教区報

教区報「あけぼの」 - 東北の信徒への手紙の記事

「神のデクノボー」2015年6月号

2011年3月11日東日本大震災が発生。電気が丸2日点かない中で何が起こっているのか、携帯ラジオに噛り付いていたことを思い出します。2日後、居ても立ってもいられずに、動き出したバスで山形から仙台に向かいました。その時仙台では「東日本大震災日本聖公会東北教区対策本部」が立ち上げられようとしていました。多くの交通手段が麻痺しており、燃料の確保も難しい状態でした。そんな中で動くことのできる数少ない教役者として、その働きにわたしも加わることになりました。5月から支援の働きは管区の「いっしょに歩こう! プロジェクト」と協働となり、全国のみならず世界からの祈りと支援を受けて2年間の働きを終え、その後を引き継いだ東北教区主体の「だいじに・東北」も予定された2年間の働きを終えます。しかし東北教区の支援の働きはこれからも継続されていきます。私自身もこの4年間どれだけお役に立てたかは別としてですが、支援の働きと無縁であった時はありませんでした。

 

現在被災地に赴いた多くの支援団体、グループがその働きを終えています。思いは残るでしょうが、人的にも資金的にも恒久的に継続することは難しいことです。わたしたちもこれまでのような働きを継続していくことは難しいでしょう。でも終わりではありません。これからのことを考えると、被災された方々と関わり続けるということは、もうわたしたち東北教区の宣教の働きのひとつとなっているのだと思います。つまり教会の日々の働きのひとつということです。そう捉えれば「いつまで続ければ良いのか」とか「どれだけやったら十分といえるのか」というどちらかといえば外側からの視点で見た悩みはなくなるでしょう。ほかの地方の人たちにはそれぞれの課題があります。とことん向き合えるのは東北に住むわたしたちです。そして目前の課題に取り組むということは、していることは違っても、それぞれの課題に取り組んでいる人たちとも繋がっているということではないでしょうか。そしてその繋がりによって時には励まし合い、支え合うことも出来るのです。

 

2011年「いっしょに歩こう!プロジェクト」オフィス開所

2011年「いっしょに歩こう!プロジェクト」オフィス開所にて

被災地の復興は進みつつある。しかしそこに新たな悩みや課題が起こっていることにも、わたしたちは敏感になっていきたいと思います。それを知っても「何もすることが出来ない」と戸惑い、悩むことも向き合う姿のひとつです。それは忘れていない姿でもあるからです。私たちもわが身の困難や悲しみを覚えて心配してくれている人がいる、何かできることはないかと心を砕いてくれている人の「存在」にどれだけ励まされ、勇気付けられていることでしょうか。祈りの中で覚え続けることも共にある姿です。継続された祈りから、いつか目に見える、あるいは心に感じることの出来る結果が与えられます。

 

宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の一節「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」皆からデクノボーと呼ばれる人の姿を思います。賢治さんはいいます。「ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と。一説によるとこの「デクノボー」は斉藤宗次郎という花巻出身のクリスチャンがモデルだといわれています。「ヤソ」と侮蔑されても、ただおろおろ歩くしかなくても人々に寄り添おうとした。そんな聖霊の力に支えられた「デクノボー」に私もなりたいものです。

 

                                       司祭 ステパノ 涌井康福

「十字架の道と断食のこと」2017年6月号

今年も聖金曜日の正午から、「十字架の道行」の祈りを行ないました。イエス様が十字架を背負って歩かれた道での出来事は、長い歴史の中で伝説が生まれ、脚色されたものが多々あるのですが、黙想のために用意されたテキストがよく出来ています。一つ一つの言葉が、深い洞察に導かれていて、魂を洗われる思いがします。

 

エルサレムに行きますと城壁に囲まれた旧市街(Old city)があります。その旧市街の中にヴィア・ドロローサVia Dolorosa(ラテン語:悲しみの道)とかヴィア・クルキス(Via crucis 十字架の道)と呼ばれる道があります。北東側のイスラム教徒が住んでいるライオン門付近から、ゴルゴダの丘に建てられた聖墳墓教会まで、道筋の14か所には留(ステーションstation)があります。いわく〈ピラトに裁かれた場所〉〈鞭打たれ十字架を背負った場所〉〈クレネのシモンに助けられた場所〉等々と、エピソードを伝えています。

 

エルサレムは石で出来ていますから、家を建てるときには、崩れた石の上に建てます。時代が過ぎるとまたその石の上に家が建てられますから、実際にイエス様が歩かれた道ははるか地下にあり、発掘されています。現代の道は実際に歩かれた道とはまったく違うのですが、巡礼で訪れる人々が十字架を背負って祈りながら歩いています。

 

エルサレムの神学校に行った際、コースの終わる頃「考古学的には根拠は無いけれど、私たちも十字架を背負って歩いてみよう!」と先生に言われ、歩いたのですが、何とも言えない複雑な気持ちを味わいました。皆が見ている中で十字架を背負って歩くのは、勇気がいるものです。気恥ずかしくて、決して単に肉体の痛みだけではなかったんだと気付かされました。

エルサレムまで行くのは難しいので、このような十字架の道が教会や修道院の境内に造られています。郷里の山梨県の清里聖アンデレ教会から清里聖ルカ診療所まで十字架の道があって、各留毎に小さな聖像が飾られていました。

 

東北教区の中にも、どこかにこのような十字架の道があったらいいのにと思います。

 

さて、聖金曜日は断食日ですから空腹に耐えながら、イエス様の苦しみとはまるで違うけれど、わずかばかり体でも十字架の苦しみに思いを寄せることができ感謝です。

 

英語で朝食をbreakfastと言い、その語源は「断食(fast)を破る(break)」というのです。断食明けの朝に胃の負担を考えて、お粥をいただくとき、何千年も続く諸先達の慣れ親しんだこの習慣に、私もつながっていることをしみじみ思います。

 

何の道具もいらない場所も選ばない、こんな簡単な方法の効果が絶大であることを、先人は身を持って体験したのでしょう。断食の時を過ごす度に、私たちが何のために生きているのかを考えさせられ、大事なものを見失わないように教えてくれます。

 

日本ではまだあまり知られていませんが、断食の健康への効果もいろいろな場面で語られています。絶食療法を科学的に検証した「絶食療法の科学」というフランスで製作された番組が、日本でもテレビで紹介されました。医師の指導の下でこの療法を用いることにより、実際に効果がある症例もあるようです。

 

司祭 フランシス 中山 茂

「バベルの塔再び?」あけぼの2019年6月号

最近「あ、これ欲しいな」と思ってしまったものがありました。「自動翻訳機」というものです。恥ずかしい話ですが、交わりのある海外の教区があるのだから、せめて簡単な会話くらいはできるようになろうと、英語、韓国語学習に挑戦しているのですが、生来の怠け者のせいかちっとも身になりません。そんなところに自動翻訳機の登場ということで仕様を見てみると、何と126もの言語に対応しているとのこと。こんな小さな機械の中に?と驚きましたが、どうやら通信技術を使っているようです。最近よく聞く第5世代・5G通信というものはかなりの高速らしいですから、こういったものが増えていくのでしょう。そして人工知能(AI)が見えない所で活躍しているようです。そういえばAIが進歩するとなくなる職業のひとつに「通訳」を挙げている人がいました。互いに機械に囁きながら会話するという、おかしな場面を想像すると「そんなことないだろう」と思いましたが、ヘッドホン付きマイクで使えるようになれば、普通に会話している感覚になるのかもしれません。そうすると語学学習なんて無駄ということになるのでしょうか。素晴らしいことなのかもしれませんが、何か納得できません。それで本当に意思疎通ができているといえるのか、ということもありますが、言葉に限らず人の交わりが、すべて機械や技術にのみ頼ることになったらどうなるのでしょう。現在個人で手に入るもの、例えば家庭で使用する機器は、故障すれば面倒ですが洗濯や掃除など手動でもどうにかなるもの、しばらく我慢すれば何とかなるものがほどんどです。しかしこれからどんどん技術が進歩して、何も心配しなくてもよい世の中になったと安心した所に、電気も通信も途絶えてしまう大厄難が起こったらどうなるでしょう。さっきまで普通に会話していた隣の人と、突然話が通じなくなります。流通も止まり、日常が崩壊します。旧約聖書のバベルの塔の出来事のようです。どんな混乱が起こるのでしょう。想像もつきませんが、私たちも同じような経験をしています。東日本大震災の時にはすべての生活基盤を突然失い、なすすべをなくした人たちが大勢いたのです。これが地球規模の出来事だったらどうなるのでしょうか。

 

科学の進歩は素晴らしいものです。それは必然でもあります。しかし何か間違えていないのか。人間は神に近づこうというよりも、神を越えてやろうとしていないのか。またもやバベルの塔を積み上げようとしているのではないか、それが高くなればなるほど、すでに神など必要ではないと、思っているのではないかと気にかかります。しかし教会の不振をそのせいにして逃げてはいけないのです。変わりゆく世の中にあって、不変のもの、永遠を告げ知らされた者としての使命は変わらずに、増々重くなっているのではないでしょうか。永遠なるものであるからこそ、福音はどの時代、場所、状況にも適っていくことができることを思い起こしたいと思います。

 

 

私たちは小さな者です。しかし地に蒔かれた一粒の麦は、やがて大きな実りを、命を生み出すこと、取るに足りないように見える一つまみの塩が、地に神の味をつけることができるのです。小さな群れであることを恐れずに、弱いところにこそ働かれる神に信頼し続けたいと思います。

 

山形聖ヨハネ教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

あけぼの2021年2月号

巻頭言「再び会いたいですね」

 

 

「教会相互の交わり・協働関係を深めます。」

 

「教区内17の幼保園(2019年現在)との協働関係を深めます」

 

 

これは東北教区宣教方針の2つの柱であるキーワード「ささげる」、「開く」の内の後者の具体的な行動指針として示されているものです。教区宣教方針が2019年11月に開催された第102(定期)教区会で決議されて早くも1年が過ぎました。

 

昨年はコロナ禍の中にあって教区の諸プログラムのほとんどが中止となりました。今年もどうなるか分かりません。

 

教会の礼拝は、感染予防をしながら再開されていますが、それ以外の事は自粛せざろうえない状況が1年近く今も続いています。皆さんと一緒に食事をして、語り合ったりする日常が特別な恵みであったことを人の出入りが減ってしまった静かな教会の会館で思います。

 

 

私自身の事を振り返っても教区の諸会議はほとんどインターネットを介したオンラインで参加しています。コロナ前は交通費や時間の節約のためにオンライン会議を教会でも取り入れていければいいなと思っていましたが、結局は話だけで終わっていました。

 

しかし、現在ではこれが日常になりつつあります。

オンライン会議はとても便利です。でも何か物足りません。何が物足りないのか。それは相手の感覚です。人間には五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)があります。

人類学者である山極壽一氏が興味深い事を言っています。「人間は、視覚と聴覚を使って他者と会話すると脳で『つながった』と錯覚するらしいが、それだけでは信頼関係までは担保できません。なぜなら人は五感のすべてを使って他者を信頼するようになる生き物だからです。そのとき、鍵になるのが、嗅覚や味覚、触覚といった、本来『共有できない感覚』です。他者の匂い、一緒に食べる食事の味、触れる肌の感覚、こうしたものが他者との関係を築く上で重要」なのだそうです。

 

コロナが終息するまではなかなか自由に行き来することは難しいと思いますが、いつか必ず皆さんとお会いしたいです。
教会問答の問27に「聖奠および聖奠的諸式、その他教会の働きはだれが行いますか」とあります。答は「神の民(キリストとその教会を表す信徒と聖職)が共同体として行います」です。

 

これは「教会の働きは一人もしくは各教会単独ではなく一緒に協働していく」ことを示しているだと思います。これは大変重要な事です。

 

一人の小さな手という歌をご存じでしょうか。「ひとりの小さな手何もできないけど、それでもみんなと手と手を合わせれば何か出来る」

 

私は教会間協働、幼保園との協働を地道に着実に行っていきたいと思っています。なぜならそれが教会の働きにおいて決定的に大切なことだからです。今は我慢の時です。しかし、私たちがそれぞれの感覚を互いに感じながら再び会える時が必ず来ると信じています。

 

 

司祭 ステパノ 越山 哲也(八戸聖ルカ教会 牧師)

 

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あけぼの2023年5月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「さあ、行こう~わたしたちのミッション 主から遣わされている一人として~」

 

 

野球の世界一を決める国別対抗試合WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に夢中になった方も多いと思います。私も無類の野球好きでありまして、WBC開催中は毎日夢中になっていました。試合前に日本代表の選手の一人が声出しをする場面があり、私は試合の内容もさることながら声出しの内容にも夢中になって聴いていました。決勝戦の日、声出しを務めたのは大谷翔平選手でした。第一声は「僕から一個だけ。憧れるのをやめましょう」でした。

 

その真意は、「決勝の対戦相手であるアメリカの選手は、野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるようなスーパースターばかりだと思う。僕らは今日超えるために、トップになるために来たので、今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。」というものでした。

 

そして決意を込めた表情で「さ、行こう!」と選手全員を鼓舞し、この場に拍手が響きました。大谷選手の言葉によって最高のムードができました。私は大変印象的な場面として心に残りました。そして、選手たちに声出しの最後に決まっていう言葉があることに気付きました。それは「さあ、行こう」です。選手を自らも含めて送り出す最大の力強い励ましの派遣の言葉だと思いました。

 

 

教会を意味する「エクレシア」は「主によって集められた民の群れ」という意味があります。そして、宣教とは、主語は「わたし」ではなく神様であって神様が神の国の完成、つまりすべての被造物が真の平和の状態の内に生きることが出来る世界の完成のために働かれている「神の国運動」(ジーザスムーヴメント)に私たちは招かれている。そして神の国は教会という建物の中にあるのではなくこの世界にあるということを主イエスは私たちを「派遣」することで示されました。福音書でも主によって集められた弟子たちを派遣する箇所がいくつも出てきます。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。」(マタイ10:16)

 

これからあなたがたの人生には苦難が待ち構えているだろう。でも恐れてはいけない。私が必ずあなたと共にいると弟子たちを励まし彼らを送り出しました。その派遣の言葉はご自身にも向けられていたのだと思います。ご自身も幾度となく十字架の苦難の道を歩むことを躊躇され、苦難されている様子が福音書に記されています。

 

礼拝も主からの招きによってはじまり、「ハレルヤ、主とともに行きましょう」という派遣の言葉によって終わります。

 

エクレシアは主によって「集められ」、そして「派遣される」民の群れであることを私たちは忘れてはいけないと思います。私たちは新主教を迎えて新たな歩みを始めようとしています。私はワクワクしています。同時に、私たちがそれぞれ置かれている現実の課題や困難にしっかりと向き合い、恵みを発見していきたいと思います。私たちは神の国運動に主から招かれ、そして遣わされているのです。「さあ、行きましょう!!」

 

主とともに。

 

 

盛岡聖公会牧師 司祭 ステパノ 越山 哲也

 

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あけぼの2025年7月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「一歩69cmの繰り返し」

 

 

伊野忠敬。江戸時代に徒歩で日本列島を縦断し、日本で最初に実測地図を作った人物です。忠敬は、下総の国(千葉県)佐原にある造り酒屋、伊能家に17歳の時に婿養子に入ります。以来、酒屋の仕事に精を出してきました。婿入り当時、伊能家の家業は危機的な状態にありましたが、忠敬は約10年をかけて経営を立て直し、さらに家業の拡大にも成功しました。当時、忠敬は50歳。

 

人生50年と言われていた江戸時代。しかし忠敬は何と50歳になってから、小さい頃の夢、天体観測にチャレンジを始めるのです。長男に家督を譲り隠居、天文学を本格的に勉強するために江戸へ出て、浅草にあった星を観測して暦を作る天文方暦局を訪ね、当時の天文学者の第一人者・高橋至時に弟子入りします。このとき師匠の高橋至時は31歳、忠敬は50歳です。当初、高橋至時は、忠敬の入門を”年寄りの道楽”だと思っていましたが、昼夜を問わず猛勉強している忠敬の姿を見て、いつしか至時は弟子の忠敬を「推歩(=星の動きを測ること)先生」と呼ぶようになります。こうして歳の離れた師弟は深い絆で結ばれるようになりました。

 

 

忠敬はなぜ地図を作ろうと思ったのでしょうか。それは、地球の大きさを知りたかったからだと言われています。この初心をもって55歳の時、すなわち1800年4月19日、忠敬は測量の旅に出ます。測量といってもこの時代に機械はありません。人の足と方位磁石を頼りに綿密な海岸線を描いていくという、気の遠くなるような作業が続けられました。3年をかけて北海道、東北、中部地方の測量を終え、江戸に戻った忠敬は、本来の目的であった地球の大きさ計算に取りかかりました。その結果を、後に師匠の至時が入手したオランダの最新天文学書と照らし合わせると、共に約4万キロで数値が一致し、二人は手を取り合って歓喜したといいます。しかもこの時、忠敬が導き出した地球の外周と、現在のGPSとスーパーコンピューターで計算した外周の誤差は、0.1%以下という驚異の精度でした。

 

50歳になっても夢をあきらめなかった伊能忠敬。55歳から17年間、一歩一歩踏み出し続け、地球一周分を歩き抜いた伊能忠敬。考えてみると、彼の人生は、夢に向かって一直線に突き進んだわけではありませんでした。それどころか夢とは何の関係もない、婿入りした先の酒屋の仕事に精を出した人生でした。自分を取り巻く環境を受け入れ、その時にできることを精一杯やり続けたのでした。家族を大切にし、承認として客を大切にしました。彼は直接に売り上げに関係なくても、客のためにできることがあればしてあげたと言います。私財ををなげうって地域の人々を助けたこともありました。そんな彼だったからこそ、夢であった天体観測を超えて、最終的に、夢にすら描いていなかった『大日本沿海輿地全図』の完成という歴史的大偉業へ運ばれたのかもしれません。

 

忠敬の一歩は69cmであったと言われています。忠敬は計測のため、日本全国を完璧に同じ歩幅で歩き通しました。つまり、右足、左足で足してぴったり138cmで歩く訓練をしたそうです。その執念が正確な地図として実を結んだのでした。

 

夢に生きるとは、やりたいことだけをやることでも、好きなことだけをやることでもないようです。目の前のことすべてを受け入れ、そのときにできるわずか69cmの一歩を踏み出し続けること…。「神の目は人の道に注がれ/その歩みのすべてをみておられる」(ヨブ記34:21)のです。

 

 

仙台基督教会牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言

 

 

 

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「今、ここで、主と共に生きる」2015年7月号

八木司祭イラスト北海道、岩手に次いで、全国で3番目に面積の広い福島県。その広さがもたらしてくれる楽しみの一つに、桜の満開を長く楽しめることがあります。面積の広さに加えて、盆地である福島市は同じ市内でも土地の高低差があり、場所によって桜の満開時季も異なり、したがって、市街地では散り始めていても、少し車を山間部に走らせると、まだまだ満開ということがあるのです。もう桜の季節は終わったと思っていたのに、この辺りの桜は今が見頃なんだ!などという発見があると、うれしい気分になります。今年は、行く先々で満開の桜を見つけるのが楽しみになっていました。

 

ある日、この日もお訪ねした信徒宅の近くの土手で満開の桜を見つけてしばし鑑賞した後、帰路につくと、今度は、風に煽られて勢いよく散っていく桜の木に出会いました。文字通りの桜吹雪です。みるみるうちに近くの川面が桜色に染まっていきます。それはそれは美しい光景でした。そしてあらためて思わされたのです。私たちは桜を、花が咲き誇っているときだけ愛でてきたのではないことを。

 

私たちは古来、花びらの舞う光景を“桜吹雪”と呼び、その散った花びらが水面に浮かび流れるのを筏に見立て“花筏”と呼びました。さらに花が散ってしまった桜の木を“葉桜”と呼び、新緑の香りと美しさを愛でました。散りゆく花びらをいつまでも惜しむのではなく、その移ろいを受け入れ、その一瞬一瞬に楽しみを見出してきたのです。それを仮に「受容力」と名付けるなら、桜の木の移ろいのみならず、どんな状況にあっても、それを包み込み、受け入れ、幸せを見出してきた私たちは、そもそも「受容力」の備わった生き物なのかも知れない、そんなことを思いました。

 

しかし、いつの頃からか、社会には「善悪」「損得」「幸、不幸」「勝ち組、負け組」など多くの二元論が溢れるようになり、今や現代人は相対評価で物事を判断することに慣らされてしまったといえるかも知れません。でも、この世の中が本当に二元論で割り切れるなら、桜の木の折々の状況を受け容れ、愛でることなどできないはず…そう思うのですが如何でしょうか。

 

弟子たちの主イエスとの一度目の別れ、すなわち受難の前、彼らは、十字架に架けられることなどあってはならないと師をいさめ、さらには師を知らないと拒み、家の戸に鍵をかけていました。そんな弱々しい弟子たちが、二度目の別れ、すなわち主の昇天の際には、「大喜びでエルサレムに帰った」とルカ福音書は記しています(24:52)。弱かった弟子たちが、今度は主との別れを悲しむのではなく喜び、その後も幾多の困難を乗り越えていく力強い宣教者に変えられたのです。この間にあった出来事は主の復活です。彼らは主の復活によって、人間が本来備え持つ「受容力」を呼び覚まされ、強められたのではないでしょうか。

 

今に生きる私たちも、同じ主の復活を信じて生きる者です。そして、桜の移ろいをどんな時季にも楽しめる「受容力」も与えられています。そうであるならば、課題を数え上げ、自らを取り巻く困難さを声高に主張して、それらすべてを解決しなければ幸せにはなれないと思い込んでうずくまるよりも、今、ここで、主が共におられることに幸せを感じられる一人ひとりでありたいと思います。

 

被災地にある教区、教会として、聖霊の導きを祈り求めつつ。

 

司祭 ヨハネ 八木  正言

「日々の中に・・・・」2017年7月号

朝玄関で「おはようございます!」と声をかけ、小さな声で「おはようございます」と答える子と握手する。午後は卒園児が「ただいま!」と幼稚園にやって来て、「お帰り!」と迎える。これがセントポール幼稚園の毎日で、笑顔溢れる毎日です。

 

朝、礼拝堂でのお祈り後、教会の周りを散歩。沢山の出会い――犬を連れて散歩されている方、歩行の訓練をされている方、ごみ収集所でほうきをもって立っている方、お庭のお花にお水をかけている方、学校へと急ぐ学生たち――声をかけ、声をかけられながら。

 

最近は近くのコンビニの方々から、「今日も早いね、行ってらっしゃい!」と声をかけられる様になりました。秋田出身と伝えたら、「秋田名物八森はたはた~」とレジの前で秋田音頭を歌ってくれました。また、文の最後に「~ばい」を付ける郡山弁を教えて頂いた。「今日は寒いばい!」と慣れない言葉で伝えた時の相手の笑顔が心に残ります。寒い日には「持ってって!」とあったかいコーヒーを渡され、その温もりに「せば、まんず!」と秋田弁で照れ隠しをする自分がいます。

 

これが日常、郡山での毎日です。日の光を浴び、風を感じ、道端の花を愛でるように、わたしにとっては尊く、何ものにもかえがたい宝物です。

 

ただ、ただ、毎日を生きる。日々の生活をし、交わり、季節を感じ、それを愛で、感謝し、生きている、いいえ、生かされている。

 

わたしは、言葉に言い表せない思いで溢れています。心からの感謝と共に、その毎日を笑顔と一緒に大切に歩んでゆきたいと願います。

 

人は歩みの中で、足りないことや出来ないことを気にしがちです。でも、じっくりとゆっくり見渡せば、既に与えられている恵みが沢山あると思うのです。

 

自分にないものを考えたらきりがありません。でも、与えられていることに思いを巡らし、感謝し、それから学ぶことの尊さを思います。

 

わたしがここ、郡山に来た時は緊張・戸惑い・不安で一杯でした。でも、「そのままでいいからね。いてくれるだけでいいんです。」という言葉、体調を崩した自分にご飯を届けてくれた、命の尊さをご自身の想いを短い言葉で伝え励ましてくれた、その一つひとつの温もりが自分に新たな歩みを始めるきっかけをくれました。

 

私は神様のみ前にいること、教会にいること、そして自分の首にカラーを付けることにおそれを感じます。自分を律し、願い求め、神様の御前に清くありたいと思いながらも、これほど破れがある自分が許せない・・・。それを「そのままで」という言葉が、沢山の想いが、祈りが、そして笑顔が自分を救い、支えてくれています。

 

多分、聖書の中のみ言葉から皆様にお伝えすることが今回の私に求められていることでしょう。でも、わたしは日々の生活の中に、毎日の営みの中、その只中に、み言葉、そして日々の出会いの中に“主”を感じていることをお伝えしたいと思います。

 

また明日、礼拝堂でお祈りをお捧げします。教会の周りを散歩します。あのご婦人に会えるかな? あのワンちゃんは元気かな? あのほうきを持って立っているおじさんはいるのでしょうか? 今日は、あの子は泣かないかな? 幼稚園の先生たちは元気かな? 教会に集う皆さんは元気かな? 日曜日のお話し、全身全霊をかけて取り組みます。いつものコンビニでの笑顔と会話、全部楽しみです。

 

すべてに感謝します、心から。

 

主に感謝。

 

執事 アタナシウス 佐々木 康一郎

「『平和の祈り』を巡って」あけぼの2019年7月号

驚かれるかもしれませんが、「ああ主よ、われをして御身の平和の道具とならしめたまえ」と祈る有名な「平和の祈り」は、聖フランシスの祈った祈りではありません。

 

800年前に活躍した聖フランシスの文体や言葉遣いとは違っていて、フランシスの書いた文献のどこにも、この祈りが見つからないのです。実際、彼の祈りをまとめた『聖フランシスコの祈り』(ドン・ボスコ社)や文章や祈りをまとめた『アシジの聖フランシスコの小品集』(聖母の騎士社)には掲載されていません。

 

『祈りの花束』(ヴェロニカ・ズンデル編、中村妙子訳、新教出版社)には「次の祈りはフランチェスコの名と結び付けられ、彼の精神を反映しています」と注が記されています。他の書籍にも、この頃は現代の研究を踏まえて同様の注が付けられるようになりました。

 

 

研究者によると、1912年に発行されたフランスのノルマンディー地方の小さな町にあった信心会が巡礼者のために発行した一冊の「Le Clochetteル・クルシェ(鈴・小さなベル)」という雑誌の中に、最初の祈りを発見できるとのこと。この月刊誌をを発行したブークェレル神父によって掲載されたのですが、説明がなく、詳しい経緯がわかっていません。祈りが他に紹介される度に手が加えられ、様々なバリエーションが作られ、日本語訳に様々なパターンが生じる一つの原因となっています。

 

 

1914年の第一次世界大戦が始まる少し前、フランシスコ会第三会の会員のために配布された御絵に聖フランシスが描かれ、その裏にこの祈りが印刷されて、多くの人々に配布されるうちに、聖フランシス作と誤解されるようになったようです。

 

この祈りが広く知られるようになった背景には、二つの世界大戦がありました。文字通り平和を願う人々の思いがこの祈りを広げることとなっていったのです。

 

この原稿を書いている6月6日は奇しくもD-day(ノルマンディー上陸作戦開始日)から75年目の日でした。英BBC放送でノルマンディーのBayeux cathedralバイユー大聖堂において、戦死したたくさんの人々を覚えて行なわれた記念礼拝の様子が放映され、メイ首相やチャールズ皇太子の姿が見えました。続いてたくさんの白い十字架が並ぶ戦死者墓地の前で式典が行われ、マクロン大統領やトランプ大統領がスピーチをしていました。

 

この祈りを調べると観念的にではなく、文字通り平和を願う祈りであったことを知らされました。

 

実は、私はこの祈りが苦手です。とても平和の道具になりえない者ですから、この祈りや聖歌が出てくると沈黙してしまいます。これは一つの決意の言葉です。聖フランシスの生涯がこの祈りのようでした。知れば知るほど、とてもこの方のように生きることはできないと知らされます。

 

どういう訳か、「私を」が「私たちを」に変えられ、どこかの企業で朝礼に「一つ○○……」とスローガンを唱えるような印象がぬぐい切れず戸惑います。用いるなら原点の「私」のままがいいと思います。

 

堀田雄康神父が講演で、翻訳の難しさにも触れておられます。2つ目の多く「争い」と訳される節の言語は「罪」と「赦し」が対照的に用いられているものです。

 

青森聖アンデレ教会 牧師 司祭 中山 茂

 

 

[参考]論文『アシジの聖フランシスコの「平和の祈り」の由来』木村晶子
講演『「平和の祈り」―その由来と翻訳-』堀田雄康

あけぼの2021年5月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「人生という山」

 

 

人生の歩みはよく山登りにたとえられます。

 

人生がさまざまな経験をしながら一歩ずつ歩むものであるのと同様、登山も一歩ずつ頂上に向かって歩みます。人生はいつも自分の進みたいように進めるわけではなく、入学や就職と言った岐路に立ったときに別の道を進まざるを得ない場合はありますが、山に登るときにも、進みたい道が樹木などで進めず、意に反して回り道を余儀なくされる場合があります。そして、そんな自分の意志に反した道を行ったからこそ生涯の伴侶に出会うことができたり、思いがけない絶景に出逢えたりするのも、人生の歩みと山登りは一緒です。繰り返される日常に埋没して下ばかり向いていると周囲の人の優しさや笑顔に気づけないのと同様、登ることだけに必死になって自分の足下と地面ばかりを見ていると、雄大な景色を見逃すことになりかねません。人生においては、勇気をもって降っていくことや立ち止まることを選択しなければならないことがありますが、登山の場合もいつも上り道とは限らず、頂上に向かうためには下りルートを辿らなければならないことがあります。細く険しい道を通らなければならなかったり、立ちはだかるハードルにゆっくりと歩まねばならない時が人生にはありますが、道の細さや先を歩く人に行く手を阻まれ、思うようにスピードを上げられないことが登山にもあります。

 

思いつくままに挙げただけでも、人生の歩みと山登りが似ているのは間違いなさそうです。

 

しかし登山と、ことに現代人の人生の歩みには相違点もあります。それは登山に際してはこれから登る山そのものについて知ろうとするのに比して、現代人は人生そのものについては深く知ろうとしていないのではという点です。

 

 

私は登山の専門家ではありませんが、おそらく登山に際しては、その山がどこに位置していて、そんな気象条件下にあるのか(天候の変化がおきやすいかどうか)など、ルートや登る手段のみならず、山そのものを深く知らなければなりません。ところが現代人は、自らの人生そのものについて深く掘り下げることにはあまり関心がないのでは、そう思います。自らの人生が、歴史や社会とどのようにつながっているのか、あるいはつながろうとしているのか、人生には悪天候の日もあって当然なのですが、そのための備えとして何をしておく必要があるのか、などといったことにはあまり関心がないように思えるのです。むしろそれよりも、そのコースを選択するのか、それによって見える景色にはどんな違いがあるのかばかりを気にしていると。だからそれを解説した指南本、すなわり「勝ち組になるためには」とか「失敗しない方法」といった類の書を手に取ることに躍起になっているのが現実なのではないでしょうか。

 

人生という山には入学、就職、結婚、親しい友との別れなどたくさんの岐路があります。それら一つ一つは真剣に向き合い決断をしなければならない大切な分岐点ですから必死になって既述の指南本を手に入れることや、その努力をムダだと言うつもりはありません。しかし人生という山そのものを見ずにコースやそこで見える景色ばかりに気をとられていると、希望通りの結果を得られなかったときに、あたかもそれが致命傷であるかの如く意気消沈してしまいます。結果、別の選択や別のルートに用意されている希望までを手放してしまうことになります。依然人生という山に立っていて、山から放り出されたわけではないのにもかかわらず……。

 

マニュアルや手段ではなく、人生という山そのものについて共に考えること、そんな役割も、この時代の宗教=基督の教会にはあるのではないでしょうか。

 

 

仙台基督教会 牧師 司祭 ヨハネ 八木 正言

 

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あけぼの2023年7月号

巻頭言 東北教区の信徒への手紙 「『信じる』ということ」

 

 

去る2006年4月6日、米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」が、1700年前の幻の福音書と呼ばれる「ユダの福音書」の写本を解読したと発表しました。これは2世紀に異端の禁書とされた写本で、3~4世紀に書かれたといわれ、1970年代にエジプトで発見、現在はスイスの古美術財団で管理されているものです。

 

この解読によると、イエスの十字架の出来事の前にあったとされるイスカリオテのユダの裏切り、すなわち彼がイエスをローマの官憲に引き渡したのは、実は裏切りではなく、イエスの言いつけに従った結果であると記されています。イエスは、他の弟子とは違い、唯一、教えを正しく理解していたユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自ら官憲に引き渡すよう指示したというのです。

 

これが史実なら、聖書の記述を覆す歴史的な大発見ともいえそうですが、イエスが捉えられたのはユダの裏切り行為なのか、あるいはイエスの指示なのかによって、私たちの神への信仰は変わってしまうでしょうか。

 

 

1998年、エルサレムに行く機会を得ました。エジプトからカナンへ、そしてガリラヤからエルサレムへという聖書の歴史に触れる旅です。その途中、エジプトの考古学博物館を訪問しました。

 

そこには出エジプトの際のエジプト王ファラオの像があり、出エジプトの出来事についての彼の言葉が綴られています。それは「奴隷状態にあった民の数が増え、これ以上放置しておくと暴動を起こしかねないから、彼らをエジプトから解放した」という主旨でした。

 

出エジプトの出来事は神とその使者モーセの導きによるのだという聖書の記述と、考古学博物館にあるファラオについての既述、どちらが「正しい」のでしょうか。

 

同じ聖地旅行でエルサレムにあるイエスの墓も訪ねました。一般には、現在、ローマ・カトリック教会や正教会が管理する、旧市街区の聖墳墓教会がそれだといわれています。しかし実はもう一つ、英国教会が管理し、プロテスタント諸教会がイエスの墓だと“主張”している「園の墓」があります。今後、どちらが「本当の」イエスの墓であるかが解明されたとして、その結果によって、私たちの信仰は由来でしまうのでしょうか。

 

 

信じようとする対象に、信じるに値する保証、根拠があるかどうかを見定めてから信じるのは、どこまでもその行為の中心に「私」があるとき。対して、たとえ保証や根拠がなくても、さらに言えば可能性が限りなくゼロに近くても、信じるという行為そのものに希望を見出すことこそが、「信じる」ということの内実だと思うのですが如何でしょうか。

 

ユダの行為が裏切りでなかったにせよ、出エジプトの出来事が聖書通りでなかったにせよ、イエスの墓がどこであるにせよ、死さえもがあなたにとっての致命傷でないのだというご復活の種の声に希望を見出し、信じる者でありたい、そう思います。

 

 

仙台基督教会 牧師 司祭 八木正言

 

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あけぼの2025年6月号

巻頭言 東北の信徒への手紙 「希望の中で喜びを感じる信仰人」

 

 

まず、5ヵ月間の休職から戻って皆さんと一緒に信仰生活ができるようになったことを神様に感謝します。皆さんのお祈りの力で母も元気になり、家族みんなが良い時間を持つことができました。もう一度、東北教区教役者、信徒皆さんに心から感謝します。

 

 

ローマの信徒への手紙12章12節に「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」と記されています。この言葉を単に見てみると、ああ~願いについてのみ言葉、または苦難に関するみ言葉なんだと思いますが、詳しく見ると、このみ言葉も愛の実践について説明していることが分かります。

 

愛を説明しているコリントの信徒への手紙一13章7節で、愛は「すべてを望み」と言われています。希望とコリントの信徒への手紙一13章の願いは同じ言葉です。「希望の中で楽しく」という言葉を別の言葉で表現すれば、「私たちが希望を持っている限り楽しくしよう」と表現できるはずです。

 

私たちには希望があるということです。その希望がある限り楽しさの他はないということです。その希望を眺める喜びで兄弟姉妹を愛するように、ということです。希望は、神様が私たちの人生に与えられた最も偉大な約束からきたのです。この希望は、将来的にもう少し良いことがあるような希望をいうことではありません。この希望は、永遠の国に対する希望を語ることです。

 

使徒パウロはこの希望について、コリントの信徒への手紙一15章51節~52節であまりにも詳細に説明しています。「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」

 

使徒パウロは復活したイエスに会った人です。使徒パウロは、復活されたイエス様がおられる天国に行って、その世界を見てきた人です。そのパウロが聖霊の感動を受けたことと合わせて、聖書を通してこのように伝えています。「私たちがすべて死ぬわけではありませんでした。永遠の世界があった。イエス様を信じて従う私たちは死んだ後もまた生きることになりました。それもそのような身体で再び生きるのではなく、永遠に病気でも、死ぬこともないそのような体で永遠に生きることになる…。」

 

そのような希望が私たちにあるということです。その希望がある限り、私たちは喜んで楽しくなるしかないということです。このような大きな希望を私たちに与えられた神様の恵みに感謝し、その恵みを与えられた神様を愛し、その恵みの中で一緒に生きていく兄弟姉妹を愛さなければなりません。

 

この世には、神様を知らずに人生を送る多くの人々がいおます。彼らはいつも不安の中で人生を生きているのです。彼らは明日が保証されていないので、今日を生きるために努力しています。一日でももっと楽に暮らすために、一にでももっとよく食べて幸せになるために身をかがめることが、神様を知らない人々の人生です。

 

愛する東北教区信徒の皆さん!希望の中で楽しんでください。苦難の中でも我慢してください。愛のためにいつも祈ってください。

 

 

弘前昇天教会牧師 司祭 ドミニコ 李 贊煕

 

 

 

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