教区報
教区報「あけぼの」 - 東北の信徒への手紙の記事
あけぼの2020年7月号
「人間は退化したのか?」
新型コロナウイルスが広がる世界にあって、私の頭の中で繰り返し響いてくる聖書の言葉があります。それはヨハネ福音書3章1節以下にある、所謂「イエスとニコデモ」と題されている箇所で、中でも「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」というニコデモの言葉と、イエス様の「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」という言葉に様々なことを考えさせられるのです。
このことのきっかけは、ある情報番組のコメンテーターの発言を思い出したからでした。それは現在の世界にはびこる「自己中心主義」「国家主義」過剰な「経済優先主義」を取り上げ、「人類は20世紀に入り、大戦や悲劇を体験しながらも、何とか生み出した自由や博愛、平等といった精神性、世界で一つになっていこうとする意識を獲得してきた、しかしせっかく獲得したその進歩が近年では失われつつある、人類は退化している。」といった主旨のものであったのです。
私は思いました。人類という一つの種は、その進化の限界に達してしまったのだろうかと。ほんの少し前までは、人類の進歩は誰も疑っていなかった。その科学技術も精神性も、これからどんどん進歩し良くなっていくと、世界が信じていたように思います。しかしながら今現在は急激にその展望は色褪せて、どこか閉塞感が漂い、これ以上先に進むことが出来ないのではないかという恐れが鎌首をもたげる世界になりつつあるように感じる。さらにコロナウイルス禍での為政者たちの姿、自己中心主義に陥ってしまっている個々の人々の姿を目の当たりするにつけ、それは確かなもののように感じてしまうのです。
そしてその様な今の人類の姿は、成長することも、進むことも出来なくなった「年をとった者」であるように思えてならないのです。その様はニコデモがイエス様に言ったように「どうして新しく生まれることが出来ようか」という姿であり、普通に考えるならば、年老いたものはこれ以上成長することはなく死にゆくものであるし、進化が止まった種はゆるやかに退化して滅びていくしかないという、どこか絶望的な姿です。
しかしながら聖書はそんな絶望に希望を与えてくださいます。それが冒頭でも上げたイエス様の「新しく生まれなければ、御国を見ることが出来ない」という一見不可能に思える言葉が、同時に「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という言葉により、信仰によって可能になると転換されていることからも分かります。
この希望は、この世界の常識であれば、もはや緩やかな衰退を待つだけに思える私たちにあっても、神様は今この状況をすらも「新しく」することがおできになる。それもイエス様を遣わされることで、信じる人を全て新しい創造でお救いくださるという希望です。
今の世界はどこに向かうのか全く分かりません。しかし私たちが信仰を持ち続ければ、必ず神様の新しい創造の下で「天の国」に近づいていくことが出来るのだと信じて、皆で共に進んで行ければと願っています。
司祭 パウロ 渡部 拓(福島聖ステパノ教会・小名浜聖テモテ教会 牧師)
あけぼの2020年6月号
「想いを込めた手紙に秘められた力…」
主キリスト・イエスからの恵み、憐み、そして平和があるように (テモテへの手紙一 1:2)
新型コロナウィルスの感染で自粛が続き、礼拝が制限され、2月までの日常的な普通の信徒の交わりが、閉ざされてから早2ヶ月が経過しています。改めて礼拝に参加し、聖餐に与ることが生きる糧、生きる力となっていたことを思い返させられています。
人はやはり聖書にある創世記の始めより一人では生きられない弱い生物だと、今回の自粛で感じています。
人生の大半顔を合わせて、お互いに安否を問い、声を掛け合い、励まし合い、訪ね合う…ことが出来ない現実と向き合っているある青年のことを紹介いたします。
事件を起こして刑期服役中の青年と20年近く文通を続けています。毎月一度の定期便です。囲いの外の人と会えるのは、限られた数人の方々、それも年に一度あるかないかです。彼の唯一の慰めは想いを込めた手紙を出し、現代のラインのようにタイムリーには程遠い時間をかけた応答の手紙です。僕が希望を見失わず生きることが出来るのは一通の手紙ですと告白しています。その手紙は毎回、体調はどうですか、風邪は治りましたか…毎回自分のことを話す前に必ず相手の安否を心配しての長い書き出しから始まります。
聖書に目を転じるとパウロは毎週共に礼拝が献げられないため、各教会に手紙を出しました。信徒への励まし・慰めに溢れた手紙の冒頭には必ず「主イエス・キリストの恵みと平和があなた方にありますように」の書き出しで始まります。私たちキリスト者はパウロに倣い手紙の頭に主の平和がありますようにと記します。そしてお元気ですか、お変わりありませんかと続けます。
以前教会の交わりから離れたある信徒の方から返信の手紙をいただきました。その中で、司祭さんから、毎回送られてきた週報にたった一行ペン書きでお元気ですかと書かれていたのが目に留まり、どれほど勇気づけられ、離れていても司祭は私のことを覚えて祈ってくれていると気づき、教会にまた復帰したいことがしみじみと書かれていました。
今コロナ自粛で礼拝堂にて共に主日の聖餐に与ることは叶いませんが、信徒の出席が得られなくとも牧師は毎日信徒一人一人を覚えて礼拝を献げています。祈りは必ず聞かれると確信しています。ナザレ修道院では、毎朝毎夕、病床にある人、苦しみにある人の為にその人に想いを巡らしながら、お一人お一人の名前を挙げて祈りを捧げております。105歳でこの世を去られた八千代修女さんの言葉を思いだしています。司祭さんの一番の仕事は祈ることよ!祈りは必ず聴かれるのよ!がんばって!
こんな時にこそ、主イエス・キリストの恵み、憐み、そして平和がありますように。
主に在って
司祭 ピリポ 越山健蔵(仙台基督教会 嘱託)
あけぼの2020年5月号
「鍵をかけた心に響く主の平和」
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ヨハネによる福音書20:26)
新型コロナウイルス感染症蔓延予防対策のために、東北教区内すべての教会の礼拝や諸集会が休止され、教会に集まって礼拝をささげることが当たり前ではなく特別な恵みだったのだと今、皆さん誰もが思われているのではないでしょうか。
主の弟子たちは、イエスご自身が十字架の苦難を予告していたにも関わらず、そんなことがあるわけない、そんなことがあってはならないという心理状態であったと思います。
新型コロナウイルス感染症が中国で発症したという報道を昨年12月に耳にした時は正直なところ情けないのですが私にとってそれは対岸の火事で、まさかこんなことになるとは想像出来ませんでした。
これから大きな苦難が到来するから備えておかなければならないことは耳にはしていながら心が向き合っていませんでした。そんなことがあるわけないとこれから起こりうる出来事から逃れようとしている自分自身と主の受難の予告を受け止めない弟子たちの姿が重なります。
イエス様はご自身の予告通りに十字架上で死なれました。その現実を突きつけられた弟子たちの生活は変わっていきました。皆、それぞれの家に鍵をかけて閉じこもってしまいました。
英国の聖公会はコロナ対策のために礼拝を休止するだけでなく、物理的にも教会の扉に鍵をかけていることを知りました。教会の扉はいつでも開かれていなければならないのに、それすら出来なくなっている状況です。
多様な価値観を持っている人間ですから現在の状況に対してもそれぞれ考え方があって当然です。一番悲しいことはこのような生活が続くと人の心がすさんでくるのです。
多様性は私たちを神様に心を向けさせるものなのですが、情報が嵐のように飛び交う中で何を信じて良いのか分からず不安と恐れの中で多様性を受け止めることが出来なくなってしまい、様々な弊害によって私と神様の関係を、そして私とあなたの関係を壊していきます。
だからこそ、今皆さんと分かち合いたいみ言葉が冒頭の箇所です。主イエス様は真ん中に立っておられます。私たちの現実の只中に身を置かれて十字架の死、つまり私たちのすべての身勝手さをすべて受け止め身代わりに犠牲となってくださったお方が、「あなた方に平和がありますように」と「あなた」に「わたし」に宣言してくださっているのです。
復活されたイエス様は鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちの心を否定せずに全受容し、その大きな愛の中で弟子たちのすさんだ心は徐々に開かれ、失われた日常が回復していったのです。
「私たちの内に働く力によって、私たちが願い、考えることすべてをはるかに超えてかなえることができる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々にわたって、とこしえにありますように、アーメン」(エフェソの信徒への手紙3:20〜21)
司祭 ステパノ 越山哲也(八戸聖ルカ教会牧師)
あけぼの2019年12月号
巻頭言「ウェルカム・ミニストリー」
かつて英国のある主教座聖堂の礼拝に参加した時、ちょうどその日に「ウェルカム・ミニストリー」を担う信徒の人たちの祝福式(礼拝とパーティ)があり、大変印象的に思いました。日本の現状に一番近い働きでいえば「アッシャー」というところです。ただもう少し活動の範囲は広いものでした。海外の教会、とくに大聖堂に行かれた方は、何か目立つしるし(腕章等)をつけて、観光客のガイドをしている親切な、そして大体は年配の男女を見られたことがあると思いますが、あの方たちのことと思ってよいと思います。まさに「教会にようこそ」という役割です。もちろんボランティアです。
「教会を開く」ということが、今東北教区の大事なテーマになっていますが、私は例えばですが、教会の扉を、ともかく毎日開けておく、誰でも入れるようにしておくことだけが「開かれた教会」ではないと感じています。逝去された野村潔司祭がかつてカナダに留学され、その帰国の報告を伺ったことがあります。カナダで、もし教会の扉を常時開けていたら、礼拝堂はたちまちホームレスの人たちの住居になると言われていました。そして教会も扉を開けているのであれば、それを前提に、教会に社会福祉士のような人を配置して前向きに対応していると(すべての教会ではないでしょう)。
いきなり、私たちもそうすべきだと言う積りはありません。しかし私見では、毎日ただ扉を開けておくよりも、例えば「火曜・木曜・土曜は午前10時から午後4時まで教会の玄関は開いています。そして信徒のボランティアがお待ちしています」と言えた方が、余程よくはないかと思うのです。もちろん誰もいない礼拝堂で一人祈りたい方もあるでしょう。扉が開いていることが無意味だとは決して申しません。しかし扉は開いているけど誰もいません、「今日は牧師がいないので、何もお話は出来ません、聞けません」というのはあまり「開いている」感じはしないのです。週に一度でも、交代で信徒のボランティアが教会の中に居られたら。人が来ない時は何か教会の事務(誕生日カードや逝去記念カードの宛名書きとか)をされたらよいのではないか(すでにそうされている教会もあるでしょう)。ここまで話をしたら「いや~、それは信徒には無理です」と言われたことがありました。牧師がいないと駄目だというわけです。確かに専門的なカウンセリングのような応対は誰でも出来るわけではないでしょう。しかし専門的な話ではなく、この教会はこういう所ですよ、わたしもこんな感じで教会に来ているんですよ~、と普通の会話でいいと思います。それ以上の特別な悩み、課題があれば、それこそ牧師はいついついますからその時に、と訪問予約をしてもいいのではないでしょうか。
こういうことが出来る教会と、もはや人数的にもとても無理だという教会とがあるだろうことは承知しています。
私の申し上げたいことは「教会が開いている」ということの一つの側面として、物理的な扉だけではなく、信徒の方たちが教会について、自分の信仰について、もう少し積極的に語る、ということもあるのではないか、ということです。
主教 ヨハネ 加藤博道(磯山聖ヨハネ教会牧師)
あけぼの2019年11月号
巻頭言「365日が祭り」
少し季節外れの話題なのですが、先日あるインターネット番組を視聴していた時に、ある社会学者の方が、日本の「お祭り」について面白いことを述べていました。そこでは「日本のお祭りとは、元来自然信仰から始まっている訳ですが、何故そのようなお祭りが連綿と続いているのかというと、お祭りという行為によって人間が正気を保つためであるから。」とし、人間は古代から現代に至るまで、常に神の領域(自然)を侵し続け、破壊し続けている、自然と神としつつもそれを壊している現実がある。そんな自分たちの現実を一度意識してしまうと、その罪悪感と葛藤から人間は正気を保てなくなり、ついには刹那的に「自分さえ(人間さえ)良ければ」という志向に囚われ暴走を始めてしまう。そこにストップを掛けるために年に一度祭りを行い、自分たちのすべてを献げる気持ちで神々を祀る、その瞬間だけはすべてを神に委ねてその裁きすら受け入れる覚悟をもってお祭りをする。そうすることで自分たちの罪悪や葛藤と折り合いをつけて、正気を保って生活を続けることが出来るようになるという考察でした。
なかなか面白い考察だなと思う一方、その「お祭り」の性質は、私たちとは正反対でもあるとも感じました。私たちキリスト者がいう所の「祭り」とは、祈祷書の聖餐式中で「み子が再び来られるまでこの祭りを行います。」とあるように、聖餐式を代表とする日々の祈りであり、神の国を実現するための献身、宣教そのものであると私は思います。それは日曜日だけでも52(53)回あり、さらに日々の祈りや聖書を開く時、宣教者として生きる生活を考えれば、それは一年365日の時を占めるものである。そしてその「祭り」は、むしろ自分たちの罪深さを「忘れるため」ではなく、「記憶し続けること」、そして自身を神の国のために「献げ出し続けること」を私たちに求めます。また「折が良くても悪くても励みなさい」(テモテⅡ 4:2)と教えられている通り、私たちの「祭り」という名の祈りと宣教は、自分の都合で止めるものでも、止めていいものではなく、まさに「年に一度」ではなく「常に」であり、そこにある働きも正反対であるのです。
しかしそうなると、ただでさえ弱い私たち人間はその突きつけられる罪、担わされた任務、献げることへの躊躇で潰れてしまいそうになる。でもそこに私たちの「祭り」と日本の「お祭り」の決定的な違いとして、ともに歩くイエス様がいることが見えてくるのです。人間では耐えられない罪も、不可能な献身も任務も、共にイエス様が担ってくださると知るときに、私たちが続ける「祭り」は一時の贖罪でも重荷でもなく、喜びを伴う救いと希望の発露であることが分かります。
あるいはそれは、分かりやすく「楽になる」といった救いとは違うかもしれません。しかしこの「祭り」を献げ続けることは、真の救いになる、人にとっても世界にとってもその場しのぎではない救いであり、前進となるでしょう。現在のw足したいを取り巻く状況は決して易しいものではありませんが、この「祭り」を一人一人が「献げ続ける」ことで、イエス様と共にある私たちの道は開けていくと信じています。
司祭 パウロ 渡部 拓(福島聖ステパノ教会副牧師)
あけぼの2019年10月号
巻頭言「敵意という隔ての壁を取り壊す方=イエス」
主の平和が皆さんと共にありますように。
近頃、私は耳が遠くなって不自由しています。「えっえっ」と聞き返す場面が多くなって迷惑な話です。という訳で、「障害」という言葉を調べますと、「障害」と書くようになったのは1947年制定の当用漢字表からでした。戦前は「障碍=障礙」と表記しました。「碍=礙」の意味は「さしつかえる」で、「何かことを行うときにさしつかえる」ということです。「碍」は「礙」の簡略形で、「人が顧みて立ち止まり、凝視する形」を意味します。人生や社会が進んで行こうとするとき「何か」があり災いをもたらしていますが、その何かの前で人は立ち止まり、じーっと凝視して見る、のが「障碍」の本来の意味です。従って「障碍」には深い考察が内在しており、人にとって大切なものを伝えている漢字なのです。
「害」とは、ものごとを傷つける漢字なので、他に対して危害を加えるとなり、「障害」には偏見の目が隠れています。役に立つ・立たない、優勢・劣勢等の見方を生じさせる訳です。簡単に二者に分ける、分裂・分断させるのです。旧優生保護法や、らい予防法は著しき人権侵害、人間の尊厳を踏みにじるもの、差別を助長するものでした。今日ではこれらの法律の誤りが正され、一応反省とお詫びがなされました。
私は、「ひかりおもちゃ図書館」でノーマライゼーションやスペシャルオリンピックスに接して喜びを覚えました。仙台基督教会2階で開く、みやぎ青少年トータルサポートセンター主催自己表現コンサートで、青年たちの活き活きした姿に励まされています。7月の参議院選挙で重度の障碍をお持ちの方2名が当選し、早速バリアフリー化が実行され国会に変化を起こしています。
私たちは、意図せず分断社会に組み込まれてしまっています。ですから、私たちは神の国実現に進もうとしているときに、「さしつかえているのは何か」をじっくりと黙想するのです。その際、わたしたちに与えられているのは「キリストの十字架」です。「御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊された(エフェソ2:14)」十字架のキリストが、わたしたちに今立ちはだかっている壁の正体を明らかにします。私たちが自身で作り上げてしまっているかもしれない壁の前で、作り上げていること自体の誤りの赦しを乞うとき、和解が始まるでしょう。和解は、十字架を通して確かになされるのですから、そこに私たちの希望もあります。和解の道は決して平坦ではありませんが、キリストによって一つの霊に結び合わされることにおいて、平和へと歩んでいけます(エフェソ2:15~18)。私はそう信じています。
イエスは、人々と共に食事を取ることにおいて繋がり→救いをもたらしました。あなたが食事に招く人たちは、「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人たち、弱っている人たち、傷ついている人たち」です。小さい行い、わずかな光かもしれませんが、そこに恵みが確かにあって、そこから分断を乗り越える和解が始まり、平和へ通じるものと信じています。
皆さんに神様の御祝福がありますように。アーメン
司祭 フランシス 長谷川 清純(仙台基督教会牧師)
あけぼの2019年9月号
巻頭言「聖霊の実」
使徒言行録は使徒たちの生活と行跡が込められた書です。使徒言行録は、私たちに使徒たちがどのくらい情熱的に復活されたイエスの福音を伝え、主のみ名で奇跡を行ない、互いに愛と喜びを分かち合い、生きていたのかを伝えています。
東北教区の皆さん、使徒言行録のみ言葉を聞きながら、皆さんは何を感じますか?「私もそうしたい。」「私もそんな信仰を持って福音を伝え、喜びを分かち合い、人々に喜びを与えたい。」と思っていませんか?皆さんもそうすることができます。私たち自身の力だけでは不可能でも、復活したイエスが、私たちの中に一緒にいらっしゃると信じ、イエスにすべてを任せると、イエスが私たちの中で驚くべきことをされます。
使徒たちが喜んで福音を伝えることができた力はどこから出てきたのですか?恐怖に震えていた弟子たちが闇から出てきて、大胆に叫ぶことができた力はどこから来たのでしょうか?聖霊を受けたからでした。聖霊は誰ですか?復活されたイエスの霊です。復活されたイエスを体験した使徒たちは聖霊を受けてすぐに、イエスと一緒に福音を伝え、大胆に叫ぶことができるようになったのです。イエスは「かの日には、私が父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」(ヨハネ14:20)と言いましたが、果たしてそうなったのです。
イエスは明らかに約束をしました。世の終わりまで、あなたがたと一緒にいるだろうとパウロは言います。「イエスは生きておられます。」私たちは、イエスは生きておられるという意味を正しく理解していなければなりません。また、パウロは「イエスは霊です。」と叫びます。つまり、イエスは聖霊の中で生きておられるのです。
「聖霊の中に生きておられる。」その意味は何ですか?聖霊の実が何なのかを考えると、より簡単に理解することができます。パウロがガラテヤで話している、聖霊の実とは何ですか?愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、そして節制です。実を見れば、その木を知ることができるでしょう。聖霊の中に生きておられるということは、愛の中に、喜びの中に、平和の中に、寛容の中に主が生きておられることを意味します。
私が誰かを本気で愛しているなら、その人との愛の中に主が生きておられます。私が純粋な喜びを持っているなら、その喜びの中に主が現存しているのです。私が誰かとの出会いの中で真の平和を感じた時、その出会いの中に主が生きておられるのです。私が誰かのために苦難を我慢したら、その寛容の中に、主がともにおられます。
東北教区の皆さん、私たちが聖霊を受けたことをどのように知ることができますか?その実を見れば知ることができるのです。毎日喜んで生きてください。その喜びの中に復活された主が生きておられます。他人に善を与えてください。その先に主が喜んでおられます。柔和な心を持ってください。その心の中に主の平和があります。
司祭 ドミニコ 李 贊煕(仙台聖フランシス教会牧師)
あけぼの2019年8月号
巻頭言「ミッション 私たちの使命」
昨年11月に行われました東北教区教区会で「東北教区5年・10年展望会議」によって作成された「ミッションステートメント(宣教方針)」(案)が常置委員会から提示、報告されました。この宣教方針案について、私の遣わされている盛岡聖公会において、今年の大斎節に毎主日礼拝後、昨年の教区会に盛岡から参加した4名の方々が順番に説明して、教会の皆さんと分かち合い、毎年行っている「大斎節勉強会」として学びの一時を得ることができました。折しも盛岡聖公会では、牧師館改築・仁王幼稚園園舎改築という一大事業を控え(7月1日から工事は開始いたしました)、教会・幼稚園のミッションを見つめ直す大変良い機会となりました。
作家の五木寛之さんという方がいらっしゃいますが、誰もが知る日本を代表する作家のお一人で、私の出身地(福岡県香春町)を舞台にした小説『青春の門』でも有名です。また、人の生き方について、たいへん深い考察をされた本をたくさん出版しておられます。近年は、主に仏教の立場をベースにしながら語られ、また、日本の寺院を巡る旅などの番組もBSで放映されていますが、私たちにとって学ぶべきところが多いように思います。数年ほど前であったと思いますが、理容室の待ち時間に何気なく読んだ週刊誌に、この五木寛之さんが「サラリーマンよ。ミッションを持て」というような内容のことを書いておられたのを読みました。その記事では、「仏教でもキリスト教でもいいから、きちんとした宗教について学び、よく考えなさい」と勧め、「ミッション」すなわち何のために自分がこの世に生を受けたのか、何のために生き、何のためにこの仕事をしているのかについての使命感、世界観をしっかり持てと説いていました。そして、ミッションが明確になることにより人に命が吹き込まれ、生きる者となるというキリスト教の聖霊降臨の出来事と重なるようなことが語られていたことに興味を持ちました。
今、教会のミッションとは何か、また、教会の関連附属施設としてある幼稚園や学校のミッションとは何か、そして、私たち一人一人、さらに私たちの家庭のミッションとは何かということを見つめなおすことが求められています。それは、一人一人に信教の自由という権利が与えられている中で、単純にキリスト教を信じること人に求めるということではないと思います。さらに自分たちだけが唯一の真理を手に入れているといった思いから解放され、良し悪しは別として自分たちとは違う形と方法で真理に振れている多くの宗教・宗派があることも認めなくてはなりません。そして教会が教会の信仰に触れる人たちに、自分らしいミッションや自分の居場所を発見の手助けをするような、そういう場所であれたら良いなと思います。簡単に申し上げれば「生きていてよかった」という喜びを感じられるようにするのが教会なのではないだろうかと思うのです。今社会を見渡せば、貧困格差の問題、ジェンダー、LGBT、少子高齢化の課題や家にこもってしまった方々に対する課題、それらの問題が原因の一つといわれる親の子殺しや児童への無差別殺人など、多くの問題が渦巻いています。そのような社会の中にある教会の存在意義はより増していると宣教の前線にあって感じます。主の御導きを祈りつつ歩みたいと思います。
司祭 林 国秀(盛岡聖公会牧師)
「『平和の祈り』を巡って」あけぼの2019年7月号
驚かれるかもしれませんが、「ああ主よ、われをして御身の平和の道具とならしめたまえ」と祈る有名な「平和の祈り」は、聖フランシスの祈った祈りではありません。
800年前に活躍した聖フランシスの文体や言葉遣いとは違っていて、フランシスの書いた文献のどこにも、この祈りが見つからないのです。実際、彼の祈りをまとめた『聖フランシスコの祈り』(ドン・ボスコ社)や文章や祈りをまとめた『アシジの聖フランシスコの小品集』(聖母の騎士社)には掲載されていません。
『祈りの花束』(ヴェロニカ・ズンデル編、中村妙子訳、新教出版社)には「次の祈りはフランチェスコの名と結び付けられ、彼の精神を反映しています」と注が記されています。他の書籍にも、この頃は現代の研究を踏まえて同様の注が付けられるようになりました。
研究者によると、1912年に発行されたフランスのノルマンディー地方の小さな町にあった信心会が巡礼者のために発行した一冊の「Le Clochette(鈴・小さなベル)」という雑誌の中に、最初の祈りを発見できるとのこと。この月刊誌をを発行したブークェレル神父によって掲載されたのですが、説明がなく、詳しい経緯がわかっていません。祈りが他に紹介される度に手が加えられ、様々なバリエーションが作られ、日本語訳に様々なパターンが生じる一つの原因となっています。
1914年の第一次世界大戦が始まる少し前、フランシスコ会第三会の会員のために配布された御絵に聖フランシスが描かれ、その裏にこの祈りが印刷されて、多くの人々に配布されるうちに、聖フランシス作と誤解されるようになったようです。
この祈りが広く知られるようになった背景には、二つの世界大戦がありました。文字通り平和を願う人々の思いがこの祈りを広げることとなっていったのです。
この原稿を書いている6月6日は奇しくもD-day(ノルマンディー上陸作戦開始日)から75年目の日でした。英BBC放送でノルマンディーのBayeux cathedralにおいて、戦死したたくさんの人々を覚えて行なわれた記念礼拝の様子が放映され、メイ首相やチャールズ皇太子の姿が見えました。続いてたくさんの白い十字架が並ぶ戦死者墓地の前で式典が行われ、マクロン大統領やトランプ大統領がスピーチをしていました。
この祈りを調べると観念的にではなく、文字通り平和を願う祈りであったことを知らされました。
実は、私はこの祈りが苦手です。とても平和の道具になりえない者ですから、この祈りや聖歌が出てくると沈黙してしまいます。これは一つの決意の言葉です。聖フランシスの生涯がこの祈りのようでした。知れば知るほど、とてもこの方のように生きることはできないと知らされます。
どういう訳か、「私を」が「私たちを」に変えられ、どこかの企業で朝礼に「一つ○○……」とスローガンを唱えるような印象がぬぐい切れず戸惑います。用いるなら原点の「私」のままがいいと思います。
堀田雄康神父が講演で、翻訳の難しさにも触れておられます。2つ目の多く「争い」と訳される節の言語は「罪」と「赦し」が対照的に用いられているものです。
青森聖アンデレ教会 牧師 司祭 中山 茂
[参考]論文『アシジの聖フランシスコの「平和の祈り」の由来』木村晶子
講演『「平和の祈り」―その由来と翻訳-』堀田雄康
「バベルの塔再び?」あけぼの2019年6月号
最近「あ、これ欲しいな」と思ってしまったものがありました。「自動翻訳機」というものです。恥ずかしい話ですが、交わりのある海外の教区があるのだから、せめて簡単な会話くらいはできるようになろうと、英語、韓国語学習に挑戦しているのですが、生来の怠け者のせいかちっとも身になりません。そんなところに自動翻訳機の登場ということで仕様を見てみると、何と126もの言語に対応しているとのこと。こんな小さな機械の中に?と驚きましたが、どうやら通信技術を使っているようです。最近よく聞く第5世代・5G通信というものはかなりの高速らしいですから、こういったものが増えていくのでしょう。そして人工知能(AI)が見えない所で活躍しているようです。そういえばAIが進歩するとなくなる職業のひとつに「通訳」を挙げている人がいました。互いに機械に囁きながら会話するという、おかしな場面を想像すると「そんなことないだろう」と思いましたが、ヘッドホン付きマイクで使えるようになれば、普通に会話している感覚になるのかもしれません。そうすると語学学習なんて無駄ということになるのでしょうか。素晴らしいことなのかもしれませんが、何か納得できません。それで本当に意思疎通ができているといえるのか、ということもありますが、言葉に限らず人の交わりが、すべて機械や技術にのみ頼ることになったらどうなるのでしょう。現在個人で手に入るもの、例えば家庭で使用する機器は、故障すれば面倒ですが洗濯や掃除など手動でもどうにかなるもの、しばらく我慢すれば何とかなるものがほどんどです。しかしこれからどんどん技術が進歩して、何も心配しなくてもよい世の中になったと安心した所に、電気も通信も途絶えてしまう大厄難が起こったらどうなるでしょう。さっきまで普通に会話していた隣の人と、突然話が通じなくなります。流通も止まり、日常が崩壊します。旧約聖書のバベルの塔の出来事のようです。どんな混乱が起こるのでしょう。想像もつきませんが、私たちも同じような経験をしています。東日本大震災の時にはすべての生活基盤を突然失い、なすすべをなくした人たちが大勢いたのです。これが地球規模の出来事だったらどうなるのでしょうか。
科学の進歩は素晴らしいものです。それは必然でもあります。しかし何か間違えていないのか。人間は神に近づこうというよりも、神を越えてやろうとしていないのか。またもやバベルの塔を積み上げようとしているのではないか、それが高くなればなるほど、すでに神など必要ではないと、思っているのではないかと気にかかります。しかし教会の不振をそのせいにして逃げてはいけないのです。変わりゆく世の中にあって、不変のもの、永遠を告げ知らされた者としての使命は変わらずに、増々重くなっているのではないでしょうか。永遠なるものであるからこそ、福音はどの時代、場所、状況にも適っていくことができることを思い起こしたいと思います。
私たちは小さな者です。しかし地に蒔かれた一粒の麦は、やがて大きな実りを、命を生み出すこと、取るに足りないように見える一つまみの塩が、地に神の味をつけることができるのです。小さな群れであることを恐れずに、弱いところにこそ働かれる神に信頼し続けたいと思います。
山形聖ヨハネ教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福
「教会 ー 一歩踏み出す拠点」 あけぼの2019年4月号
若松諸聖徒教会は、震災後、園舎建替に伴って旧聖堂を取り壊して以降、聖堂をもたず幼稚園ホールにて礼拝を守っています。ホール舞台上には祭壇も常設されており、小さいながらベストリーに利用できる部屋もあります。礼拝を行う度に会衆席用の椅子を並べたり片付けたりする労はあるものの、取り立てて「不便」を感じてはいません。それでも今、私たちの教会は教会建設を祈り求めています。
毎主日の礼拝では10人程の出席者数の小さな群れに、教会建設などという大事業に着手する「体力」はあるのか?仮に新聖堂が与えられたとして、潤沢な資金があるわけではない現状、後代に借金を残すだけになるのではないか?正直に告白すると、そうした負の心情だけが管理牧師時代からの偽らざる思いでした。
そんなとき思い出したのは村上達夫主教の「私たちはこの礼拝堂がなぜ今ここに建っているのかという本来の目的をもう一度深く考えてみることが大切」との言葉が記されていた『若松諸聖徒教会小史』です。1986年、今は取り壊された聖堂建設60年を迎えた年に刊行された本書をあらためて読み返すと、興味深い記事が目に留まりました。
教会創立10年を経た頃、若松諸聖徒教会は南会津への「特別伝道行脚」を始めています。先書にはそのいきさつについてこう記されています。「南会津巡回という特別伝道行脚について一言すべきであろう。そもそも南会津郡および大沼郡の二郡は本県中最も不便な山奥で、人口も疎らで、しかも広範に亘っている。このような地方を巡回しなければならなくなったのは、次のような理由による。明治の中葉、只見川沿岸一帯に甚だしい凶作飢饉があり、その惨状は深刻を極めた。岡山孤児院の石井十次氏はこの東北の悲報に接し、孤児救済のために郡山へ来た」(同書5頁)。しかしこの子どもたち30名は、石井十次氏の施設が定員に達したこともあり、結果としては岡山にではなく大阪の博愛社で引き受けられることになります。数十年後、成人したこの子どもたちは故郷に戻りますが、博愛社での生活で受洗、信仰者となっての帰郷でした。当時、若松諸聖徒教会の長老であったメードレー長老はこのいきさつを知り、30名の信仰者がいる場所への牧会を思い立たれたのだと言います。そして「一巡七十里、その経費と20日の日数もさることながら、天下有数の嶮所難所を越え、旅館の設備もないところを、時には令夫人をも伴って巡回され、牧者としての任務を遂行された」(同書6頁)そうです。南会津巡回を継承したマキム長老に至っては「駒止峠から沢に落ちて命拾いしたこと、旅館(マキム長老時代にできた模様)にマキム長老に合う衣類や夜具がなく大騒ぎしたこと等々」も記されており、同師が南会津の「多くの人々に慕われた師」(同書7頁)であったことも記されています。
私たちの教会の信仰の先達が南会津へと一歩踏み出したように、祈りによって励まし合いつつ、キリストの派遣に応えて地域社会に一歩踏み出す「拠点」としての教会が与えられるなら…それが「今」の私たちの願いです。私たちの会津若松での歩みを覚えて、みなさまにもご加祷いただければ幸いです。
若松諸聖徒教会牧師
司祭 ヨハネ 八木 正言
「やさしいことは難しい!?」2019年2月号
若い頃から万年筆が好きでした。そもそも私が中学校に入るような時代には、進学のプレゼントと言えば万年筆、それを学生服の胸ポケットにさして、大人の仲間入りをしたような誇らしい気分になったものです。それに較べると、少なくとも私の知る限りの周囲の現代の若い人たちはおよそそういうものを使う雰囲気がないようで寂しい気がします。ずいぶん以前のことですが、日本橋の丸善で万年筆を見ていた時、すぐ横に立った長身の男性が作家の井上ひさしであることに気がつきました。太めのウォーターマンを選んでいたように記憶しています。同氏もまだ後のような大作家というよりは中堅であった頃、時代的には「ひょっこりひょうたん島」の時代かと思います。
同氏の座右の銘は「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに」書くことであったと、これも有名な話です。私自身この言葉には共感するのですが、同時に自分はまったく逆をやってきたような忸怩たる思いもします。
しかし考えてみると、ここで言われていることはやはり難しいことです。「むずかしいことをやさしく」伝えるためには、その難しい内容を完全に自分が理解していなくてはなりません。ですから学校でも「入門」というのは一番のベテラン教員が担当することだと言われます。「やさしいことをふかく」も「ふかいことをゆかいに」もそれぞれ究極のことです。要するに井上ひさし氏は究極のことを言っているのだと思います。
また聞き手、読み手の方の問題もあります。「むずかしいことをやさしく」伝えられて、それをやさしい話としてだけ受けとめて終ってしまうと、どうなのでしょう。結局大事なことは伝わらないことになります。受け取り手の方でも「やさしく語られたことを深く」理解していく必要があることになります。
ご一緒に祝ってきたクリスマス、そして今続いているエピファニーの季節のテーマは、「神の独り子が、私たちと同じ肉体をとって(従って人間の弱さも同じように担われて)私たちの間に宿られた」ということだと思います。『マタイによる福音書』も『ルカによる福音書』も、それをわかりやすく美しい、牧歌的な出来事として伝えていました。ロマンティックな印象さえします。
しかしそれはやさしい話でしょうか? やさしさの中に秘められたとんでもなく深い話なのだと言えます。「わたしたちの中に宿られる神」。最近ほとんど使われない用語をあえて用いるとすれば、キリスト教信仰の「奥義」です。
「やさしく語られていても、本当は難しいんだ!」と脅かすような意味で言いたいのではありません。しかし主イエスの一番身近におられた母マリアでさえ、自分の息子のことがなかなか理解出来ず、何度も「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とルカは伝えています。「思い巡らしながら歩み続ける」、そんな信仰生活のまた新たな一年の始まり、皆様の上に豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。
話は戻りますが「ひょっこりひょうたん島」も子ども向けの人形劇のようでありながら、なかなか単純ではない内容を持っていたようです。
磯山聖ヨハネ教会牧師
主教 ヨハネ 加藤博道