし、感謝し、それから学ぶことの尊さを思います。

 

わたしがここ、郡山に来た時は緊張・戸惑い・不安で一杯でした。でも、「そのままでいいからね。いてくれるだけでいいんです。」という言葉、体調を崩した自分にご飯を届けてくれた、命の尊さをご自身の想いを短い言葉で伝え励ましてくれた、その一つひとつの温もりが自分に新たな歩みを始めるきっかけをくれました。

 

私は神様のみ前にいること、教会にいること、そして自分の首にカラーを付けることにおそれを感じます。自分を律し、願い求め、神様の御前に清くありたいと思いながらも、これほど破れがある自分が許せない・・・。それを「そのままで」という言葉が、沢山の想いが、祈りが、そして笑顔が自分を救い、支えてくれています。

 

多分、聖書の中のみ言葉から皆様にお伝えすることが今回の私に求められていることでしょう。でも、わたしは日々の生活の中に、毎日の営みの中、その只中に、み言葉、そして日々の出会いの中に“主”を感じていることをお伝えしたいと思います。

 

また明日、礼拝堂でお祈りをお捧げします。教会の周りを散歩します。あのご婦人に会えるかな? あのワンちゃんは元気かな? あのほうきを持って立っているおじさんはいるのでしょうか? 今日は、あの子は泣かないかな? 幼稚園の先生たちは元気かな? 教会に集う皆さんは元気かな? 日曜日のお話し、全身全霊をかけて取り組みます。いつものコンビニでの笑顔と会話、全部楽しみです。

 

すべてに感謝します、心から。

 

主に感謝。

 

執事 アタナシウス 佐々木 康一郎

あけぼの2022年4月号

巻頭言 イースターメッセージ 「おはよう、喜びなさい」

 

 

イエス様が十字架の上で死なれてから3日目の朝、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、ヨハナなどの女性たちが、イエス様のご遺体が葬られた墓まで出かけて行きました。彼女たちは、悲しみをはるかに越えたショックを受けていたのですが、訪れた墓でそれ以上の衝撃を受けることになったのです。

 

1つは墓の前に座っていた天使が「イエス様は墓の中におられない。復活なさったのだ。弟子たちに復活されたことを知らせなさい」という意味のことを告げたのです。そればかりか、今度はイエス様が彼女たちの行く手に現れ、「おはよう」と言われたのです。確かに早朝ですから「おはよう」かもしれませんが、この状況の中でいくらイエス様でも「おはよう」はないんじゃないかと思われませんか。

 

この「おはよう」と訳されているカイローという言葉は、「平和を祈る」という挨拶言葉で、「喜ぶ」とか「喜び祝う」とも訳せる言葉です。例えばルカ伝で、失われた1匹の羊を見つけ出した羊飼いが、村の人々に「一緒に喜んでください」と言った、あの「喜び」と同じ言葉なのです。

 

そうしますと、このイエス様の「おはよう」は単なる朝の挨拶ではなく、「喜び祝いなさい」という意味なのではないでしょうか。では彼女たちは、そして私たちは、何を喜び祝えばよいのでしょうか。

 

 

その1つは、ご復活の最初の証人として選ばれた彼女たち、意味不明な天使の言葉を弟子たちに伝えに行こうとしていた彼女たちの行く手にイエス様が立っておられて「おはよう、喜び祝いなさい」と言われたことです。つまり悲しみと混乱の内にある人々の前に、イエス様は先回りして待っていてくださったのです。

 

もう1つの喜びは、この後イエス様が彼女たちに「行って、わたしのきょうだいたちにガリラヤに行くように言いなさい」と言われたことです。イエス様が言われる「わたしのきょうだいたち」とは、「弟子たち」のことでしょう。その弟子たちとは、宣教の初めからイエス様に召し出されていたにも拘わらず、勘違いばかりでイエス様のことが分かっていなかった弟子たち。「今夜、あなたがたは私につまずく」とイエス様に言われて、ペトロをはじめ全員が声をそろえて、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と大見得を切ったあの弟子たち。イエス様が逮捕された途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ去り「イエスなど知らない」と自己保身のためにイエス様を見捨てたあの弟子たちのことです。そのような弟子たちですら、ご復活のイエス様は、「わたしのきょうだいたち」と呼んでくださるのです。

 

 

この「おはよう、喜びなさい」というイエス様の呼びかけは、2000年前の出来事であるだけでなく、今、この時にイエス様を「主」と呼ぶ私たちに対する呼びかけでもあります。いつ、どんな時にも、ことに私たちが悲しみや混乱のうちにあるときに、イエス様は私たちに先立って待っていてくださり、「喜びなさい」と慰めの言葉をかけてくださるのです。そして、このような私たちをも受け入れて、「わたしのきょうだいたち」と呼びかけてくださるのです。

 

このイエス様が、今日よみがえられたことを、心から喜び、お祝いしたいと思います。

 

 

教区主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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あけぼの2023年1月号

巻頭言 クリスマス・メッセージ 「心に花咲く、クリスマス~越冬つばめとなった教会~」

 

 

先月行われた教区会において、新庄聖マルコ教会、鶴岡聖公会、室根聖ナタナエル教会の他教会との合併に関する議案が可決されました。このことは、霊的にはこれらの教会が合併先の教会とともに歩みを始めることであり、決して消滅ではないと理解されています。

 

私事になりますが、鶴岡聖公会には1994年から2000年までの6年間奉仕させていただきましたので、特別な思いが募ります。当時私どもの子どもたちが幼い頃だったこともあり、冬の大雪の中にあっても、また信徒の皆さんと和気あいあいと過ごし、楽しい思い出で溢れています。ある年のクリスマスには、子どもたちも含めて皆でお友だちや知人を招待し、礼拝堂が一杯になるほど賑やかになったこともありました。思いがけず多くの人々で溢れ、祝会の食事が間に合わず、慌てたこともありました。1995年の阪神淡路大震災の時には、当時教会で扱っていた庄内特産の漬物「しなべきゅうり」を被災地に届ける運動なども行われました。また、仙台基督教会聖歌隊の訪問など、どれも懐かしい出来事です。

 

また、新庄聖マルコ教会にあっては1982年に行われた伝説の「青年の集い・ワークキャンプ」などを思い出すにつれ、その場所に教会がなくなってしまうことを思うと「心がしぼみ」、悲しみが増してまいります。また信徒の皆さんの寂しく悲しい思いは想像に難くありません。

 

 

このような思いの募る中、先日歌手の森昌子さんの歌う「ヒュルリ、ヒュルリララ」が心に残る「越冬つばめ」を作詞された石原信一さんの講演を聴く機会が与えられました。石原さんは会津の出身で、長く東京在住ですが、ずっと若松諸聖徒教会の信徒で、母上は若松聖愛幼稚園の先生でいらした方です。その中で「越冬つばめ」の制作秘話を紹介され、越冬つばめは、実際に見たことはないが「生れ育った会津の家のこたつの中にいました。」と語られました。それは、幼い頃母親が読んでくれた「幸福の王子」(アイルランド出身のオスカー・ワイルド作)に登場する「つばめ」だというのです。

 

「幸福の王子」のお話は、とある町の中心部の高く立つ灯の上に、若くして亡くなり、しかも不思議なことに自我を持った王子の像が立っていて、あちこちを飛び回って様々な話をしてくれるつばめと共に、苦労や悲しみの中にある人々のために像に飾られている宝石や体を覆っている金箔を分け与え、みすぼらしい姿になっていくお話です。つばめは一刻も早く南に渡らなければならないのに、王子像と運命を共にする覚悟を決め、王子に仕えます。王子は宝石でできた目さえも差出し、つばめもとうとう像の足元で力尽きます。その後、像は何も知らない人々によって溶かされ、像の鉛の心臓とつばめの死骸だけが残ります。天国では、地上の様子を見ていた神が、天使に「この街で最も尊いものを二つ持ってきなさい」と命じ、遣わします。天使はゴミの中から王子の鉛の心臓と、つばめの死骸を取り上げて献げ、神は天使を褒めたという話です。

 

 

クリスマスを迎える時、越冬つばめの姿と天上にささげられた教会が重ね合わせられ、私のしぼめる心に、ようやく一輪の花が咲くのを覚えました。心から皆さまにクリスマスのお祝いを申し上げます。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

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「東日本大震災7年目の3月11日・・・福島からフクシマへそして福島へ」  2018年3月号

間もなく春の訪れと共にフルーツ王国福島のリンゴ、梨、ぶどう…の木々が花芽をつけていきます。私が住まいするいわき小名浜は東北でも有数の漁業の盛んな港町です。

 

しかし悲しいかな津波で破壊された岸壁、市場は見事に再建されましたが、市場の出入り口はシャッターで閉ざされ7年過ぎた今もシャッターが上がることはありません。近くの観光客で溢れていた魚市場は、地元の魚は並ばず、三陸産、北海道産、千葉県産…と7年目の春を迎えても漁場の最盛期を迎えるはずの小名浜は元気がありません。未だ試験操業が脈々とエンドレステープのように続いています。

 

福島はいつの間にか世界のヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマと呼ばれるようになりした。震災から間もなくして郡山で開催された講演会で講師の方に福島と書いた講演の垂れ幕を、福島から急遽フクシマに訂正させられたことを思い出します。原発の被害を世界に発信するには福島でなくフクシマにそしてヒロシマ・ナガサキ・フクシマとするんですとその理由を説明されました。

 

福島と聞いただけで、7年経過した今でも上に原発の二文字が付きます。私が北海道旅行(毎年息子の墓参に出かけます)の際、お土産店の方にどちらからお出でになりましたかと聞かれて福島のいわきからと答えましたら、あー原発の福島から大変だね、「食べるものないよね」には唖然としました。北海道の物は安全だから沢山買って行きなさい。がんばってねと沢山おまけをいただきましたが、気持ちは複雑でした。6年過ぎても、福島は放射能の危険な地域のイメージが定着してしまったのか…、悲しい現実に向き合わされました。福島は福島でなくフクシマなんですかね…。

 

この話をいわきで宗教者の集まりで話したところ同じような体験をした方々が何人もいらっしゃいました。福島は「福音の島」福を呼ぶ島です。いわきの街中でも一時「ガンバッぺフクシマ」が主流でしたが最近はフクシマでなく福島と書かれたステッカーが多く目に留まるようになりました。想いのある温かな心を感じる福の島と福島に住まわれている方々と想いを共有したいのです。この呼び名だけで救われる人がいます。

 

今までに関わった2つの仮設住宅は、3月末を以って完全に閉じられます。仮設で不自由な生活を過ごされてきた大熊町、富岡町の方々は、復興住宅また新しい地域での生活が始まります。震災で地域が寸断され、また7年かけて出来た人との絆が再び寸断され、そして新しい生活に向き合います。最後に仮設に残された方々は殆どが超高齢者の方々です。このお正月も故郷に帰ることなくひっそりとお一人で仮設最後の大晦日、新年を迎えた方もいらっしゃいました。

 

聖テモテ教会はテモテ支援センターとして、3月までお付き合いをさせていただきました。限られた信徒の方が先達者の意思を継いで最後までほっこりカフェを継続していただいたこと、教会が主の器として試された7年間でありました。この震災に関わり教区を超えていわき市小名浜の仮設の人々を様々な形で支えお祈りくださった全国の教会・人々に感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました。それでも5万7千人の故郷に帰れない人々のことを覚えお祈り下さいますよう心よりお願い申し上げます。

 

司祭 ピリポ 越山 健蔵(小名浜聖テモテ教会嘱託・テモテ支援センター)

 

※ 写真は被災直後の小名浜港

 

 

あけぼの2023年2月号

巻頭言 新年メッセージ 「声をかける」

 

 

2020年から始まった新型コロナ感染症の影響は、ついに4年目に入ってしまいました。それに加えて昨年の2月からはロシアのウクライナ侵攻という、90年前の世界にタイム・スリップしたのかと思わせるようなできごとが起こりました。それは今もなお多くの弱い立場にいる人々を、苦しみと悲しみの淵に追いやり続けています。

 

どうぞ皆様、新型コロナで療養しておられる方々、戦火にさらされて苦しんでおられるウクライナの方々のことを憶えて、お祈りくださいますようお願いいたします。

 

 

「男だろ!!」から「信じてるぞ」

 

今年も箱根駅伝を見ておりました。昨年は青山学院大学監督の「スマイル、スマイル」について書きましたが、今年は駒澤大学の大八木監督の掛け声が気になってしまいました。

 

彼が走っている選手に「男だろ!!」と檄を飛ばして話題になったことはご存じかと思います。ところが今年は、今までとは違う掛け声が多かったように思いました。

 

その掛け声とは、「お前ならできる!!信じてるぞ」です。このように変わった理由を大八木氏は、あるインタビューで次のように述べていました。

 

「私の一方通行でした。厳しかったし、学生は私に何も言えなかったと思う。」以前とは違い選手の意向を聞くようになり、そうすると積極的に声も掛けるようになります。「話し合ってやらなくちゃ。自分から話を聞こうと。自分も変わらないと」。

 

 

イエスさまの声かけ

 

イエス様は、既に二千年前から私たちに声をかけてくださっています。

 

「徴税人ザアカイ」の物語(ルカ19・1~10)は、イエス様の方から声をかけられたお話しです。ザアカイはエリコの町においでになったイエス様をひと目でも見たいと思っていたのですが、群衆に遮られて見ることができませんでした。ザアカイは徴税人の頭だったため、群衆からは罪人のみならずローマの手先と考えられて、誰もが背が低い彼を配慮しようとはしなかったのです。そこでザアカイは先回りしていちじく桑の木に登ってイエス様のお姿を見ようとします。そんなザアカイにイエス様は木の上を見上げ、「急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と声をかけられるのです。ザアカイは本当に嬉しかったと思います。

 

またイエス様は対話を通しても、声かけをしてくださいます。「カナンの女の信仰」(マタイ15・21~28)では、初めは何もお答えになりませんが、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と応える彼女との対話を通して、「あなたの願いどおりになるように」と声をかけてくださるのです。

 

 

私たちは誰に

 

私たちもイエス様に倣って「声をかけ」たいと思います。今年は、そして今年も、教会の礼拝においでになった方々、特に初めて礼拝においでになった方に「優しく一声、おかけ」できればと思います。

 

「おはようございます」の一声が、「ようこそいらっしゃいました」の一声が、自分も認識され、受け入れられていると感じていただけるなら、心の中で嬉しく感じていただけるなら、すてきですよね。

 

ご一緒にそのような教会を目指したいと思います。

 

 

教区主教 主教 ヨハネ 吉田 雅人

 

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クリスマスメッセージ「和解の王として来られたイエス・キリスト」2018年12月号

東北教区の皆様にご挨拶申し上げます。12月より、大韓聖公会テジョン教区から移籍し、日本聖公会東北教区司祭として働くことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

神に似せて造られたはずの人の姿が、美しくではなく、むしろだんだん醜くなっているようで胸が痛みます。誤った人間の姿が、あちこちに現れているように感じます。それにもかかわらず、愛である神様は、人間の姿で私たちのもとに来てくださいました。皆さんの上に豊かな恵みと、世には平和と愛が豊かにありますように願います。

 

神様の姿から遠くなってしまった私たちのために、神様はご自身で私たちのところに来られました。預言者アモスを通して義を、預言者ホセアを通して愛を示され、預言者エレミヤは涙を以て私たちが新たに生まれることを叫び続けたのです。洗礼者ヨハネは「悔い、改めよ。天の国は近づいた。」と叫びました。また、続けてこうも叫びました。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(マタイ3:1〜3)

 

 

人と人との間に、隣人と隣人との間に、国と国との間に、憎しみと紛争がいつもあります。その憎しみのあるところに、幼子イエス・キリストは来ました。憎しみがいっぱいあるところに愛が溢れるようにするために、メシアとして私たちのところに来られたのです。

 

人と人との間、隣人と隣人との間、国と国との間の対立と紛争は、まさに人の高慢さが生んだ競争心理からくるものです。しかし、平和の王、イエス・キリストが来られたので、いと高きところには栄光、地には平和が訪れました。正しいことにより過ちが、明るさより暗さが、真実より偽りが横行するこの世に、幼子イエス・キリストが光としていらっしゃいました。光は闇を追い出します。

 

 

幼子イエス・キリストは仕えられるためではなく仕えるために来られたので(マタイ20:28)、私たちも人から慰められ、理解され、愛されるより、他の人々を慰め、理解し、愛さなければなりません。イエス・キリストは、この貴重な教えを十字架の上で実現するためにいらっしゃいました。

 


和解の王として来られたイエス・キリストは、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と言います。許しと和解は、キリスト教の最も大切な教訓です。神様は愛の神であり、同時に許しの神です。許さなければ許されません。他人を許して、それによって自分も許しを受けて、まさに私たちが飼い葉桶で生まれ変わることに、クリスマスの本当の意味があるのでしょう。許しと和解、そして愛の幼子イエス・キリストが東北教区共同体に言われます。「私が生まれた飼い葉桶で、東北教区共同体も生まれ変わるでしょう。」

 

 

仙台聖フランシス教会 牧師
司祭 ドミニコ 李 贊煕

あけぼの2023年3月号

巻頭言 東日本大震災メッセージ 「がれきを拾う」

 

 

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」
(ルカ16:10)

 

阪神淡路大震災から28年が経ち、まもなく東日本大震災からは7年、西日本豪雨からは5年がそれぞれ経過しようとしています。それ以外にも日本全国で規模や被害の大きさはそれぞれですが、自然災害が起きています。

 

私は阪神淡路大震災も東日本大震災も被災はおろか、ボランティアの経験もありませんでした。私のボランティアの初めては熊本地震の時でした。当時は熊本城が被害に遭ったことなどがよく報道されていましたが、主な被災地域は益城町という小さな集落でした。梅雨時期ということもあり、大雨の中、倒壊した自宅横に張ったテントの中で生活している人などにお声がけして手作りのおかずを持って訪問しました。晴れの日には肌を刺すような日差しの中、ブロック塀を撤去し、土のう袋に詰める作業や被災したお寺のがれきを運ぶ作業をさせていただきました。たった3週間の短い期間でのボランティアでしたが、教会の中だけでは出来ない学びの多い経験でした。

 

その2年後、山陽を中心とした西日本豪雨災害が発生し、私はボランティアセンターのスタッフに任命されました。社会福祉協議会の指示のもと、土砂のかき出しやがれきの撤去作業をさせていただきました。

 

 

ボランティアには色々な思いを持って皆さん来られます。熊本地震では、熊本城の修復に関われると意気込んで来られた方もよくおられました。西日本豪雨では、ニュースで連日報道されていた被害の大きな地域に行けると思って来られた方もおられました。社会福祉協議会を通さないで別の被災地域に行こうとされる方もおられました。被災地で自分の行なっているNPO法人の活動を宣伝する方もおられました。トラックや重機を借りて作業したいという方や、避難所に行って被災して困っている人と交流したいと言われる方もおられました。ボランティア精神にあふれた熱意ある善意は実に多種多様で、本当に色々な思いを抱えてボランティアに来られているんだなと感じました。

 

しかし、実際にボランティアに出来ることは限られています。土砂崩れが起きたばかりの危険な場所へは行けませんし、全壊しそうな建物には近づけません。道具も作業時間も限られ、細かく地道で疲弊する作業が連日続きます。什器や大きな道具を使った派手な作業は行政などから委託された業者の方がされます。避難所などへは医療従事者の方々が行かれます。私たちが出来ることは、お祈りとひたすら0がれきを拾う手作業などだけです。それに対して、不満を持つ方もやはりおられたことを記憶しています。

 

しかし、そのがれき一つを拾うことからボランティアは始まります。足元に落ちているがれきに目を向けられず、大きな目標や理想のボランティア像ばかりを目指しても、被災者の本当の気持ちには寄り添えないのです。

 

起こってほしくはないですが、おそらくいつか災害は起こるかと思います。その時に私がどのような立場にいるのかわかりません。しかし、目立たなくていい。大きなことができなくていい。静かな祈りと共に足元の小さながれきを拾うことを大切にできたらと思います。

 

 

八戸聖ルカ教会副牧師 司祭 テモテ 遠藤洋介

 

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