教区報

教区報「あけぼの」 - 東北の信徒への手紙の記事

あけぼの2024年11月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「あなたがたは世に属していない(ヨハネ15章19節)」

 

 

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多くの方が愛誦聖句を持っておられると思います。それぞれの心に響いた聖書の言葉、それは素晴らしい神の言葉の贈り物です。

 

一方で気を付けなければいけないのは、私たちは神の言葉を都合よく切り取って自分の思いの証明に使ってしまう誘惑に駆られることです。表題の聖句を「そうだ。私たちは天に属しているのだから、罪と汚れにまみれたこの世とはできるだけかかわってはいけないのだ」などと受け取ってしまうと、イエス様の思いを無にしてしまうことになります。確かに主に寄って私たちは天に属する者としていただいた、そしてその上で私たちは「わたしはあなたがたを遣わす」(マタイ10:16)とイエスのみ名によって世に遣わされているのです。世に属さない者として世に遣わされるということはとても怖いことです。事実この言葉は迫害の予告の冒頭に用いられているものです。イエス様ご自身がその姿勢を貫き「世に抗う者」として十字架に上げられました。キリストの体である教会は、弟子である私たちは、「世に属していない」という姿勢をどのように現してきたのでしょうか。もちろん私たちはイエス様と同じにはなれません。そのことはイエス様もご承知で「弟子は師にまさるものではなく、……弟子は師のように……なれば、それで十分である。」(マタイ10:24)と言ってくださってはいます。要は私たちがどれだけ主に近づこうとしているのかが大事だということでしょう。

 

幸いなことに、私は4つの教区の教会の皆さんとかかわる機会がありました。信徒の皆さんといろいろな話をさせていただきました。ご高齢の先輩方からは昔の教会の様子、楽しかったこと、宣教師の思い出、大変だったことなどを聞かせていただきましたが、どこの教会でも時折、人権問題になりそうな話が飛び出してきました。

 

過去の日本において、現代よりもさらに性差やハンディキャップを抱える人々の人権が軽視されてしまうことや、「職業に貴賎なし」との言葉が生まれるほどに職業差別や出自に対する差別が大きかった時代がありました。「そういう時代だったから仕方がない」ということもできるのでしょう。いや、仕方がないというよりもそれが「世の常識」であり、それに異を唱えることの方が奇異なことだったのかもしれません。しかし「お和えたちはそういう存在なのだ」と決めつけられた人たちが、仕方がないことだと納得していたわけではないのです。それが自然な心の動きだと思います。

 

「そういう時代だった」とはしばしば用いられる言い訳ですが、「世に属していない」はずの教会もそれでよいのでしょうか。もちろん人も行政も目を向けなった小さくされた人、病者、社会から邪魔者扱いされた人たちに寄り添い支えた先人たちはたくさんいました。戦時中でさえも声を挙げるのをあきらめなかったひとたちもいたのです。しかし多くの人が「世のあたりまえ」に従ってしまったか、疑問を抱くこともなかったのではないでしょうか。

 

 

今私は現在の視点から過去を眺めて書いていますが、自分がその時代に生きていたら「世に属していない者」として生きられたのだろうかと思います。それは自分も現在の「世の常識・価値観」を第一にしてしまっているのではという恐れを感じたからです。「世に属さない者」としての視点はいつの時代の教会にも大切なものなのです。

 

 

主よ、どうかみ名のみを崇めさせてください。

 

福島聖ステパノ教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

 

 

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あけぼの2024年10月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「イエスの深い憐れみ」

 

 

「大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教えを始められた。」(マルコ6:34)

 

今年8月の主日はすべてヨハネによる福音書6章が選ばれ少しずつ読み進めてまいりました。ヨハネ福音書6章の冒頭には有名な「五千人の給食」が記されています。この記事は4つの福音書すべてに記されています。今年は7月21日(特定11)にマルコによる福音書の記事が選ばれていました。冒頭の聖句はその一部ですが、イエス様は「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれ」ました。

 

6章を読んでいくと興味深い事実が記されています。

 

お腹を空かせていた多くの人々が奇跡を目の当たりにして主を自分たちの王にしようとします。その人々の様子が次第に変化していきます。「わたしは天から降ってきたパンである」「わたしは命のパンである」という主の教えの真意を理解できず、弟子たちの多くは「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」とつぶやき、ついには離れ去り、共に歩まなくなったのです。ヨハネ6章の最初と最後では人々の様子がまるで違うのです。

 

私はこれが人間の姿だと思います。主のもとに集まってきた人々は「空腹」でした。そして生きる希望を見いだせない「限界」にあったのだと思います。私たちが生きていくためには目に見える食べ物が必要です。人はパンだけで生きるのではないと聖書は語りますが、実際に限界に追い込まれた人にとっては今日を生きていくための食べ物、そして目に見える希望が必要なのです。

 

 

盛岡聖公会では地域の課題に寄り添っていくためのきっかけとなればという思いから「フードドライブ(食料支援・回収)」を実施しました。フードバンク岩手によると「想像できないかもしれませんが、学校の給食が頼りの子どもたちにとって夏休みはとても辛い期間なのです。そのため、夏休み中の食料支援の要請は通常の倍以上にもなります。」と報告されています。夏・冬休み前のフードバンク岩手への緊急支援要請は2021年で924世帯、2023年で1,004世帯と年々増加しています。子どもたちの食への貧困問題は深刻で、体の健康はもちろん、心の健康にも大きく影響を及ぼしています。

 

 

「実にひどい話だ」と言って主のもとを離れていった人々を、なんて符深厚な人なのだとは決して言えないと思います。なぜなら、人々の置かれていた現状は大変厳しかったのだと想像するからです。満たされない時、人は絶望し自己中心的な行動、言動をしてしまうのです。ですからイエス様の言葉も彼らには届かなかったのです。そんな人間への思いが「深い憐れみ」という言葉に込められています。

 

 

飼い主のいない「限界」に追い込まれた人々への深い深い思い、まなざしが向けられています。そして、私たち一人ひとりが日々しんどさを抱えながら生きていることも主は知っておられます。「私たちの日ごとの糧」が与えられ、お腹を空かせている人がいなくなる社会の実現こそが紙の国のしるしです。「わたしは命のパンである」と言われた主のみ言葉が私たちの心に留まるためにも、「神の国」の完成のためにあなたの存在を必要としてくださっている主からの招きに応えてまいりましょう。

 

 

盛岡聖公会牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也

 

 

 

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あけぼの2024年9月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「四十八茶 百鼠」

 

 

この言葉が生まれたのは江戸時代です。長きにわたって平和を謳歌した江戸時代は、生産性が向上し、庶民の生活もかなり豊かになっていたようです。ただ、それを面白く思わなかった為政者たちは、幾度となく“奢侈(贅沢という意味)禁止令”を発令したといいます。それは「芝居を見に行くな」「米を食べるな」「絹物を着るな」など庶民の生活全般にわたりました。着物に関しては、色・柄・素材など、細かい規定が設けられました。

 

人々は、為政者に対して表立って反抗することはありませんでしたが、定められた範囲内でお洒落を楽しめるように工夫したそうです。

 

庶民の着物は、祖愛は綿もしくは麻、色は「茶色」「鼠色」(灰色という呼び名は火事を連想させるため「ねずみ色」というのが一般的でした)「お納戸色」の3色に限定されていました。「お納戸色」というのは、何度=物置の扉を開けたときの薄暗がりの色で、濃紺に近い色です。普通、色は二次元の世界なのに、日本人は空間に色をつけてしまったのです!

 

江戸時代の庶民たちは、この許された3色に、自分たちのセンスのすべてを注ぎ込み、それぞれの色の中に微妙な色調を工夫して着物を染め上げ、バリエーションを楽しんだそうです。そしてこの3色の中でも、特に茶色と鼠色の中に多彩な色合いが生まれ、新しい呼び名がつけられました。海老茶、白茶、江戸茶、蒲茶、鶯茶、千載茶、団十郎茶、利休茶……。語呂合わせで四十八茶と呼んでいますが、実は茶色だけで100種を超える色があるそうです。鼠色に関しても、藤鼠、茶鼠、江戸鼠、利休鼠、桜鼠、梅鼠、源氏鼠、鳩羽鼠……と100色以上あります。

 

日本にこれほど多彩な色があるのは、足枷のある限られた自由の中で、お洒落を楽しもうとセンスを磨いてきたからといえるのではないでしょうか。微妙な色彩の違いを見極め、そこに工夫を凝らしたのです。

 

 

また、庶民でも経済力のある人は、着物の表地はお上のお触れに従って地味を装いながら、裏地には禁止されている正絹や派手な染め色を用い、隠れたところに贅を尽くすことで、江戸っ子の意地を通しました。裏地のお洒落は江戸っ子好みの「粋」であり、ちらりと垣間見えるそれを見逃さず気づくことのできる人が「通」、逆に、それをひけらかすのは「野暮」と笑われたのだとか。

 

 

環境を「呪う」のではなく、その環境に「乗ろう」とする。足枷があっても、逆にそれをゲームのルールにして遊んでしまう。日本人は楽しむ天才なのかもしれません。「獄にあっては獄の中でできることをする。獄を出たら、出てできることをする」とは彼の松田松陰の言葉ですが、どんな時にも、そこでやれることをやるだけだ、というわけです。いつでも、今やれることの積み重ねで奇跡は起こせるのかもしれません。

 

 

さて、東北教区の各教会がおかれた現況、そして未来は、普通に考えれば決して“明るい”とは言えないのかもしれません。信徒、聖職の数は減少の一途をたどり、それに伴って財政も逼迫しています。しかし、それでも……、今も、いつも、これからも、やれること=神のみ旨を求め、それに聴き、派遣された地でこれを実践することの先に、新しい扉は開かれるのかもしれない、そう信じたいと思います。

 

 

仙台基督教会牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言

 

 

 

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あけぼの2024年8月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「反転しない正義」

 

 

 

 

今も昔もテレビに登場する正義のヒーローは子どもたちに人気があります。私がチャプレンを務める幼稚園でも、行けば子どもたちはそれらのヒーローのことを話題にあげ、その強さやかっこよさを力説してくれます。そんな子どもたちの様子を微笑ましく思う一方で、これらの正義のヒーローが語る「正義」とは一体何なのだろうかと考えてしまいます。彼らは劇中でよく敵とお互いの意見を戦わせます。その時多くの場合はヒーロー側が正論を言い、悪役側がめちゃくちゃな主張をするので、それをヒーローがやっつけて、めでたしめでたしとなるのがお決まりです。

 

 

しかし時々不思議なことが起こります。ヒーロー側が主張する意見も正しく聞こえる、でも敵側が話すことも決して間違いではない、いわゆる「どちらも正義」に見える場面があるのです。そしてそんな場合に、最終的にどうなるのかと言えば、お互いに暴力をもってその主張をぶつけ合い、ヒーロー側が勝って終わる訳です。でもこの場合、暴力で決着がついた後も、戦いは続きます。ネットの掲示板ではどちらの主張が正しかったのか議論になりますし、どちらの勢力のファンになるのかも争いになったりするのです。極端な言い方をすれば、私はこの構造がまさに人間の戦争状態なのだろうと思うのです。お互いに信じる「正義」を持っていて、それを押し通すために最終的に暴力に訴える。そして敗れた側は「悪」になる。これは戦争の構造そのものですし、いかに人間が主張する「正義」というものが移ろいやすいものであるかを示していると思います。

 

 

そんな世に溢れる正義の論争に、一石を投じるヒーローがいます。それは皆大好き「アンパンマン」です。彼を知らない日本人はいないくらい有名なアンパンマンですが、彼の生みの親である、やなせたかし氏は著書中で彼を「最弱の正義のヒーローである」と称する一方で、自分の理想とする正義を体現していると語っています。やなせ氏はこう言います。「正義は立場によって反転する、昨日まで正しかったことが、次の日には悪になる。それを自分は戦争でいやというほど経験した。しかし決して反転しない正義がある。それはアンパンマンが体現している、献身と愛である。これは決して変わらない。」と言うのです。

 

 

アンパンマンはご存知の通り自分の顔をお腹がすいている人に躊躇無く与えます。そうしてしまうと自分のパワーが弱くなってしまうことが分かっていても、それをどんな場面でも迷わずに、時には敵である「ばいきんまん」にさえそうするのです。もちろん話をおもしろくする中で戦いはあるのですが、その本質はどこまでも自身を献げて周りの人のために働くアンパンマンの正義であると、やなせ氏は主張するのです。

 

 

これはキリストに生きる私たちにも響く主張であると思います。イエスさまが聖書の中で、ご自身の生涯を通して教える「隣人を愛しなさい」ということが、私たちの信じる正義であるなら、私たちが目指すべき正義がどこにあるのか、見えてくる気がします。

 

 

この8月という時は、私たちに戦争のこと、平和のこと、正義のこと、色々と問いかけてくることと思います。そんな時に、世に溢れる正義について、アンパンマンが語る正義について、聖書が語る正義について、考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 パウロ 渡部 拓

 

 

 

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あけぼの2024年7月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「私があなたがたを愛したように」

 

 

ある時、教会の礼拝にはじめて参加された方にしばらくして「教会はどうですか?皆さんとは仲良くなれましたか?」と尋ねますと「皆さんとても親切でお優しくしてくださいます。やっぱり教会は愛に溢れているところですね」というお答えを頂戴しました。「教会には愛がある」という言葉をとても嬉しく誇らしく思うのと同時に、そのようなお答えをいただきとても新鮮に感じている自分がいることにはっとさせられました。

 

 

主イエスがこの世を去られる前に弟子たちに最後の説教(ヨハネ14章ー16章)を語られましたが、そこで繰り返し語られたことは「互いに愛し合いなさい」でした。「これがわたしの命令である」とさえ語られ、繰り返しておられます。主イエスのお別れの説教でもありますから、これだけはシア後に言っておきたいという最も重要な教えであり、キリスト教が「愛の宗教」と言われるゆえんにも繋がる内容ですから私たちの教会に必要不可欠なものこそこの「愛」なのです。これはキリスト教保育についても同じです。

 

 

しかし、愛というものは、直接目で見て確かめ、取り出して見せるようなものではなく、「関係」の状態を示す言葉です。教会での交わりや友人との関係や家族との関係、夫婦の関係など、人と人との人格的関係、その関係や状態を表す言葉ということになります。私たちは、「そのような意味において主イエスが、愛の人、愛に満ちた人だということを知り、そのように信じており、そして、繰り返し「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と命じておられる中で、私たちは本当のところ主イエスのどこを見習えば良いのでしょう。

 

主イエスは優しく、どんなことがあっても怒らない、柔和で、子どもをニコニコ抱き上げられ、病気の人々、心身に重荷を負われる人々、貧しい人々、弱くされた人々の側に立ち、奇跡さえ行われる方としてのイメージが強いのですが、同時に、権力を振るう人を嫌い、正しいと思ったことは貫かれ、神殿で商売を行う屋台をひっくり返すような荒々しさもお持ちです。その主イエスが「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と教えられ、これこそが愛だとはっきりと言われるのです。

 

これは偏に十字架の愛であり、「犠牲愛」と言われる愛です。そして、主イエスは、弟子たちのため、人々のため、そして、私たちのためにも、本当に死んで慈しみに溢れた「愛」を見せてくださいました。ご自身を裏切る者をも許して愛し、突き落とす者をも愛し抜く愛です。そしえ十字架の上で苦しみ、死なれ、これが愛すると言うことだとはっきり示してくださった、痛みと苦しみを伴う愛です。その上であなた方もこのように愛し合いなさい命じておられます。しかしながら私は弱く、主イエスの様には死ねません。ただ主イエスを愛し、救い主と信じることによって、私たちの最後の時の罪状書はすでに無罪とされ救われています。この恵みに満たされ、互いに愛し合う教会として喜びに溢れた教会として宣教に励み、共に歩んでまいりましょう。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

 

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あけぼの2024年6月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「私たちの地域へ蒔く種」

 

 

最近、弘前昇天教会には多くの方が訪れています。日本全国や色々な国からの観光客もいらっしゃいますが、地元の方々もたくさん教会を訪れます。昨年は弘前市と一緒に教会訪問プログラムを計画し一日で200名くらいの方々がいらしたこともありました。しかし、教会を訪れる方々と話をすればするほど、私の心が痛くなりました。その理由は、「この教会の門はいつも閉まっていた。だから教会を観たくても観ることができない」という声を地元のたくさんの方々から聞いたからです。お

 

もちろん門を閉めていたのには様々な理由がありました。この中で一番の理由は定住牧師がいなくて信徒皆さんでは対応に限界があるからでした。

 

 

イザヤ書55章10節以下に「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え食べる人には種を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた氏名を必ず果たす。」という言葉があります。このみ言葉では自然の順理が明らかになっています。

 

イスラエルの民は、自分たちが種を蒔いたとしても、その恵みを施すのは神様であると告白します。神様のご意志が必ず成し遂げられるのが創造の順理であるという言葉を心に刻みたいと思います。

 

私たちが蒔くべき種は、やはり神様から受けた恵みを他の人々が知るように努力する心です。そして行動することです。私たちが蒔いている紙さなの恵みの種がすぐにも私たちに近づいていなくても挫折してはいけません。種を蒔いてもその種がすぐに実を結び、種を蒔いた人に戻るようにはできません。それを期待するのはむしろ欲望です。

 

私たちは毎日種を蒔きます。慈悲深い神様の恵みを言葉と行動で実践することが種を蒔くことです。イエス・キリストの十字架も同じです。確かに最初は失敗のように見えますが、神様の意志は異なります。死に勝ち、完全な勝利を成し遂げるための苦痛を捧げられたのです。私たちも待っている心で、今のように種を蒔く切実な心をで暮らすなら、その実は神様がくださる恵みの贈り物になります。

 

このような人の切実な願いは主イエス・キリストが教えてくださった祈りによく出ています。神様が慈悲深いように、私たちも慈悲深く恵みを求めなければなりません。そのためには、より多くの努力をしなければなりません。神様に純粋に従う私たちが求めるものが何であるかを私たち一人一人が確認する必要があります。

 

 

最近、教会の花壇で花を見る時間が多くなりました。名前も知らない花を長い時間ずっと見る時があります。ある日なぜ花の名前を知らないか考えてみると、これまで花に対して関心がなかったからでした。関心をもって花を見ると色々な良さに気付くことができます。このように私たちが神様の宣教に関心を持って各地域で各教会に合う形はどんな形なのか。また、わたしたちが蒔くべき種はどのような種か。東北教区が、神様の前で謙遜な弟子として、祈りの中で確認する共同体になることを願います。

 

 

弘前昇天教会牧師 司祭 ドミニコ 李 贊煕

 

 

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あけぼの2023年12月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「奪い合えば足りず 分け合えば余る」

 

 

 「人々は皆、食べて満腹した。そして、余ったパン切れを集めると、十二の籠がいっぱいになった。」(マタイ14章20節)

 

 10月18日から19日に函館で北海道教区との合同教役者会が行われました。宣教協働区として歩みを始めたバカリの両教区にとって、とても有意義な時間が与えられました。それぞれ教区内各教会の紹介をし、お隣の教区とはいえ、お互いに知らなことばかりでした。東北教区も広大な面積を誇っていますが、北海道教区は東方地方全体よりも大きな面積を持っています。それは非常に魅力的であり同時に途方もない大きさを知ったことで脅威にも感じました。

 

お互いに足並みを揃えて同じ方向(目標)に進んでいくということは、笹森主教も仰っていましたが、夫婦になっていくようなものです。今は双方見つめ合ってお互いの色々な面を確認している状態ですが、良教区とも宣教協働を重ねて、その目線の方向を少しずつ前に向け、最終的には同じ方向を向いて歩んでいくことです。

 

イエスさまは5千人の給仕の場面で、弟子たちの手で人々に食べ物を与えるように促しました。そして結果的に大群衆のお腹は満たされ、なおも余ったと記されています。

 

この群衆に「さあお腹がすいた人はここまで取りにおいでください」と言ったとします。おそらく、お腹をすかせた多くの人はその給仕所に群がり、混雑し、奪い合い、暴力に発展する事態になったかもしれません。弟子たちをそれぞれに群衆たちのもとへまわらせて、限られた食物を【分け合う】ということがこの場面では大切だったのです。先日もある国で、新しいスマートフォンの発売日に暴力による奪い合いが起きました。足らないから奪い合うのではなく、奪い合うから足らなくなるのです。奪い合いというのは【自分(たち)だけは】という気持ちから生まれます。多くの戦争もこの【自分(たち)だけは】という気持ちから始まっています。

 

他の教区と一つになると聞いた時には多くの心配事があります。自分たちの教区はどのように変化してしまうのか、信仰生活や教会生活にどんな影響が出るのか、主教座はどこになるのか、分担金はどうなるのか、教役者は東北から出ていくのか、一緒になる教区の教役者が来るのか、教会の管理体制はどうなるのか、細かいことまで考えるとキリがありません。心配事が増えると、【自分(たち)だけは】という気持ちが生まれ、宣教協働ということ自体が非常にマイナスなことになってしまいます。お互いの教区が大切にしている色々なことやものを奪う、与えるという発想ではなく【分かち合う】んだと考えていけば自然と宣教協働や合併という不安な道も神さまの愛によって明るく照らされるように思います。

 

どのように変化していくのかは何もわかりません。きっと良いことも不都合なことも起こると思います。しかし複数の教区が一つになることで、足らなくなるというマイナスな考え、今よりもあらゆることが縮小され、制限されてしまうと考えるのではなく、より広く豊かで多彩な体制になると考えたいものです。そして、互いに持つたくさんの良いことを分け合える。素敵な夫婦のような宣教協働の道を歩んでいけたらと願っています。

 

山形聖ペテロ教会牧師 司祭 テモテ 遠藤洋介

 

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あけぼの2023年11月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「目標を目指して競争する」

 

 

私はこの原稿を9月に執筆しているのですが、この時期になるとチャプレンとして携わる幼稚園で、次々と運動会が開催されます。そしてこの時期になると私はいつも「競走」ということについて思いを巡らせてしまいます。今回はそんな「競走」ということについて考えてみたいと思います。

 

さて競走という言葉は、言うまでも無く足の速さを比べて優劣や序列を付けていくことが原意としてあります。それは当然なのですが、実は聖書において登場するこの「競走」という言葉を、ギリシャ語から見てみますと、前述の意味だけではないことが分かってくるのです。中でもヘブライ人への手紙12章1節の「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」と訳されているところの「競走」という言葉は、実はテモテへの手紙Ⅰ6章12節において「信仰の戦いを立派に闘い抜いて……」という箇所の「闘い抜く」という言葉と同じものであるのです。

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つまり聖書における「競走」というものは、単純な順位付けや走るという意味にとどまらずに、目標に向かって「闘う」ことを要求される教えであると言えるのです。そしてこの「闘う」と訳された言葉もとても大切です。何故ならこの言葉、「戦う」ではないのです。今度はこの「闘う」という言葉を日本語の辞典で調べてみますと、もちろん「自分と意見や思想の違う相手と闘う」という意味も出てくるのですが、その他に「自分に課されている苦難や障害を乗り越えようとすること」という意味も出てくるのです。
 

何やらギリシャ語やら日本語やら行ったり来たりと、無理矢理にも思えてきますが、しかしこれらのことをまとめると、聖書が私たちに求める「競走」の意味、その一つが見えてきます。それは「競走」とは誰かと争うことではなく、ひたすらに目標に向かって自分に課せられた苦難や障害を乗り越えていくことである」ということです。また同時にこれらの「競走」という言葉が、聖書という教会共同体に、いや人類に向けて書かれている書物にある言葉と捉えるならば、聖書を読んで信じる全ての人が同じ目標に向かって「競走し、闘う」ことを求められているものであると考えることが出来るでしょう。

 

最後に、それではここで言うところの競走とその目標とは何かといえば、それは当然「信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブライ人への手紙12章2節)走るということであり、その私たちが見つめるイエスさまが目指している「全人類が愛され、大切にされる神の国」を完成させるという大事業が目標であるのです。その目標のために、私たちはそれぞれに定められている競走を走り、時に訪れる困難や障害をお互いに協力し合いながら「闘い」進んで行く教会共同体であるということを、「競走」というみ言葉は教えてくれているのです。

 

この原稿が世に出る頃には、教区としても教区会を迎え、教会や個人としても新しい年の始まりを意識しだす時期であると思います。そのような時期だからこそ、それぞれの場所で今定められている競走は何か、目標は何かを見つめ直し、どうすればそこに向かって走ることが出来るのか、闘うことが出来るのかを、改めて皆で一緒に祈り求めていきましょう。

 

私たちも使命を果たすために、一生懸命に舟を漕ぐ中、目に見える姿の主イエスはおられません。この世の荒波がもろに教会に吹き付けます。教会の中にも科学万能、合理主義、経済優先の考えが求められることもしばしばですが、舟の前に立っておられる主イエスから決して目を逸らさぬようにしなければなりません
とはいえ私たちは、どうしようもない弱さを持っていて、神さまを試みてしまったり、疑ってしまうことさえあります。頭で理解しつつも、決断を迫られる時ほど、不安や新しいことへの恐怖からか、心配を先取りし、神さまへの信頼を見失ってしまいがちになってしまいます。主は、そのような私たちに「信仰の薄い者よ」と言いながらも、溺れそうになる私たちを、捕まえてくださいます。私たちにできることは、まず今こそ「ほんとうに、あなたこそ神の子です」という信仰を確かめ、心から礼拝を懸命に捧げることだと思うのです。主イエスから目を逸らさずに、開き、ささげ、勇気と希望をいだき前に進んでまいりましょう。

 

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 パウロ 渡部 拓

 

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あけぼの2023年10月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「安心しなさい。わたしだ。~主を見つめて」

 

 

この世の組織やご家庭、個人の人生はしばしば船や船旅にたとえられます。船は力を合わせ、同じ方を向いて漕ぐと前へ前へと進みます。そうしないと船はやがて沈んでしまいます。教会もまぎれもなくこの世をひたすら進む救いの箱舟です。目的地は「天の国」に他なりません。そして今その船に「漕ぎ悩む」という状況が起こっています。教役者と信徒、そして教会に連なる全ての人々がともに「今できることをしましょう」と力を合わせ、一生懸に命漕ぎ続けていますが中々進みません。教会はいつの時代も思い悩んで進み、それが教会の宿命なのかとさえ感じるのですが、この状況は主イエスと実際に歩んだ弟子たちも経験したことだと気づきます。それはマタイによる福音書の14章22節以下の「湖の上を歩く」主イエスの話に見られます。

 

この話は当時の教会の姿が重ねられていると解釈されています。ガリラヤ湖に漕ぎ出した舟は、誕生したての教会を表し、主は「強いて」弟子たちを舟に乗せ、自分は舟に乗らず彼らを先に行かせました。このことは、弟子たちがそれまで主とずっと一緒だったのに、主は、あれよあれよという間に、十字架につけられてしまい目に見える主がおられなくなったことを示していると解釈されます。弟子たちは復活の主との出会いがあったとはいえ、大きな恐れと不安を抱えました。主の姿の見えない中、教会という船を漕ぎ出したのですが、なかなか前へ進みません。逆風が吹き、波が行く手をさえぎります。この様子は、当時の教会に対する迫害や内部の問題と捉えられます。そこに湖上を歩いて主が船に近づかれ、弟子たちは恐れおののきますが、主は「安心しなさい。私だ。」と言われます。ペトロは自分も主に近づこうとして湖上を歩き始めますが、周りの状況に心が奪われ主から目をそらした瞬間溺れそうになります。主はペトロに「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」わたしは共にいるではないかと叱咤し、主は一緒に舟に乗り込むと、風も波も静まり舟はまた進み始めたという話です。ここに普遍的な真理と私たちの教会に対するメッセージがあります。

 

私たちも使命を果たすために、一生懸命に舟を漕ぐ中、目に見える姿の主イエスはおられません。この世の荒波がもろに教会に吹き付けます。教会の中にも科学万能、合理主義、経済優先の考えが求められることもしばしばですが、舟の前に立っておられる主イエスから決して目を逸らさぬようにしなければなりません
とはいえ私たちは、どうしようもない弱さを持っていて、神さまを試みてしまったり、疑ってしまうことさえあります。頭で理解しつつも、決断を迫られる時ほど、不安や新しいことへの恐怖からか、心配を先取りし、神さまへの信頼を見失ってしまいがちになってしまいます。主は、そのような私たちに「信仰の薄い者よ」と言いながらも、溺れそうになる私たちを、捕まえてくださいます。私たちにできることは、まず今こそ「ほんとうに、あなたこそ神の子です」という信仰を確かめ、心から礼拝を懸命に捧げることだと思うのです。主イエスから目を逸らさずに、開き、ささげ、勇気と希望をいだき前に進んでまいりましょう。

 

 

郡山聖ペテロ聖パウロ教会 牧師 司祭 ヤコブ 林 国秀

 

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あけぼの2023年9月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「今更ながら日本の教会とは」

 

 

今年の3月、秋田から福島への転任の準備でバタバタしている時に故郷(長野)に済む妹が急逝しました。いまだに合間を見て何度か往復していますが、様々な手続きのため町に出かけた時、中部教区の上田聖ミカエル教会及び諸天使教会の近くを通りかかりました。こちらは和風建築で知られる奈良基督教会を小さくしたような教会で、祭壇を仏像に変えたらすぐにでも仏寺として使えそうな建物です。奈良の場合は景観条例があったのでしょうが、ここの場合はどのような経緯で和風建築となったのか、今更ながら興味をそそられました。きっと何か深い理由があったのではないかと思います。「日本の教会なんだから和風で」という単純なものではないのでしょうが、「日本の教会」という視点はとても大事なことなのではないかと思うのです。それはもちろん福音の本質を変えても良いということではありません。神から受けたものをそのまま伝えていくのですが、日本という風土の中でそれをどのような器に入れたら良いのかということなのかな、などと考えますが、小さな私にはなかなか思い切った割くが思い浮かんできません。

 

最近ある方からいただいた文章に明治期に来日した英国聖公会の宣教師の中に、日本の教会に英国型、例えば教区制などのスタイルをそのまま持ち込むことに反対した司祭がいたということが記されていました。しかし結局そうはならず、伝えた側は様々な変革を遂げているにもかかわらず、多分現在に至るまで、私たちはその時に伝えられたものを守り続けていたのかもしれません。日本聖公会では教区制改革が進められていますが、それは単に11もの教区を維持できないことに対する対処ではなく、教会そのものの変革を視点に置いてのことであることを、私たち一人ひとりも心に留めていきたいと思います。私には何ができるのか、私はどう変わることができるのかが、すべての信徒・聖職の課題なのではないでしょうか。そう書くと何か思いものを背負うような感じになってしまいますが、そのほとんどを実は背負ってくださっているイエス様のことをしっかりと見つめることが一番大事ですよね。

 

 

わたしの家はクリスチャンホームではなかったので、洗礼を受けた時に周りからは「なんで西洋の神様を信じるのか」と何度も問われました。そうなんですよね。多くの日本人にとってキリスト教は西洋の宗教であり、イエス様は欧米人の神様なのですね。そういわれるたびに「そうじゃない。聖書の神様は世界の神様だ。イエス様だって西洋人ではない」と反論してきましたが、自覚はしていなかったのかもしれませんが、日本の教会は、そして私も、西洋的なものをアピールしてきたのかもしれません。

 

学校が夏休みに入ったこともあってか、このところ毎日教会見学の方が来られます。多くは旅行者の方で、いまだに朝ドラ(エール)の撮影地の教会を見てみたかったという方が多いです。地元の方も来られますが、キリスト教に関心がある、聖書のことを知りたいという方には、残念ながらまだお会いしていません。食事時にインターホンがピンポーン!と鳴ると、思わず「うわー、勘弁してよ」と本音が出てしまいますが、今日こそは良い出会いがありますようにと、あきらめずに、訪ねてくれることに感謝し、少しうどんが伸びてしまうことを残念に思いながらも、笑顔での対応を心掛けています。

 

 

福島聖ステパノ教会 牧師 司祭 涌井 康福

 

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あけぼの2023年8月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「神さまの中で休みを探す」

 

 

私は子どもの頃から、注射が怖くて病院に行くのがとても嫌でした。できれば病院に行かないようにしました。ところが今は両親のがん治療をしている様子を観ながら、女院での定期的な検査や、早めの治療の重要性を感じています。

 

人は体が病気になったら病院に行きます。歯が痛むと歯科にお腹が痛くなれば内科を探すなど、体の部位によって様々な診療を受けます。しかし、心と魂が病気になったらどこへ行くべきでしょうか?皆さんは心が痛くなったらどこに行きますか?心が痛くなったときにどこを訪れるかは非常に重要な問題です。心の病気がすべての病気の源という言葉があるように、人は心が痛むと体が痛くなります。病院に行ってみて、医師は異常がないと判断しても、本人は病気だと言います。心に病気ができたのです。「疲れた者、重荷を背負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28-29)

 

イエス様はあなたを休ませてくださり、また私たちがどれほど苦労しているのかを知っているので、自分の所に来れば、安息を味わえると言われます。

 

 

では、神様のもとに行くとは何を意味するのでしょうか。それは神様の中で考え、神様の中で休むという意味です。神様に会う方法は斉唱にあるように、まさに「祈り」を通してです。旧約聖書の預言者は祈りを通して神様に会いました。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。」(列王記下19:15)

 

ユダ王ヒゼキヤがアッシリアの攻撃の前で神に捧げた祈りです。このような告白は、旧約聖書でよく見られる言葉です。イエス・キリストも神様のご意志を絶えず受け入れ、確認死、実行される時、人里離れた所に行って、祈られました。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)

 

それが神様の中で休んで、神様の道を模索する最も賢い方法です。最も賢い道は真の心理である神様に出会うことです。「わたしのもとに来なさい」と言われたイエス・キリストのみ言葉に従うのです。そのみ言葉の力は、今でも一貫して私たちを捉えています。

 

今日もイエス様は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と私たちを呼んでおられます。どんな医者も治療できないすべての痛みをイエス・キリストは治療してくださいます。これは2000年前の話ではなく、主イエス・キリストの中で休む人なら誰でも体験できる、今も起きている奇跡です。

 

神様を知っている人は毎回奇跡を体験します。しかし、神様を知らない人は、昔の物語の中のイエス・キリストのみを覚えています。真の休みは神様を見つけることです。

 

 

東北教区の皆様、皆様の教会で祈りを通して神様を探してください。また自然の中で神様に出会うことを望むなら、十和田湖畔にあるヴァイアル山荘を利用してください。自然の中で静かに祈り、沈黙の中で黙想し、私たちに真の休みをくださる神様と出会う経験をしてください。

 

 

弘前昇天教会 牧師 司祭 李 贊煕

 

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あけぼの2023年7月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「『信じる』ということ」

 

 

去る2006年4月6日、米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」が、1700年前の幻の福音書と呼ばれる「ユダの福音書」の写本を解読したと発表しました。これは2世紀に異端の禁書とされた写本で、3~4世紀に書かれたといわれ、1970年代にエジプトで発見、現在はスイスの古美術財団で管理されているものです。

 

この解読によると、イエスの十字架の出来事の前にあったとされるイスカリオテのユダの裏切り、すなわち彼がイエスをローマの官憲に引き渡したのは、実は裏切りではなく、イエスの言いつけに従った結果であると記されています。イエスは、他の弟子とは違い、唯一、教えを正しく理解していたユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自ら官憲に引き渡すよう指示したというのです。

 

これが史実なら、聖書の記述を覆す歴史的な大発見ともいえそうですが、イエスが捉えられたのはユダの裏切り行為なのか、あるいはイエスの指示なのかによって、私たちの神への信仰は変わってしまうでしょうか。

 

 

1998年、エルサレムに行く機会を得ました。エジプトからカナンへ、そしてガリラヤからエルサレムへという聖書の歴史に触れる旅です。その途中、エジプトの考古学博物館を訪問しました。

 

そこには出エジプトの際のエジプト王ファラオの像があり、出エジプトの出来事についての彼の言葉が綴られています。それは「奴隷状態にあった民の数が増え、これ以上放置しておくと暴動を起こしかねないから、彼らをエジプトから解放した」という主旨でした。

 

出エジプトの出来事は神とその使者モーセの導きによるのだという聖書の記述と、考古学博物館にあるファラオについての既述、どちらが「正しい」のでしょうか。

 

同じ聖地旅行でエルサレムにあるイエスの墓も訪ねました。一般には、現在、ローマ・カトリック教会や正教会が管理する、旧市街区の聖墳墓教会がそれだといわれています。しかし実はもう一つ、英国教会が管理し、プロテスタント諸教会がイエスの墓だと“主張”している「園の墓」があります。今後、どちらが「本当の」イエスの墓であるかが解明されたとして、その結果によって、私たちの信仰は由来でしまうのでしょうか。

 

 

信じようとする対象に、信じるに値する保証、根拠があるかどうかを見定めてから信じるのは、どこまでもその行為の中心に「私」があるとき。対して、たとえ保証や根拠がなくても、さらに言えば可能性が限りなくゼロに近くても、信じるという行為そのものに希望を見出すことこそが、「信じる」ということの内実だと思うのですが如何でしょうか。

 

ユダの行為が裏切りでなかったにせよ、出エジプトの出来事が聖書通りでなかったにせよ、イエスの墓がどこであるにせよ、死さえもがあなたにとっての致命傷でないのだというご復活の種の声に希望を見出し、信じる者でありたい、そう思います。

 

 

仙台基督教会 牧師 司祭 八木正言

 

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