教区報

教区報「あけぼの」 - メッセージの記事

「安心しなさい」2017年5月号

マタイによる福音書14章24節に「舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた」と書かれています。しかし、弟子たちは、このような苦難の中から再び主の新しい姿を眺めることができる栄光に与るようになります。その栄光とは、苦難の中で主に出会うことです。

 

私たちの人生の道には苦難があります。たとえその道が、主が喜ばれる道であり、主が命じられた道であっても苦難が伴います。それゆえに、イエスは、「あなたは、世界の中で苦難にあっても勇気を出しなさい」と言われたのです。しかし、主は、私たちの苦難を無視していないし、苦難の中で、私たちと一緒におられます。その苦難の中で、私たちを救ってくださいます。

 

パン5つと魚2匹の奇跡が起きると、多くの群衆は確かにこの人こそ、自分たちが望むメシアと言いました。そして、彼らはイエスを自分たちのそばに置いて無理にでも彼らの王にしようしたのです。イエスは、このような彼らの行動から逃れようと、弟子たちに船に乗って、自分よりも先に、湖の向こう側に行くように命じられました。

 

主はどのような場合にも、栄光を取られませんでした。その方は、徹底的に自分を低くし、父を高くしました。イエスは、「わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。」(マタイ26:53)としながらも、自ら苦難の杯を飲みました。

 

 
イエスは、問題があるたびに祈りました。主はサタンの誘惑に勝つために祈りました。主は明らかに神でしたが、しかし、人の姿でこの世に来られたので、サタンの誘惑に勝つためには祈りが必要でした。主の命令によって船に乗った、弟子たちは、すでに陸地から遠く離れた湖の中にいました。ところが、突然風が吹き始めました。彼らは風によって多くの苦しみを受けていました。真っ暗な夜中です。夜は霊的な闇の状況を意味します。

 

私たちは、このような霊的な暗闇の力にとらわれないために、主の光を私たちの人生の道に照らす必要があります。「あなたのみ言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」(詩篇119:105)風が吹いてきて、波がおこった。これは、苦難にあう人生を語っています。湖の真ん中で暗に会ったのです。

 

人間の力ではどうしようもない状況に陥り必死な彼らに近づいて主は「安心しなさい」と言われまし。私たちは、どのような苦難にも「安心しなさい」という主の声を聞いて、あわてず、心の平安を求めなければなりません。安心という言葉は、「勇気」を持てという意味です。次に、「恐れることはない」と言われました。この言葉は、「どのような場合にも、主があなたと一緒におられる、勇気を出しなさい 」ということです。

 

今、私たちの教区に最も必要な言葉は、「安心しなさい、私はあなたと一緒にいる」という主の声を聞いて、主と共に行動することです。どんな困難があっても、主は、東北教区と一緒にいらっしゃいます。

 

東北教区の皆さん、主と共に行きましょう!!!

司祭 ドミニコ 李 贊熙

あけぼの2022年3月号

巻頭言 東日本大震災の日に寄せて 「来て、見なさい」ヨハネによる福音書1章46節

 

 

コロナ禍になって3年目を迎えてしまい、様々な制約がある中で残念と思うことのひとつに、被災地訪問ができなくなったということがわたしにはあります。

 

石巻市大川小学校モニュメント「Angel of Hope」

山形に勤務していた時に信徒のみなさんの賛同を得て、2013年の新地町、石巻訪問から始まり、宿泊を伴う遠出計画は成りませんでしたが、土曜日や祝日に日帰りで回れる仙台市沿岸部、名取市閖上、女川町、南三陸町などを、年に春・秋の2回を目標に訪問させていただきました。

 

ご一緒くださった信徒の方からは「ニュースで見て大変なことだと涙が流れたが、実際に来てみると、画面だけでは伝わらないものを感じることができる。ただ行くだけなんて申し訳ないことかと感じていたが、来て良かった。」と感想をいただきました。

 

また、私自身が「いっしょに歩こう!プロジェクト」や「だいじに東北」の働きにかかわらせていただいたおかげで、多少なりとも現地での案内をすることができたことも感謝でした。そんな中で明らかに地元の人間ではないと見える集団に、毎回声をかけてくださる地元の方がいたこともうれしいことでした。山形から訪問させていただいていることを告げると「ほんとによく来てくださいました。ありがとう。」と言われて恐縮してしまいました。どの方とも良い出会いで、それこそニュースでは伝えきれない体験や思いをうかがうことができて、これも現地まで足を運ばないと体験できないことでした。

 

秋田に移動となり、釜石や気仙沼は片道約3時間の行程で、行けないことはないかななどと考えていたのですが、実現できないまま2年の月日が経ってしまいました。

 

3月11日が近づき、それを覚える礼拝は、今年も残念ながら各地に分散してのものとなりましたが、秋田では警戒レベルがさらに上がるとの予想が出ており、何とか3月までには安心できるレベルになっていることを祈っています。

 

 

そんなことを思いながら、何となく聖公会手帳をぱらぱらとめくっていてあることに気が付きました。教会の手帳ですから当然のことですが、公会の祝祭日が載っており、そのほか国民の祝日、広島・長崎原爆の日、聖書日課表の次にある「日記」には、ひな祭りや友引まで書かれているのに、3月11日の欄には(春期聖職按手節)の記載があるだけです。一般のカレンダーも手元にある分については特に記載はありません。ほかにも大災害と呼ばれるものは、年を追うごとに、残念ながら増えてくることでしょう。「それを載せるのならこれも」と難しいこともあるかもしれないのですが、日本聖公会のみならず、世界の聖公会が祈りと持てる力を上げて支援した東日本大震災、その日3月11日は、「いっしょに歩く」ことの象徴として日本聖公会の手帳とカレンダーに載せて記憶しても良いのではないかなと思いました。2011年以降に生まれた子どもたちは小学校の高学年になっています。この出来事を知らない人たちが年を追うごとに増えていくのでしょう。だからこそ、これからも教会は「3月11日・東日本大震災の日」を記憶し、何が起こり、わたしたちはどう動いたのか、その経験をどのように生かしているのか、今何をすべきなのかをあかし続けていきたいものだと思います。

 

秋田聖救主教会牧師 司祭 ステパノ 涌井 康福

 

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