教区報

教区報「あけぼの」巻頭言 - 東北の信徒への手紙の記事

「俺たちは憧れられているんだ」2017年10月号


 

皆さんは「メイク・ア・ウィッシュ」という団体をご存知でしょうか。難病に苦しむ子どもたちが持つ夢の実現の手伝いをすることを目的としている、アメリカで始まったボランティア団体で、日本でも活動しています。

 

その活動の始まりは、クリスという白血病と戦っている7歳の少年の夢の実現でした。クリスの夢は「白バイ警官」になることでした。この話を聞いたある警察官が動きました。どうにかしてクリスの夢をかなえてあげたいと思ったその警官は仲間を募り、上層部に相談します。そして上層部もクリスの夢の実現のために動きました。彼のために新品の制服装備一式を用意し、「名誉警察官」に任命しました。その上、クリスにミニバイクをプレゼントし、実際にパトロールや取り締まり業務にも当たってもらったそうです。クリスは夢のような時間を過ごし、夢がかなった5日後に亡くなりました。警察官たちは殉職警官と同様の栄誉礼でクリスを送ったそうです。

 

大変感動的な話しですが、警官たちがクリスの夢を叶えるために組織を上げて揺り動かされた一つの言葉があります。それはクリスの話を聞き、何とか夢をかなえてあげたいと考えた一人の警官の、仲間や上層部への「俺たちは憧れられているんだ!」との訴えでした。なかなか言える言葉ではありませんが、警官たちの誇り高さを感じさせられる言葉です。

 

自分が子どもの頃に憧れていたものを振り返ってみると、プロ野球選手、鉄道の運転士、バスの運転手、森林警備隊員(カナダの少年ドラマを見て)等々、色々ありました。今となればどれも最早無理ですが、ふと、当時の憧れが過ることもあります。そして今、私は何とか教役者として生かされています。私が教役者の道を歩もうと思ったきっかけ、所謂「召命感」は何だったのだろう?ということを改めて振り返ると、子どもの頃とは違う「憧れ」というものがあったように思います。私は教会の環境で育った訳ではなく、途中から、俗に言う「突然変異」で教会へ通うようになりました。教会へ行くたびに「司祭」という方の存在が不思議でなりませんでした。決して「お暇」ということではなかったかと思いますが、高校〜大学を通して向き合って頂きました。このことが不肖私を教役者の道へ導いたことは間違いないことです。その思いの大部分は「憧れ」だったのだと思います。

 

私たち東北教区はこの度の主教選挙に向けて教役者会や教役者・信徒が共に話し合う時を共有しました。「牧会的・霊的リーダー」としての主教を望み、何方が選出されても支えることで一致しましたが、「人を育てる」主教さんであって欲しい、という望みが託されたと思います。東北教区は教役者も信徒も少ない状況の中にあります。特に教役者数は危機的状況かもしれません。「人を育てる」の中には教役者の養成が勿論含まれているでしょう。その教役者養成には教区聖職養成訓練委員会を中心に検討されています。具体策として何かある訳ではありませんが、ただ、私たち教役者が多くの人に、特に子どもたち、若い人たちに「憧れられる」者としての意識、誇りを更に持つことが大事だと思います。自戒を込めてその思いを書かせて頂きました。

 

 

司祭 アントニオ 影山 博美

あけぼの巻頭言10月号

 

 

「東北教区管理主教として」2017年9月号

東北教区の聖職・信徒の皆さまに主の平和がありますように。

 

 

ここ数年、よく同じような夢を見ます。もう礼拝が始まる時間なのに、いくら探しても式服が見つからない! 礼拝堂ではもう聖歌が始まっているのに・・・。説教壇の前に立つと、その日必要な大事な原稿がどうしても見当たらない・・・などと。何かに追いたてられて自分ではどうしようもない状況に立たされている場面。妻に助けを求めるのに、それが全く通じなくてさらに苛立ちを覚えている・・・、そんな中で汗ばみながら目が覚めるのです。あぁ、夢で良かった・・・。

 

忙しいという字は心を亡ぼすという意味があるそうですが、確かに平安とは程遠い状況に自分を追い込んでしまっていることに気が付くことがあります。自分の計画通りに人生は進みません。どんなに緻密に計画を立て、余裕をもっていても、思いもよらぬことが起きます。その中で私たちはジタバタしながら、それでも、ある時は回りの人に助けられ、ある時はどん底に落ちながらも這い上がり、様々な経験を経てまたなんとか起き上がって歩みを続けるのです。

 

加藤博道主教さまの14年間にわたるお働きの中、東日本大震災という想定外の大惨事に遭われて、聖職・信徒の方たちと共に、どれほど大きな苦しみを負いながら、この6年間を復興に費やされたことでしょうか。被災地である東北教区の主教としての重責は計り知れないものがあったと想像します。私たちは隣りの北海道教区にありながら何もできませんが、この6月末まで、いくつかの教会では聖餐式の代祷の中で主教のために祈る際、「主教ヨハネ加藤博道」のお名前も挙げてずっと祈り続けてきました。
今回、加藤主教さまの教区主教退任に際し、東北教区の管理主教としての任を仰せつかり、私にとっても予期せぬ状況に置かれましたが、東北教区が新たな教区主教を戴いて出発をするまでのつなぎの役として、忙しさを理由に心を亡ぼすことなく、神様からの力と聖職・信徒の皆さまからのお祈りとお助けをいただきながら、誠実に務め上げたいと願っております。

 

東北教区というお隣りの教区に伺うことによって、私自身にも違う視点が与えられ、別の面から北海道教区を見直す機会となることも期待しています。先日、北海道教区の函館聖ヨハネ教会と今金インマヌエル教会との合同礼拝に、東北教区の信徒さんが2名お見えになり、楽しい交わりをさらに豊かにしてくださいました。教区を超えて交わりがあることは大へん喜ばしいことです。新しい発見があり、自分自身の信仰に違う風が吹き込みます。

 

どのような状況にあっても、私たちは決して神様から見捨てられることはありません。ゆえに、今まで信じて続けてきたことを、これからも日々変わらず続けていくことを大事にしたいと思うのです。小さな奇跡、よみがえりの奇跡は、大へんな状況の中でこそ、ひっそりと、でも確実に起こっているのです。日々キリストの死に与り、キリストの復活を身に帯びて、私たちは歩みを共にしたいと思います。
主の御守りの中、豊かなお導きと祝福が皆様の上にありますように。

 

 

東北教区管理主教(北海道教区主教)

主教 ナタナエル 植松 誠

教区報「あけぼの」巻頭言9月号

「祝福されている私たち」2017年8月号

「主教は次の言葉を用いて会衆を祝福する。」と、聖餐式の最後の祝福の祈りの前に小さく記されているのを皆さんは意識されたことがあるでしょうか。

 

昨年2016年10月に東北教区と親しき交わりにあります米国聖公会ルイジアナ教区主教モーリス・K・トンプソンJr.師父が東北教区を訪問されました。トンプソン主教は限られた滞在期間の中でありながらも仙台基督教会でのメッセージ、講演、そして東日本大震災の被災地も訪問されました。そして10月16日の主日は、八戸聖ルカ教秋宣教120周年記念礼拝にご臨席頂きました。トンプソン主教は、聖餐式の陪餐の時に未信徒の方やまだ堅信を受けていない信徒一人一人の頭に手を置いて祝福をしてくださいました。記念礼拝の後の祝賀会のご挨拶で「今日の礼拝では主教職にとって最も大切なご奉仕をさせて頂く恵みが与えられ感謝します」と述べられました。私は大変印象的なお言葉として心に残りました。また、今年6月11日には加藤博道主教が八戸聖ルカ教会を教区主教として最後の巡回で、聖餐式の司式と説教をしてくださいました。

 

そして加藤主教も陪餐の時に子どもたちや未信徒の方々に祝福をしてくださいました。

 

私は両主教が「祝福」をしているお姿にとても感激をしました。礼拝の中における「祝福」という行為は、イエス様からの私たちへの大きな恵みであると心から実感いたしました。皆さんも思い浮かべてください。礼拝や諸行事、会議等で教区主教が臨席されている時は会の最後は主教様の祝福の祈りによって終わることが多いと思います。

 

主教の祝福に関してのエピソードをいくつか紹介します。

 

ある主教様は息子さんからの電話があると必ず電話の最後に祝福をしてくださったそうです。またある主教様はご高齢で体のお具合が悪く療養されながら礼拝に出席をされていましたが、祝福の祈りをされる時は、大変力強く張りのあるお声で会衆を祝福されました。またある主教様は病床にあっても看病する家族にベッドから祝福をして下さったというお話しも伺ったことがあります。

 

主イエス様は復活された後、天に昇られる時に手を上げて祝福されました。そしてこう言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがと共にいる。」(マタイによる福音書28:20)

 

祝福の祈りを頂くごとに私たちは主の祝福の内に生かされていることを思い出したいと思うのです。喜びの時や嬉しい時だけではなく、むしろ悲しみや辛いとき助けて欲しいときこそ「大丈夫、私があなたと共にいる」という確信を私たちは祝福を頂く事によって得ることが出来るのです。

 

東北教区が抱える様々な課題、そして皆さんお一人お一人の思いは様々だと思います。しかし、どんな状況であったとしても私たちは祝福され続けていることを覚えましょう。

 

そして、わたしたちに主の祝福を祈り、私たちの教区を導いてご一緒に共働してくださる次期東北教区主教を選出することが出来ますように、祈り行動して参りましょう。

司祭 ステパノ 越山 哲也